宮崎駿さん、インタビュー(後編)


宮崎駿さんインタビューの後編であり、完結編の書き起こしになります。
(前編 http://d.hatena.ne.jp/narumasa_2929/20150220/1424422738
 中編 http://d.hatena.ne.jp/narumasa_2929/20150224/1424785261


後編では、『風立ちぬ』の話から、現在の日本について、これからの日本についてが語られています。
「ナルシズム」、「地政学」などのキーワードが出てきます。
僕が一番興味深かったのが、宮崎さんの映画創りに対して大事にしていることです。
アーティストからこういう言葉を聴くことができるのはとても嬉しいことです。
芸術作品は、作者自身のそれに対する信頼によって質があがるものだと僕は思っています。
質自体があがる、というわけではなく(そもそも絶対的な質なんてあるのかしらん?)、
作者自身の信頼表明によって、それを聞いた受け手である僕らが嬉しくなることでその作品に対して特別な好意を感じることができるということで。
誰かが大事にしているもの、信頼しているものは、触れる前からそれが特別なものであることが分かります。
そして、誰かが大事にしているもの、信頼しているものに対して、人は大事にしたくなるものだと思います。
誰かが物を大事にしていないのをみたとき、人はその物に対して「大事にしなくていい」と認識し、結果的に邪険に、雑に扱うようになります。
その逆もきっとあるはず。
宮崎さんの作品が多くの人に大事にされる要因は、宮崎さん自身が自分の作品を大事にし、信頼しているから、ということもあるのではないか、
とこのインタビューを読んで感じました。


宮崎さんの雰囲気を残すため、可能な限り宮崎さんが話されたままを再現しました。
話し言葉なので、論理的にわかりにくいところもあるかと思いますが。
また、段落わけもしないでずらずら文章を続けているのも、僕の意思をいれたくないなあ、という理由によります。
少し読みにくいのですが。


風立ちぬ』を経て


青木:最後の作品は『風立ちぬ』という作品で、色んなところで質問を受けたと思うんですけど。僕にとっては、なんか、単なる一ジブリファンなんですけど、ものすごく意外な感じがしたんですね。すごくメッセージ性が強くて。今の時代にはあれが宮崎さんが問うものだったのかってちょっと納得もしたりして。


宮崎:う〜ん、まあ、なんで創ったのか忘れてしまったんですけど(笑)。あれね、零戦の呪縛から完全に解放されましたね、僕は。小学校の時から零戦というものは不思議な霊力をもってて、ずっと何か付き纏ってましたけど、でも、今は零戦どうでもいいっていう感じになりました。僕だけ除霊してもしょうがないんですけど(笑)。


青木:その零戦の霊力というのはどういうものだったんですか?


宮崎:う〜ん、零戦は凄かったっていう神話が一つあるんだけど、それだけじゃないんですよ。それは特攻に散々使われ、あるときはアメリカの飛行機を凌駕して、神業のような空中戦をやっている飛行機です。それから日本の航空技術が個人のセンスによってとにかく世界の水準にほとんど並んで、ちょっと鼻が一瞬だけ出た瞬間です。たちまち向こうは進むからそのままいれば置いていかれるんですけど、その瞬間です。それで堀越二郎という設計者は、軍がとやかくいわずに好きなように作れといったらとんでもない飛行機を作った男です。それは僕は確信しているんですけどね。あの、その飛行機にあわせた戦術を考えればいいんです。ところが、そうじゃなかったから、やたらに半分玄人の海軍の連中がいろいろとやかく言って結局その道を閉ざしたんですね。ほんとにそうなんです。その悔しさみたいなものも子供の時からわかって、伝わってきてましたから。そういうことも含めてね、日本の近代史をどういうふうに考えるかという、その中に堀越二郎というのは稀有な才能をもった人ですけど、そういう人の中に集中的に現れてる一種の悲劇で、それがね、まあ、ずっと自分に付き纏ってたんです。なんかすっきりしないんですよね。悔しいとかね。悔しいっていうのは、なんで堀越二郎にやらせなかったんだ、という、どういう組織がやらせなかったんだ。そういうことも含めてです。


青木:時ほぼ同じくしてというか、少しあとですけど、零戦みたいなものをね、あるいは特攻みたいなものをね、ある種賛美とまでは言わないけど、美しくというか、悲劇的に描くという作品がでてきていて。


宮崎:それは前からありますよ。あの、それは一番楽なんです。そうやって総括してしまうのが。そうするとそこからいつまで経っても抜け出せないですね。その、自分たちの歴史に対する物の見方もそこから抜け出せないですね。ナルシズムなんですよ。それをずっとやってきたんだと思いますけどね。と、僕は思ってますけど。だから僕はそういう形で創らないことによって、もう零戦の本を見なくてもいいっていう人間になっちゃったんです。


青木:そのナルシズムってのがね、ずっとあったんだけれど、ここにきてどうもこの国日本はね、ナルシズムが高まってるんじゃないかと、僕なんかはかなり危機感を持っているんだけど。


宮崎:そうだと思います。ええと、う〜ん、高まって挙句どうなるかといえば、ロクなことにはならないですよね。ロクなことにならないから、だから、かといって、その前と同じ論法で平和憲法を守って、守ってれば平和になるんだ、という考え方でね、やれるほど世の中甘くなくなってきてることも確かだと思います。色んな要素が、色んな要因が増えて膨らんで蠢いている、そういう時期にきたんだと思うんですね。そん時に、どういうふうに生きていったらいいのか、渡っていったらいいのかということだと思うですけど、もっと、僕は簡単にいうと、日本を世界の地図から真ん中に置いた地図を作らないで、やっぱこっちの隅っこのほうに置いておいて、今の紛争地帯がまさに真ん中にくるんですけど、そうして、やっぱ隅っこにいる島で、自分たちの歴史問題というのはいくら大陸との交渉でですね、あるいは朝鮮半島との交渉で白村江の戦いがあったとか、まあ、呉が滅びて人がきたとか、色んな交渉がありますよ、そりゃ。その元軍がきた、それから日本も秀吉の軍勢がいったとか、いろいろありますけど、基本的に今のね、ごちゃごちゃになっている中近東とか、それから何と言うんですかね、中央っていうんですかね、ルーマニアとかブルガリアとかね、それからバルカン半島のあたりのぐちゃぐちゃになっている折り重なった歴史に比べれたらものすごく単純だと思います。何が一番問題かといえば、帝国主義の時代に日本も植民地にされないために精一杯努力した結果、自分たちも帝国主義の真似をした。結果的に300万人の死者を出す戦争をやってね、2発原爆も落ちて、という目にあった。それでよその国の、となりの国の恨みは消えてない。消えてないですよ。で、もう法的に解決がついたはずだと(言っても)。消えてないからずっとくすぶっているわけで。でも、それは何とかしなければいけないことなのですが、世界全体の歴史からみると、随分分かりやすい歴史なんですよ。それ、僕らの地政学上のね、一番端っこにいるっていうね、良さだと思ってるです、このところ。これはね、戦争をやるときには、50個の原発が取り囲んでるとこだから戦争なんかできっこないっていうのはその通りなんですけど、それだけじゃなくて、知恵でなんとかやっていける場所にいると思うんです、日本は。そのためには民族の、宗教とがね、入り乱れてぐしゃぐしゃになってる、しかも自然破壊と、どうしていいか分からない人口を抱えてやってる国々に比べれば日本は何とかなるんじゃないかと僕は思ってます。


青木:僕は、実は韓国に長く記者としていたことがあって。『風立ちぬ』という作品をね、観ていない人が主に今の日本の右傾化のね、宮崎駿までこんなの賛美したのか、という批判も一部であったんですけど、そういうのはもう気にされてないですか?


宮崎:そういうのが出るだろうな、と予想してたから、「やっぱり出たか、くだらない」と思っただけです(笑)。映画は公開したときが勝負ではなくて、ほんとに随分経ってから突然知己に出会うんですよ、ほんとに。「こいつ、ほんとに一番深く理解してくれてたんだ」という人間にね、何年も経ってからたまたま出会うんです。その時に、「ああ、創ってよかった」と思うわけで、お客が何人入ったかとか、いくら稼いだとか、そういうことやってるからつまらなくなるんでね、世の中。だから、いやそれは気にしますけど、気にしますけど、でも、それじゃないんです、大事なことは。映画を創ったあとからすると。


青木:『風立ちぬ』という作品に戻っちゃうんですけど、宮崎さんのこれまでの作品観ましたけど、描いた内容自体で、一種批判というか、政治的な評価とかみたいな与えられる作品っていうのは、最初にして最後というか、始めての作品だったと思うんですけど、そういうことはないですか?


宮崎:…、どうでしょうねえ、要するに生臭いものを素材にしていますから、その飛行機というね、軍事的なことしかない日本という国を舞台にしてやってるわけですから、生臭くなることは覚悟してやりましたけど、別に、政治的なことを描くことにあるだろうと思ってやったわけじゃないです。ただ、僕自身がそれに直面しなくてはいけないだろうということは感じていました。それを創りたいか、零戦が強かったなんていう作品をね、僕は創りたくないです。あの、空中戦の映画はですね、零戦が出てくるようなアニ映画、アニメーションで随分前に、テレビアニメがはじまったころにね、「零戦隼人」とかですね、そういうものが創られています。それで職場にアルバイトでいっぱい流れてきて、零戦に入ったこともない奴がみんな描いてるんですよ。ごそごそ。頭に来てましたけどね、僕は、空中戦を描かせたら俺が一番巧いって(笑)。でも描かなかったですよ、僕は。そういうことで描くものじゃないって。だいたいあの漫画のレベルの低さでね、そんなもの描いてたまるかって思ってましたから。僕は描かなかった人間です。ですから、我慢してたっていうわけじゃなくて、ちゃんと描ける、描く意味があるのか、零戦の空中戦を。そんなことは僕は思いつかなかったですね。僕はものすごい戦記物を読んだんです、中学生の頃から。それでね、何がわかったかって言うと、読んだだけでこいつ嘘書いてるっていうのが分かるようになったんですね(笑)。ほんとに。ほんとのこと書いてる人間ってのは、ほんのわずかいます。ドイツにも二、三人、、、二人くらいしかいないですね。アメリカ人は大抵誇大に書いています。まあ、ヨーロッパの場合は、戦果を確認するっていうのを戦後ずっとやっている連中がいて、墜っことしたっていってるけど、墜っこちていないとかね、両方のデータを付き合わせるだけじゃなくて、どこに墜っこちたというのを探しにいったりね。一番やってるのはフィンランドで、一機一機全部確認しています。そういう戦史を残していますけど、日本は全部周りが海だったから、誇大な戦果がね、そのまま語られている。そのうちに「この人話し馴れている人だな」という感じでね、あちこち話しているうちに段々すごい戦果に、戦闘シーンになってですね、そういう戦記物もいっぱいでています。それが分かるようになってしまったんです。確かめようもないですよ。だからなにも最近になって始まったことではなくて、戦争が終わったときからずっとやってきたことですよ。(了)