“過剰”は良いものを生み出しません。

先日、ちょっと驚いたことがありました。

普段温厚な会社の同僚(女性、小学生の子供二人、40代)が、「休校中のこどもたちだけで家に置いておくのは心配。こういうときはアホな輩がでてきてとんでもないことをやるんですよ!」と、ほかの同僚(女性、小学生の子供二人、40代)を交えて3人で話している時に急に言い出しました。興奮したのか、ちょっと顔を赤くして。明らかに「感情が荒ぶって」いました。

その言っている内容は理解できるのですが、普段と明らかに違う様子に驚きました。そして同時に、「こういう“過剰”が、“アホな輩”を生み出し、引き寄せるのではないか?」ということを思いました。

 

感情、そしてそれを乗っける言葉は驚くほど早く伝染します。さきほどのケースでいえば、「こういうときはアホな輩がでてきてとんでもないことをやるんですよ!」という言葉を聞いたもう一人の同僚は、「あ、今はそういう言葉を使う状況なんだ」、もしくは、「そういう言葉を使って良い状況なんだ」、さらには「そういう言葉を使わなければいけない状況なんだ」とさえ思うかもしれません。その人の意識状況でどうに思うかはかわるでしょうが、いずれにせよ自分の意識にある、自分が使用している言葉との対比を感じ、考えるでしょう。自分の言葉より聞いた言葉の方が強いとき、そちらに引っ張られるものです。強いものへの憧れ、とかそういうことではなく(それもあるのかもしれませんが)、「自分の意識の低さ」への恥ずかしさの裏返しとして。そしてそういう状況は、「遅れた自分をキャッチアップさせるため」その人にさらなる強い言葉を使わせます。

その後の伝播は上記の繰り返しです。子供にも、友達にも、同僚にも、妻にも、夫にも、荒ぶる感情、それを乗っける言葉は伝わっていきます。その過程で冒頭の同僚曰くの“アホな輩”が生み出されていくのです。

 

もちろんそれはテレビやラジオ、ネットでも日々行われていることです。ネット、SNSの普及,一般化は、伝播の速さを革命的なまでに進化させました。それは同僚曰くの“アホな輩”の量産スピードがあがっていることも意味します。そのような状況にあって、まず個人ですることは、「穏やかな言葉を使う」ことだと思っています。強烈な言葉を使わない。過剰な言葉を使わない。それは批判の際はもちろんですが、賞賛の言葉にもあてはまります。絶賛はしない方がよい。過剰な言葉で褒めない方がよい。感情は、上にも下にも、右にも左にも、いろんな方向に動きますが、どれか一方に強く動くなら、そこには同じ力の反動も必ず生まれます。絶賛は激烈な批判をうみます。それは伝播します。“アホな輩”が生まれます。新型コロナウイルスの影響が日々日々大きくなってきている今、そんな伝播が驚く程の速さで無数に起こっていることでしょう。同僚の「こういうときはアホな輩がでてきてとんでもないことをやるんですよ!」発言&荒ぶり加減はその一例を見たようで興味深かったです。

 

もう6年ほど前ですが、「言葉・感情の伝播」についてのブログを書いていました。

安倍晋三氏と小渕優子氏の後援会会員についてのものです。

【参考】 「断コミュニケーション」

https://narumasa-2929.hatenablog.com/entry/20141205/1417709877

 

 

昨日スーパーに歩いて買い物にいきました。10分くらいでした。その間、すれ違う人をみて、「マスクをしていない」、「ちょっと離れて歩こう」などを感じる自分に気づきました。「過敏になっているな」と思いました。私が住んでいる群馬県には4/7(金)に緊急事態宣言がでました。それを境に感染者数の状況がかわったわけではありませんが、意識、雰囲気はやはりガラッと変わりました。自分の“過敏さ”もその一例といえるでしょう。その過敏さに気づいてから、「これが深まっていくと“過剰”になるのだろうな」ということを思いました。「マスクをしていない」、「ちょっと離れて歩こう」と思うのは“過敏”です。そして、「なんでマスクをしないんだよ、こいつは!」、「もっと離れて歩けよ、バカが!」と言ったり、思ったりすることが“過剰”です。

“過敏”は今のような状況において当然意識の上にのぼってくることでしょうし、感染拡大を防止するためには必要なことです。対して“過剰”はどうかといえば、これはほとんどの場合マイナスに作用するものでしょう。人とのいざこざを生むかもしれませんし、自分の精神状態にストレスを与えることにもなります。

新型コロナウイルスを拡大させないためにも、みなが少しでも気分よく、気分が悪すぎない状態で生活していくためにも、“過剰”にならないことが重要なのだと僕は考えています。“過敏”から“過剰”にはどのような契機で移行するのかといえば、「感情の荒ぶり」ではないかと思っています。僕自身、“過敏”から“過剰”に移りそうなときがあります。新型コロナウイルス関連でいえば、会社でも家でも道端でもその契機は多々あります。ただ「“過剰”にいきそうだな」という客観的な視点をもつようにしています。それによって自分(それに連なる社会)を守っています。それには知識が大きな武器になります。「こういう状況は作っちゃいけない」「こういうことはしても大丈夫」「これには気をつけなくてはいけない」それらを判断する知識。それが「感情の荒ぶり」を抑えてくれます。

新型コロナウイルスの状況は世界的にまだ分からないことだらけなので、日々日々新発見、新想定がうまれています。それらを追っていくのはとても大変なことですが、“過剰”を引き起こさないためにも十分に必要なことであろうと思います。

 

 

先日のTBSラジオ「Session22」はとても勉強になります。

ダイヤモンドプリンセス号に乗船し、動画を公開した岩田健太郎医師へのインタビューです。専門知識がない人でもとてもよくわかる内容です。ご参考までに。

https://www.tbsradio.jp/473887