「自分の新型コロナウイルス状況」について
「僕は今、忘れたくない物事のリストを一つ作っている。リストは毎日、少しずつ伸びていく。誰もがそれぞれのリストを作るべきだと思う。そして平穏な時が帰ってきたら、互いのリストを取り出して見比べ、そこに共通の項目があるかどうか、そのために何かできることはないか考えてみるのがいい」
『コロナの時代の僕ら』P110 パオロ・ジョルダーノ/早川書房
「いま起きていることを頭で考えるのではなく、体で感じてほしい。芸術や文化が、どれほど生活する上で大切なものか。心から欲することで理解できるはずだ。」
『首都圏新型コロナ情報 変化は成熟目指す方向へ』 養老孟司/東京新聞2020年5月23日(土)
これらの文章を読んで「自分の新型コロナウイルス状況」を記しておこうと思いました。
ほんの備忘録的な記録です。
新型コロナウイルスの状況(日本国内、群馬県に新型コロナウイルス感染者がいる状況、緊急事態宣言が出ている状況)において、
・渇望したもの
・不足を感じたもの
・事足りたもの
・考えたこと
・変化したこと
・変化しなかったこと
など
<「消費」について>
「消費」について考え始めたのは、10年ちょっと前でしょうか、100円ショップで買い物をしようとしたときです。「この商品は100円で売っているけど、どんな利益構造をしてるのだろう?」と思い、「このお店はどれくらい儲かるのか」「これを作っている会社はどれくらい儲かるのか」「そこで働く人たちはしっかり給料をもらえているのだろうか」などを考え、「なんか色々おかしいことがありそうだな」という、勝手な結論に達しました。「こんなおかしいところにいたくない」と、それから自分の買い物について考えるようになりました。「どこで買うべきか?」
という素朴な、日常的な疑問で、大それたものではありません。その答えも至極素朴なもので、
「自分の好きな人、この人の生活の足しになってほしいなという人がやっているお店で買おう」
「このお店がなくなったら困る、というお店で買おう」
というものでした。
以来それを基準に物を買うお店を選ぶようにしています。
今回の新型コロナウイルスの影響が社会全体に及ぶ状況の中、自分の中でそのことが改めてのメイントピックの一つになりました。仕事柄、街のお店の方と話をする機会が多いのですが、総じて「悲惨」な状況に陥っていました。(現在ももちろん影響あり)状況はどのお店も五十歩百歩の違いで、ただただひどいものでした。ひどい、という状況は変わらないのですが、話を聞く中で、「このお店には終息後も引き続きお店をやってほしいな」「このお店には頑張ってほしいな」と思うお店と、特にそうは思わないお店に分かれました。
その分岐点はやはり、
「この人好きだから助けになりたい」「この人の家族もよい人達だから生活の足しにしてもらいたい」
といった極めて個人的な感情があるか、ないかでした。
仕事の上では顔にだすわけにはいきませんが(笑)
そういうお店には実際に新型コロナウイルスの状況においてたびたび買い物に行きました。
会社の帰りに唐揚げや焼き鳥を買いにいったり、お昼はお弁当を買いに行ったり。
本を買いに行ったり、日用品を買いに行ったり。
日々、「どうせ買うならあの人のお店で買おう」ということを考えた期間でした。現在も継続しています。
日常の中に染み込んでいた「自分の消費」について改めてじっくり向き合っている期間とも言えます。
先日10万円給付の申請書が送られてきました。それも今回はすべて「消費」に回そうと思っています。
「自分の好きな人、この人の生活の足しになってほしいなという人がやっているお店で買おう」
「このお店がなくなったら困る、というお店で買おう」
それらを基準にお店・施設を選び、振り分けます。
どういう人に魅力を感じているのか、どういう状況の人を助けたいと思うのか、何を重視しているのか、何を大事に思っているのか。
「自分」に向き合う時間になることでしょう。「消費」は極めて「自分的」なもの、なのではないかと思います。
<「映画館」について>
仕事の帰りなどによく映画館に行っていました。新型コロナウイルスの状況において、映画館はすべて閉まっていました。群馬県では、先週末よりいくつか開いてきています。
報道によると、この間Netflixなどの動画サイトの会員数が大きく増えたそうです。僕もいくつか映画やドキュメンタリーを観ました。動画配信サイトではないのですが、パソコン、スマホ、タブレットで映画を観る、という意味では同じフォーマットの【仮設の映画館】というサイトでも映画を観ました。
【仮設の映画館】
https://www.temporary-cinema.jp/
・「インターネット上の映画館」という体
・観たい映画を選ぶとき、それを見る映画館も選ぶ。(【仮設の映画館】に賛同するミニシアター系映画館の中から)
・選んだ映画館に鑑賞料金(1,800円)から鑑賞料が支払われる。
この映画館で、想田和弘監督の『精神0』と、大宮浩一 · 田中圭監督の『島にて』を観ました。映画館は地元のシネマテークたかさきを選択。
ただの動画配信サイトと違って、【仮設の映画館】はあくまで「映画館」という体です。
「新型コロナウイルスの脅威によって停滞している「映画の経済」を回復させるための試みの一つです。そして、この認識と方法とを全国の劇場、配給会社、製作者、そして映画ファンのみなさんと広く共有することによってはじめて「仮設の映画館」は有効かつ持続可能な施策となり、ともにこの状況を乗り切ることができるのではないか。そのように考えています。
さてまずは最寄りの劇場へ。そして、たまには懐かしい街の劇場を訪ねてみてください。もちろん状況が改善したら、ぜひ「本物の映画館」に足をお運びください。ここはあくまで「仮設の映画館」です。」
この考えに賛同したからこそ、上記二本を鑑賞したわけです。一般的な動画配信サイトで映画を観るときとは心構えも違ったものになるわけですが、その帰結としてある疑問にいきあたらざるをえません。
「自分にとって映画館とはどのようなものなのか?」
という疑問。
映画館にはよく仕事帰りにいっていた、ということは先に書きましたが、毎週金曜日の例とショーにいっていました。観たい映画があればそれを目当てにいくのですが、毎週となるといつもそんな映画があるとは限りません。それでも毎週行っていました。映画館が好き、なのでしょう。
100人も入るような劇場で、10人ほどの人とガラガラの状況で、ゆったりと座りながら観る2時間のレイトショー。映画館に行けていないこの期間、そのことを考えると、自分は映画以上に、映画館を求めていっていたのだろう、ということに気づきました。
一週間を振り返り、忘れるために、自分の気分を切り替えるために、ただぼーっとするために、同じ趣味の数人の存在を確かめるために、見ず知らずの人たちと真っ暗を共有するおかしさを体験するために、すべての俗事と一時おさらばするために。
そんな場所、ほかにはありません。
【仮設の映画館】体験はさらなる面白い体験をうむのではないかとワクワクしています。
通常は、大きなスクリーンの映画館で上映 → テレビ、パソコン、スマホなどの小さな画面といった視聴の流れです。しかし、【仮設の映画館】だとその逆が起こります。つまり、パソコン、スマホなどの小さな画面 → 大きなスクリーンの映画館で上映、といった流れです。
パソコンの小さな画面を見つめながら、「映画館」のことを考えていました。
そんなことを考えていると、自分がいかに映画館を渇望しているのか、ということを知ることができます。そんな機会になりました。
外出自粛要請が出ていましたが、もともと休みの日は一歩も外に出なくてもまったく窮屈に感じない性質なもので、特に不便、気持ち悪さなどを感じることはありませんでした。それは「変化がなかったこと」の一つにカウントしておきたいと思います。
何かもっとありそうですが、取り急ぎこんなことを記録しておきます。
状況によってまた変化していくのでしょうから、追記したり、新しく記録したりしていきたいと思います。5年後の自分への比較材料として。