映画『新聞記者』がなぜ [特別]なのか?

映画『新聞記者』を観ました。
(以下ネタバレあります)

 

 

 

先週金曜日6/28(金)から公開になった映画です。公開前から話題になっていた映画なので、なんとなく知っているという方もいるのではないかと思います。
その話題になっていた大きな理由は、現在進行形で起こっている政治問題を(フィクションという形ではありますが)取り上げていることです。

実際に観て確認したところ、
加計学園問題
前川喜平氏の出会いバー報道問題
・山口敬之レイプ不逮捕問題
が率直な形で取り上げられていて、
森友学園文書改竄問題に関する官僚の自殺
も間接的に扱われています。

これらは今もって解決したわけでも、終了したわけでもないものばかりです。
まさに現在進行形。
ちょっと前に日本でも公開になった『バイス』という映画があります。
ジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領を務めたディック・チェイニー氏を題材にした映画ですが、彼が副大統領だった時期は2001年~2008年です。今から11~18年前になります。
また、2017年制作の『ペンタゴンペーパーズ/最高機密文書』という映画も話題になりました。この映画は、ベトナム戦争を分析・記録したアメリカ国防総省の最高機密文書=通称「ペンタゴン・ペーパーズ」の内容を暴露した2人のジャーナリストの実話をもとにしたものです。
バイス』にもしろ、『ペンタゴンペーパーズ/最高機密文書』にしろ、政治に対峙する優れた映画ですが、それでも題材はあくまで「過去」です。
「あの時こういうことがありましたよ」という体裁です。
政治に対する映画はこれまでに数多く作られてきましたが、(その中で優れたものもまた多いです)基本「過去」を扱ったものがほとんどです。というか、全て、かもしれません。
映画制作を考えればそれは「当然のこと」ですね。
企画から、制作から、撮影から、編集から、宣伝からなどをひっくるめれば年単位の期間がかかる映画制作において、「今」を扱うことなど不可能に近いことです。
『新聞記者』はエグゼクティブプロデューサーの河村光庸氏のインタビューによると、企画始動から2年弱だそうです。

 

エグゼクティブプロデューサーの河村光庸氏インタビュー
「公開日にも確たる意図 映画「新聞記者」なぜリスク取った」

www.nikkan-gendai.com

通常ならどんなに急いで制作しても、上映される頃には「過去」になっているのが宿命ともいえる映画というフォーマットにおいて、“奇跡的”にも「今」のままであることにおいて、『新聞記者』は世界中見渡しても極めて珍しい映画と言えます。

ただ考えてみれば、一夜にして完成したわけではない『新聞記者』自体が特別なのではなく、映画の企画始動の2年弱前の問題が何の解決もすることなく、「未だに問題であり続ける状況」こそが特別だということに気付きます。
それは異常ともいえますが、それこそがこの映画を「今」を扱う映画に押し上げているというところに情けなさや悔しさや怒りや悲しみ、、、そんな入り混じった感情が湧き上がってきます。

この異常さ=「未だに問題であり続ける状況」を作ったのは誰でしょうか?
安倍政権でしょうか? 自民党でしょうか? 何をやっているのか不明な公明党でしょうか? 野党でしょうか? 官僚でしょうか? マスコミでしょうか? 国民でしょうか?
その全てでしょう。それに名を与えれば、「日本」という言葉にならざるを得ない。

加計学園問題を引き起こした(断言します)安倍氏、それを隠し、どうにか取り繕おうとする官僚、問題視しない自民党公明党、その問題を国会内外で追及しきれなかった野党(安倍氏、官僚などの明確な回答をしない度し難い態度も要因)、問題を“伝える”ことに国民の状況をみるとある意味失敗したマスコミ、加計学園問題の数多ある問題について考えない・知ろうとしない・許容してしまう国民。
それら全ての共同作業として、「未だに問題であり続ける状況」を作っているわけです。“オールジャパン”で仲良くて結構ですね。

今の日本だからこそ、『新聞記者』は特別な映画になったのです。
2017年5月に問題化した加計学園問題が、例えばその年のうちに解決(すべてが明らかになり、関連した人間が処罰される状態。当然主導者安倍首相は辞任)していれば、『新聞記者』は、『バイス』や『ペンタゴンペーパーズ』などの過去の政治系・ジャーナリスト系映画と同様、「過去」を描く“普通の”映画になったはずです。

この映画、それにまつわることは「2010年代の日本」を映すものとして記憶されるべきでしょう。
その意味もこめてブログに記しておきます。