「戦争」はすでにはじまっている

昨日、津田青楓という画家の「犠牲者」という作品を観ました。



このような説明が加えられていました。

この作品は、1933年(昭和8年)の小説家小林多喜二(1903−1933)の虐殺に触発されて描かれたものです。津田は、「十字架のキリスト像にも匹敵するようなものにしたいという希望を持つて、この作にとりかかつた」(『老画家の一生』)と記しています。拷問をうけ吊り下げられた男と、左下の窓を通して取り込まれた建設中の国会議事堂が対比されます。プロレタリア芸術運動への弾圧が激しさを増す中、津田自身も家宅捜索の後、一時拘留されました。《ブルジョア議会と民衆生活》は押収されましたが、幸いこの作は隠し通すことができました。


「ああ、すでに日本では戦争がはじまってるんだ」と思いました。


「現在の日本はすでに戦争状態にある」
と以前より作家の高橋源一郎さんがおっしゃっていました。
あまりピンとこなかったのですが、「犠牲者」を観て確信しました。


この絵を観て最初に感じたことは、
小林多喜二を拷問した人はその時どんな顔でしたのだろうか。どのような心持ちだったのだろうか。徐々に快感を得ていったのだろうか。その顔を家族に見せることはあったのだろうか。」
など、拷問をした人間についてでした。
拷問をできる人間とはどのような人間なのでしょうか。邪悪な人間でしょうか。悪魔のような人間でしょうか。極悪人でしょうか。
自分ことを考えてみる。僕は拷問ができない人間なのだろうか。拷問をしてしまう人間なのだろうか。
恐らく、僕は拷問ができる人間です。そして、恐らく、それは僕だけでなくこの世に生きる人間全て、拷問ができる人間だと思います。
「拷問をやっていい社会」であるなら。さらにいうなら、「拷問をやることが正義の社会」であるなら。


小林多喜二を拷問した人間は悪魔のような邪悪性をもつ特別な人間ではなかったと思います。
市井に生きる普通の日本人だったのだと思います。
では普通の人間が死に直結する拷問という悪魔の所業をやってしまったのはなぜか。
それは当時の日本が「拷問をやっていい社会」だったからです。制度としてやっていい、ということではなく、その時の日本に生きる人々の心がそれを(積極的にではないにしても)許容していたという意味において。
それ自体極めて残酷なことであっても、その残酷なことを認める社会であるなら、
その残酷さは躊躇なく実行される。
それは周囲の人間から白い目で見られない、ということを意味します。
「公式な言い訳」が用意されているからです。やること自体が極めて異常なことであっても。



昨年末の衆議院選挙に政治資金問題で大臣を辞任した小渕優子が出馬しました。
その出陣式で女性幹部という人がこのようなことを言いました。

「優子さんを元気づけて、みんなで気持ちをひとつにして頑張ろうとずっと女性部大会を続けてきた。それがあんな誤った報道で悔しい。優子さんにとってはタイミングが悪い選挙。いろいろ書かれると思いますが、報道になんか負けません」


日刊スポーツ 2014/12/3
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20141203-1404064.html


6月25日の自民党議員の「文化芸術懇話会」という会合で議員、作家がこのようなことを言いました。

「もともと普天間基地は田んぼの中にあった。そこを選んで住んだのは誰やねん」
「沖縄は本当に被害者やったのか。そうじゃない」
百田尚樹


朝日新聞 2015/6/25
http://www.asahi.com/articles/ASH6V3PL5H6VUTFK00F.html

「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番。経団連に働きかけて欲しい」
「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」
自民党会合出席議員


朝日新聞 2015/6/25
http://www.asahi.com/articles/ASH6T5W6FH6TUTFK00X.html


7月13日の菅官房長官の定例会見で、時事通信の記者がこのような質問をしました。

「沖縄が(第2滑走路の)工期短縮を難しくするような決断をしたことについて、もう国としてもある意味、見限ってもいいような気がするが、いかがでしょうか」
「もう、そんな連中は放っておいてもいいと思うが、いかがでしょうか」


朝日新聞 2015/7/13
http://www.asahi.com/articles/ASH7F67GGH7FUTFK01R.html

公衆の面前でこれらのような赤裸々な言葉を聞くことはそれほどないと思います。
身も蓋もない、「それをいっちゃあおしまいよ」の言葉です。
オブラートに一切包むことなく、思考の跡が一切ない生まれたての言葉です。
人はこれまでそれらの言葉に警戒してきました。剥き出しの言葉を使うのにも、使われるのにも警戒してきました。
人が作る歴史の一側面はそのことの積み重ねといってもいい。
それとは逆の、剥き出しの言葉が公衆の面前で語られることがここ半年で頻発しています。
それは偶然のことなのでしょうか。
僕にはそうは思えません。現在の日本は「剥き出しの言葉を使ってもよい社会」になってしまったのです。
これまでなら周囲の人の反応や目を気にして言えなかった言葉=剥き出しの言葉を言ってもいいんだ、という社会。現在の日本社会の姿です。
これまでの社会は、剥き出しの言葉を思ってもそれを言わない、言えないものでしたが、上記の引用にみられるように、それを言ってもよいと認識する人がそこら中で出てきているのです。
それは言葉自体が変わったのではありません。社会が変わったのです。箍が外れてしまった。


何が日本社会を変えたのでしょうか。
その中心的存在は安倍氏であり、政府の面々、与党議員だと僕は解釈しています。


日教組!」「早く質問しろよ」「大げさなんだよ!」などの国会における野次。
「福島はアンダーコントロールされている」という誰が聞いてもわかる大ウソ。
質問に全く答えない、はぐらかしたり、自説を述べるだけ、さらに逆質問をする国会答弁。


安倍氏の2013年末の就任以来2年半ほどは、このようなことの連続でした。
剥き出しの言葉を使い、相手への敬意を全く示さずに、むしろ嘲る。
剥き出しの言葉を使うということは、それを聴いた人の存在を無視することです。
それらの人の反応を想定しない=関係ないと思うことです。
もし「他者」の存在を感じているなら、「さすがにこの言葉はマズイな」という剥き出しの言葉への調整が入ります。「批判されるな」「バカだと思われるな」「短絡的な人間だと思われるな」。そんな想像が剥き出しの言葉を使うことをストップさせます。
安倍氏にはそれが最早ありません。彼には「他者」が存在してない。
そんな姿が国会でも、演説でもたびたび映し出されています。そしてそれに対して大きな批判、非難がなく、首相を辞めることなく平気でいます。支持率も大して落ちることないといった外形的な「許し」も得ているような状態が続いてきました。日本において最も社会的地位があると認識される人間の一人が剥き出しの言葉を使い、何のおとがめもない、その状況が日本の社会を「剥き出しの言葉を使っても問題ない」社会に変えてしまったのではないでしょうか。
「ああ、剥き出しの言葉を言ってもいいんだ」という認識が社会に広まっていったのではないでしょうか。
安倍氏が首相になる前に、「ぶっちゃけ」や「本音」が「良いこと」として重視される社会的背景があったことも見逃せません。)


戦争はドンパチだけではありません。殺す、殺されるだけではありません。
戦争とは、それまで「良い」とされていなかった、客観的にみておかしな、バカなことがメインストリームに現れ、認知されることとも定義したい。
先の大戦における「銃後の戦争」とはそのようなものだったのではないでしょうか。
空襲も戦争です。そして、日々の生活における町内会、婦人会などの「お国のために我慢しないさい」、「兵隊さんが頑張っているのに、銃後の人間が贅沢をいってはならない」という強制語、「非国民の拷問は当然」という非人情的な言葉が流通する社会のありかたもまた戦争です。


拷問はいつの時代も残酷です。小林多喜二が殺された時代も拷問自体は残酷なことといった認識はあったことでしょう。しかし、「拷問自体残酷なことだけど、それをするのは問題ない」という社会認識のもと、それは「善」のこととして実行されたのです。
剥き出しの言葉もそれ自体、他者を無視した知性を欠いた卑しいものです。しかし、「剥き出しの言葉は品がないけど、それを発するのは問題ない」という社会認識があるなら、それは大きな声で語られます。
それまで白い目で見られるようなことが問題ないものに変わったという意味で、「拷問が肯定される社会」と「剥き出しの言葉が問題ない社会」は同一線上にあります。
戦争は日本社会においてすでに、はじまっています。
その戦争を終わらせるには、剥き出しの言葉を指摘し、その品のなさ、知性のなさ、恥ずかしいということをその都度言及していき、そう感じ、思う人を増やしていくことです。


「それをいっちゃあおしまいよ」
寅さんが言っているではありませんか。



津田青楓「犠牲者」は、現在東京国立近代美術館でみることができます。