宮崎駿さん、インタビュー(前編)


2/16(月)のTBSラジオ「デイ・キャッチ」という番組内で、宮崎駿さんのインタビューが流れていました。
今週はラジオ業界にとって重要なタイミングのようです。
聴取率をはかる「スペシャルウィーク」なのです。
どこの番組も特別なものを用意してくる週なので、思わぬ大物が登場することがあります。
宮崎駿さんの登場がまさにそれです。


インタビュアーはジャーナリストの青木理さんです。


下記は前編の書き起こしになります。
ここのところ、『風立ちぬ』以降に顕著ですが、「宮崎駿さんを時事問題にひっぱりこむ」流れがあるような気がしています。
インタビュアーが青木さんだし、その流れにそったものがメインになるのかな、と思って聞きましたが、
「アニメ監督の宮崎駿」についても存分に語られていて、実に興味深い話が展開されています。(後編に多いのですが笑)
時事問題についても語っています。
表現の自由、風刺画、日本の状況、消費文明についてなどが、前編で語られています。
宮崎さんはそれらの専門家ではありません。アニメーターです。
だからこその意見が実に面白いものになっているように僕は思います。
専門家は、得てして対象に対して近くで見がちの傾向があると思います。
「専門」というものに、「対象に対して非常に詳しい」という意味が与えられている以上、
その傾向は間違ったものではありません。
しかし、近くで物事を見る人だけでは、その対象についてより多くのことを知ることができないのではないか、と僕は思います。
専門家の話はその対象についてはとても詳細だけど、他のものとの関連となるとからっきし、ということがあります。
現在起こっている様々な問題は、ある単一の要素で語ることはほぼ不可能です。
例えば、「イスラム国」について語るとき、イスラム教だけで語ることは不可能ですし、中東情勢だけで語ることも不可能です。
宗教、経済、歴史、西欧との関係などなど、様々な面から語ることが必要になります。
その様々な面から語ることができるのが、非専門家の人たちではないでしょうか。
それは「俯瞰して見る」ということによって。
個々の詳細を語ることはできないけど、上空からの視点で「こうじゃないか」と語ることができる人。
非専門家は、「近くでものを見る」専門家に対して、「遠くからものを見る」人といえるかもしれません。
様々な知識、知恵を総動員させて。
そのような人として、僕は司馬遼太郎さんがパッと頭に浮かびますが、
宮崎駿さんも同種の人であると思います。
インタビューでも遠くからものごとを見ることで、興味深い考えを披露しています。



<インタビュー前編>


色んな国をモチーフにしている作品が多いが、
世界情勢をどのように捉えているか


宮崎 : 僕は、ほんとにこの世界情勢についてどうやって総合的に捕まえていいのか、ほんと分からなくなって、ルーマニアブルガリアの写真を見せられて、「ああ、これは面白いところだ」と。なぜかっていうと、舞台を外国にする時に、西欧を自分が行った範囲では、だいたいこれくらいの建物がたっているとかあるんですけど、ルーマニアブルガリア(の写真)をみたら違うんですよね。トルコの影響も十分受けている、イスラムの影響も。それで実に魅力的な建物があることが分かって、それで、そこら辺の歴史を、「はあ、この複雑さは大変な、とんでもないものがぐちゃぐちゃになって折り重なってる」と、バルカンなどもそうですね。それからチェーホフがちょっと好きなものですから、短編の中の「美女たち」というのが、ちょうど今問題になっているウクライナの東側の方です、そこら辺を旅する短編を読むと、アルメニア人の村があったり、「アルメニアってこっちだよな」とか思ったり(笑)、ほんとに、その、こう、ある民族が一つの国を作っているのではない、色んな民族が入り込んできて、地域ができて、そこに政府みないなものができちゃったみたいな、色んな民族がいる、何が火を吹くかわからない。
その点、俺たちは簡単なとこにいるな、なんて簡単なんだろうと、東アジアは。それが気が楽になった原因なんです。じゃあ「人類全体はどうするんだ」には、それはちょっと勘弁していただいて、とりあえず自分の、まあ、自分の孫も含めて隣に20何人いるチビたち(※ジブリの横にある保育所のこどもたち)とかですね、その未来を考えたとき、「おじいちゃんどうしたらいいんですか」って聴かれたら、ここでひっそりしていようと(笑)、東の外れで(笑)。


青木:東の外れで簡単なはずなのに、まったく簡単じゃない。


宮崎:あらゆる国はそうだと思うんです、僕は。そういう時期に来ているんです。フランスのテロのこと(※シャルリエブド事件)でも釈然としないですね。


青木:パリのテロ事件についてどのように思われましたか?


宮崎:そういうことは起こるだろうと思います。起こるとこにいますよ。


青木:ああいう風刺画の世界というのは、まあ漫画ですよね。


宮崎:風刺画は自国の政治家に対して行うべきであって、他国の政治家に対してやるのは胡散臭くなるだけです。それはもう第一次世界大戦のときからはじまっていて、そういう漫画によって国民を教育するっていうのが、ずっと行われてきたわけですから。異質の文明に対してね、崇拝しているものを、その(不明)価値がないものと対象にするのは、間違いだと思います。それはやめたほうがよいと思いますよ。イスラムだって色んな宗派があるし。



日本を含めて出てきている「勇ましさ」について


青木:かろうじて、宮崎さんも戦中生まれですよね。


宮崎:いや、僕は1941年生まれだから、戦中派とは言いませんよ。多感な時期に敗戦を経験していないと、戦争を経験していないと、だめです。僕は4歳ですからね、空襲くらいはちょっと覚えていますけど、それが自分の内面にどういう影響を与えたかというのは、ほんとに決定的なものじゃないです。ええ、例えばですね、食べ物に関しては消費税をかけないという意見がね、いかにも年寄りのことを考えた意見のように出てくるけど、いいですか、その年寄りたちが買っている食い物は、こんなけの食い物をこんなけ過剰に包装して、ビビビビって破って捨てて、それがゴミになってでてくりゃまだいいんですけど、そこら辺に捨てられているとか。それが食い物の実態ですよ。何を言っているかというと、大量消費という文明そのものに問題があるんですよ。
何も日本国だけで起こっているわけじゃないんですよ。僕らが何かの拍子にモロッコの方にいったときに、砂漠にいったらね、黒い鳥がいっぱいに舞っていると思ったら、それ全部黒いビニール袋なんだね、ゴミの袋。それが腐らないですね、それがワーッと風に舞っているんですよ、街の上に。ゴミだらけです。ゴミだらけ。日本もゴミだらけ。買ってくりゃいいんだ、安い物を見つけて買ってくればいい。それを買うお金さえあれば問題ないというね、骨の髄までそうなってて、お米一粒でもお百姓さんが汗水たらして作ったもんなんだから、こぼしてはいけないって、拾って食べたらおばあちゃんに褒められたことありますよ、この子じゃいい子だって(笑)。
そういう感覚が、まあ何もご飯粒だけの問題じゃなくて、何でもとにかく金をもっていれば何でも買えるんだ、安いものが正しいんだ、上手な買い物をして、商品知識を身につけて、通販をやりね、やれば賢いんだと思ってるでしょ。それは最低なんですよ、実は。それが最低なんです、一番ね、政治思想にも何も元になっている生活そのものが。僕も自分でも最低だと思っているけど。本当に最低になっているんだと思うんです。だから、こんな民族にろくな判断がつくはずないんですよ。大量消費文明そのものが行きづまりつつあるから、あちこちで騒ぎが起こっているんだと思うんです。でも、大量消費をしたいですね、みんな。でもできないんですよもう。資源が限界であると言ってるんだから、随分前から。もう50年続かないんだろうと言ってたけど、それから30年くらいたってますからそろそろ限界が近づいているんです。今の「イスラム国」の問題も、日本のやたらに札束を刷っているような経済の運営の仕方も、その末期的症状の表れの前駆症状じゃないかと僕は思ってます。まだ本番がきているわけじゃないという。


青木:「イスラム国」の是非は別としても、西洋とか文明社会とか、ある種の消費社会に対する挑戦であることは間違いないですよね。


宮崎イラクの戦争のときにね、捕虜の収容所にね、素っ裸の捕虜に首に鎖をつけて若いアメリカの女兵士が写真をとったのが漏れて、週刊誌に載ったことがありましたね。もうイスラムは許さないだろうと思いましたね。これは300年かかっても許さないだろうと。許さないですよ。これはもう、火をつけちゃったんですね。それは家族をかかえて戦争したくないと思っているようなムスリムの人々もいっぱいいるだろうけど、一方でこれは火がついてしまった。無秩序、世界的な無秩序というのはこれから起こってくるだろうと思うけど、そういうときに、安倍さんの言ってることはシンプルすぎるという懸念を僕はもっています。もう少し腹に何か複雑なものを抱えてやらないと。そのときにね、平和憲法ってとても役に立つんですよ。「平和憲法を守るためにね、そっち側にはいけないんですよ」と。



アーティストである宮崎駿言論の自由の萎縮についてどう思っているか


青木:僕が最近苛立っているのが、この国で許される表現の幅が狭くなっているんじゃないかと思っているのですが、そんなのはあまり感じられないですか?


宮崎:それはね、鈴木さん(ジブリプロデューサー)が憲法について新聞に語ったら、「電車の中でナイフで腹を刺されますよ」と言った奴がいるんですよ。そういうことは冗談でもいう奴がいけない。そうすると、ぶすっと刺されたような感覚をもつんですよ。それはね、冗談でもそういうことを言うこと自体は友人でもないですよね。刺されればいんですよ、実は。「鈴木敏夫死ぬとも自由は死せず」みたいな(笑)。


青木:それは自粛みたいなものが怖いということですか?


宮崎:いやいや、僕はね、怖いも怖くないも、愚かな奴は自粛するだろうし、自粛した程度のものしか考えないで発言していたんだな、ということだと思うんです。それほど、それが世論の大勢を占めているんでしょうか、僕にはわからないですね。



(前編)