今日の一冊 〜『三酔人経綸問答』中江兆民


明治期に活躍した中江兆民の代表的著作が、『三酔人経綸問答』です。
中江兆民と聞くとどのような印象をもつでしょうか?


ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』を翻訳し、紹介した´東洋のルソー´」
自由民権運動の理論的指導者」
社会主義者幸徳秋水の師匠」


といったところが教科書にも載っていて、一般的な印象でしょうか。
明治初期において自由、民主、権利を求めて戦った人、という反政府的で革新的な色彩が濃厚なのではないかと思います。
生まれが土佐であり、同郷の坂本龍馬とも生前会ったことがあるようです。たばこを買いにいかされたというエピソードが残っています。
上記の「印象」が明治期のものなので、江戸時代とは断絶している´近代人´と一見思われ、
江戸時代の人=´前近代人´坂本龍馬とは頭のなかで結びつきづらいのですが、両者の出会いは時代の端と端の溶解を体現しているようで、歴史の1ページとして記憶にとどめておきたいものです。


この本は1887年(明治20年)、兆民が41歳のときに発行されたものです。
時は朝鮮との江華島事件後、清国との日清戦争前といったタイミングです。外国との交戦と交戦の間です。
いわば、日本があたかも当然の権利かのように欧米の帝国主義に乗っかるタイミングと言えます。
書名が示す通り、三人の酔人が経綸=国家統治方策について語り合っている、というのがその内容です。
明治時代が初期から中期にさしかかるタイミングであり、対外政策も日本国の重要な選択事項になってきていたタイミングであり、語り合いの内容は日本の歩むべき道についてです。
登場人物は、「一度酔えば、即ち政治を論じ哲学を論じて止まるところを知らぬ(岩波文庫注釈より)」南海先生、「民主制度を採用し、敵対意志をあらわす軍備というものを撤廃して、ヨーロッパ人の先を越すことによって、その攻撃を避けようとなさる(同P101)」洋学紳士、「大いに外国征伐軍を出して、他国を割き取り、領土をひろげ、ヨーロッパの動乱につけこんで、巨利をおさめようとなさる(同P101)」豪傑君という三人です。
この三人が酒を飲みながら、各々自分の考えを述べるというシンプルな構成です。
議論をする、というよりは、一人一人の演説のような形でまとまりがあるので、話があっちいったり、こっちいたったりということも少なく、原文は文語ですが比較的読みやすいものになっています。(岩波文庫のものには現代文もあわせて掲載されています)


登場人物は南海先生、洋学紳士、豪傑君の三人であると先に書きましたが、この本を読むにあたり「兆民は一体三人のうちの誰なのか?」ということが、これまでの読み方のなかで一つの要点になっているようです。

「やはりただ、立憲制度を設け、上は天皇の尊厳、栄光を強め、下はすべての国民の幸福、安寧を増し、上下両議院を置いて、上院議員は貴族をあて、代々世襲とし、下院議員は選挙によってとる、それだけのことです。(中略)外交の方針としては、平和友好を原則として、国威を傷つけられないかぎり、高圧的に出たり、武力を振るったりすることをせず、言論、出版などあらゆる規則は、しだいにゆるやかにし、教育や商工業は、しだいに盛んにする、といったようなことです。」(岩波文庫P109)


という南海先生に対し、二人は、

「私どもは、かねてから先生のご主張が奇抜だと聞いておりました。ところが、今おっしゃったようですと、少しも奇抜なところはない。今日では、子供でも下男でもそれくらいのことは知っています。」(同P109)


と笑いながら言います。
先にも書いたように、洋学紳士は、

「民主制度を採用し、敵対意志をあらわす軍備というものを撤廃して、ヨーロッパ人の先を越すことによって、その攻撃を避けようとなさる」(同P101)


という考えであり、豪傑君は、

「大いに外国征伐軍を出して、他国を割き取り、領土をひろげ、ヨーロッパの動乱につけこんで、巨利をおさめようとなさる」(同P101)


という考えをもっています。
簡単にいえば、南海先生=中庸、洋学紳士=左、豪傑君=右といった感じです。(「極」をつけてもいいかもしれません)
左と右の人が、中庸の人を「奇抜さがない」と冷笑をしつつ語り合いは終了します。
冒頭にあげた兆民の一般的印象、すなわち「ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』を翻訳し、紹介した´東洋のルソー´」、「自由民権運動の理論的指導者」、「社会主義者幸徳秋水の師匠」といったものから想像すると、洋学紳士こそ兆民の化身であるとするのはある意味流れのように思えます。
「しかし」と、岩波文庫『三酔人経綸問答』の解説で桑原武夫氏は言います。

「私たち(桑原武夫、島田虔次※筆者注)は、三人がそれぞれ兆民の分身だと考えるのが適当だと思っている。(中略)従来の兆民論において、南海先生を兆民に擬するものが多い。南海先生はたしかに、兆民のするどい分析の才能を反映しているが、その常識家的な現実主義者という面のみに同一性を認めては危険であろう。もし兆民のなかに洋学紳士が存在して、つねに衝動を与えるのでなければ、憲法の「点閲」を要求したり、議会に辞表をたたきつけたりしないはずである。(中略)兆民は、豪傑君をも共感をこめて描いている。(中略)晩年に兆民が「国民同盟会」に参加したさい、幸徳秋水にとがめられて、ロシアと戦って勝てば大陸に雄飛できるし、もし負けても国内の革新ができる、と答えた(幸徳秋水『兆民先生』岩波文庫本、二十七ページ)(中略)兆民がヨーロッパの政治外交を批評した新聞論説を見ると、洋学紳士風の政治道徳論よりも、豪傑君風ヨーロッパ・ポリティックスの観点からのものが多く、それとして鋭い洞察を示していることは注意すべきである。」(岩波文庫P264)


一般的な印象である反政府的、革新的であり、民主主義的な兆民とは一線を画すような別の兆民の存在をここでは指摘しています。文中の「国民同盟会」とは、日露戦争前に近衛篤麿(文麿の父)らが対露強硬の世論を巻き起こすために1900年(明治33年)に結成した国家主義団体で、頭山満犬養毅、平岡浩太郎などが参加していました。そこに兆民も参加していた、というのは兆民の一般的な印象に親しい人にはかなり意外なことではないでしょうか。その前の「1897年(明治30年)には国民党を結党し、その機関紙で日清戦争を評価するような発言をしたり」(「日清戦争後の中江兆民」留場瑞乃)していた。まさに豪傑君の考えのような帝国主義的対外強硬を主張していたわけです。
また、評論家の西部邁氏は兆民について、

「兆民は保守思想の先達である」と断定して何の不都合もないのである。(中略)洋学君と豪傑君の両極端の旧新主義者に警告を発するのである。「立憲制度を設け、上は天皇の尊厳、栄光を強め、下はすべての国民の幸福、安寧を増し、上下両議院を置いて、上院議員は貴族をあて、代々世襲とし、下院議員は選挙によってとる、それだけのことです」と南海先生は言う。それが兆民の本心だと見定めさえすれば、兆民全集はこれまでの兆民解釈による偏った色付けから解き放たれる(文藝春秋2012年11月号 P333〜334)


と語っています。ここでも´東洋のルソー´とはかけ離れたかのような´保守主義者´という認識が兆民に与えられています。(西部邁氏は、『中江兆民 百年の誤解』という本を2013年に出しています)この認識は桑原武夫氏とはまた違った西部邁氏独自のものですが、それは兆民には多様な認識を持たせる要素がある、ということを証明しています。


これらの要素は兆民独特のものであると同時に、多様さにおいては極めて時代的なものなのではないかと僕は思います。明治初期〜中期という時代を考えるとき、その結果を知っている現代人には到底想像もできないような「どっちに転ぶか分からない」感があったはずです。同時期に生きた福沢諭吉などの著作を読むと、「とにかく独立。そのためには!?」という切羽詰った緊張感がビシビシ伝わってきます。中江兆民にしろ、福沢諭吉にしろ、この時期の知識人の重要な役割は啓蒙にあります。「とにかく独立。そのためには!?」を実現するために、一般大衆をいかに導くか、教化するかは日本国の喫緊の課題でした。その役割を担ったのが知識人だったわけですが、「どっちに転ぶか分からない」状況において単純な思考では全く太刀打ちできなかったのではないかと想像します。複雑である必要があったのです。そしてそれは社会にも当てはまるものだったでしょう。
単純な思考がどういうものかと言えば、たとえば現在における、


右翼的思考・集団的自衛権容認・原発推進改憲
左翼的思考・集団的自衛権反対・反原発・護憲


といったような定型的な枠組みをさします。
現在はそのような定型的な枠組みで物事が語られる単純化された社会といえるのではないでしょうか。
先の例で挙げれば、
右翼的思考・集団的自衛権容認・反原発改憲
といった人がいてもおかしくないのに、そしてそのような人が確かにいるはずなのに、社会の表面には一向にでてこず、あいかわらず、
右翼的思考・集団的自衛権容認・原発推進改憲
の人しか出てこない状況です。
社会の表面に出ることの最もわかり易い例は、メディアで取り上げられるということですが、そのような人は取り上げられることは皆無に等しい。それは、メディアが複雑性に耐えられず、単純なものしか扱えなくなっている、ということを意味しはしないでしょうか。
メディア、それを反映する社会が単純化されてきていることは見逃せないことだと思います。換言すれば、複雑化を拒否している社会が現在であると。
そして、そのような単純化が垂れ流される社会において、複雑性をもつ人も単純の波に巻き込まれてしまいつつあるのが、まさに現在といえます。
その流れが、個人を、社会を単純化させていきます。
この社会構造が生み出すものは、断絶しかないと僕は思います。


右翼的思考・集団的自衛権容認・原発推進改憲
左翼的思考・集団的自衛権反対・反原発・護憲
の二つに「ここは中とって」の妥協が生まれる余地はありません。どっちが勝つか、です。
勝った者が総取りというゼロサム社会です。常に勝者と敗者がいて、その差が著しく激しいものになってしまいます。その結果現在は、格差は経済的な貧富だけでなく、政治的思想や感情においても起こる社会となってしまっているのです。
勝ち負けなので逆転することも可能ですが、いずれにせよどちらかが負けることに変わりはありません。妥協をそもそも考えない相手には、ただ相手を傷つける言動のみが有効となります。そんな社会が生きやすいものだとは僕には思えません。いつも勝負にさらされ、言動も激しくなるストレスフルな生きづらい社会です。単純な社会は、その特徴である分かりやすさにおいて、そこに生きる人々の断絶を生み出してしまいました。


複雑性は他人との共通項の可能性を暗示しています。誰とでも、何かしらひっかかる可能性をもっています。90%あわなくても、10%あえば、そこには妥協、手打ちが生まれる可能性があります。そこでも確かに勝者、敗者は生まれます。どちらも満足な結果になるとは限りません。しかし、どちらかが絶対的に満足、どちらかが絶対的に不満という、0か100かの結果にはなりません。お互いが、まあまあ不満、満足でも不満でもない、といったものにもっていくことも可能です。そこには決定的な格差は生まれません。
生きやすくするためには複雑性を許容できる社会を取り戻す必要があります。複雑性をもつ人を浮き上がらせる度量をもった社会。しかし、社会とは人、人、人がつくるものであり、自然とそこにあるわけではありません。社会は得体のしれないもので、何となく出来上がってしまう性質も孕んでいますが、意識的に人がつくることも可能でしょう。いまこそ個人の複雑性を発揮するときではないでしょうか。その方法は自分の思いや考えを一つずつ点検することです。そして自分の複雑性を認識することです。それをブログでもツイッターでも、新聞への投書でも友人との会話の中でも、外に表明していくことです。社会に複雑な考えがあってもよいということを共有していくことです。そんな人がたくさん出てくることで、社会は複雑性を許容できる量がだんだん増えていくのではないかと、希望をもって僕は信じます。


中江兆民という複雑性をもつ人物であり、彼が生きた複雑にならざるを得なかった時代を学ぶことは、単純化のうちにある現在において極めて重要なことだと思います。兆民の、時代の複雑性を表した『三酔人経綸問答』は今こそ読まれるべき本だと強く感じます。


三酔人経綸問答 (岩波文庫)

三酔人経綸問答 (岩波文庫)