追悼・菅原文太さん


11/28(金)に菅原文太さんが亡くなったことが本日報道されました。
高倉健さんに続く日本映画のスターが亡くなりとても悲しく思います。


僕は役者の演技の善し悪しがはっきりとは分かりません。
とても知りたいと思っているのですが。
そんな僕に菅原文太さんはヒントを与えてくれた役者でした。


主演の『人斬り与太 狂犬三兄弟』においてです。
この映画には飲み食いのシーンがけっこうあるのですが、
菅原文太さんがラーメンを食べているシーンに思わず釘付けになりました。
それまで幾度となく映画で飲み食いのシーンを観てきましたが、菅原文太さんのそれは衝撃的でした。
綺麗に食べるとか、旨そうに食べるとかそういう類いのものではありません。
むしろラーメンの汁を飛ばさんばかりに、飲み込まないうちから麺を口に詰め込むような、汚い食べ方といった方がよいものでした。
しかしそんなことはどうでもよかった。
ただ食べているものがそのまま走るエネルギーに、怒鳴るエネルギーに、泣くエネルギーに、笑うエネルギーに、そして身体の組織を作る素になっていくことを確かに感じられる、まさに生きることと直結した食べ方がとにかく衝撃的で、限りなく魅力的なものとして目に飛び込んできたのです。
ゾクゾクしました。
食べることの本来的な意味を僕は知りました。
そしてお腹を満たすために食べるのではなく、活動するために、生きるために食べるという人間どころではない、生き物の根源的な営みを表現する役者・菅原文太に対して、賞賛といった類いのものでなく、畏れといったらいいのでしょうか、畏敬の念が湧き上がるのを確かに感じました。


その後、僕は役者の巧拙に一つの基準を持てるようになりました。
食べることといったものだけでなく、走ること、階段を昇ること、歩くことなどを含めた「身体性」と自分で名付けたものがそれです。
これを言葉で説明するのは難しいのですが、身体運用そのものの意味をもつ動きといいましょうか。
曖昧なので具体例をあげると、『昭和残侠伝』の高倉健さん、池部良さん、『幕末太陽傳』のフランキー堺さんや、『七人の侍』の三船敏郎さん、志村喬さん、『兵隊やくざ』の勝新太郎さん、『寅さん』の渥美清さん、『探偵物語』の松田優作さんなどなどに、溢れる「身体性」を感じます。


菅原文太さんのラーメンを食べるシーンは、役者の凄みを僕に教えてくれました。
今でもそれは、僕の映画鑑賞に豊かな光を与え続けてくれています。
ただ、一心に感謝です。
心よりご冥福をお祈りいたします。


合掌