この前買った本

修業論 (光文社新書)

修業論 (光文社新書)


内田さんの本は新刊が出たら、ほとんど買っています。
内田さんが書かれるものは、社会から教育から思想から宗教から武道から、、、
本当に多岐に渡ります。
全てに関して、僕自身が興味関心があるものではありません。
武道にはまったく触れておりませんし。
しかし、武道の本でも買います。
それは、内田さんの書かれるものは、例え武道のことであっても、
武道そのものの範疇におさまるものではなく、
思想にいったり、宗教にいったり、教育にいったりと、
他分野との繋がりが常にあるからです。
内田さんの書かれた武道に関する文章から得た知見は、
政治、社会、教育などのことを考える際にも多いに有効である場合が多いです。
それは内田さんの政治について書かれた本を読んで、
教育や社会や宗教などを考える際に有効であることも意味します。
茂木健一郎さんの言葉を借りれば
「知の補助線」が至るところに張り巡らされているということです。
AがBにも、Cにも、Pにも、はたまたまったく畑違いの5にも繋がってしまう「関連」が、内田さんの書かれるものの中には至るところに埋め込まれています。それは「知識」という単発のものではなく、「思考方法」という何にでも応用できる基礎となるものが書かれていることによるのだと思います。
だから僕は内田さんの書かれたものは、どんなものを扱っていようが
読むようにしています。


内田さんの書かれたものを読むようになり、
例えばAという分野と、Bという分野を繋げる、という習慣がついたように思います。スポーツのことを考える時に政治のことを考える時の思考方法を応用してみたり、映画のことを考える時に社会問題のこと考える時の思考方法を応用することはよくあります。
矛盾するようですが、そうなると最早「これはスポーツのもの」「これは政治のもの」というジャンル分けが無効になります。その境目が溶解し、全てが同じ場所にいて考える時に一緒になって事に当たる、という感じです。
内田さんには、「異分野を繋ぐことを通して、分野そのものをなくすことによる思考の自由」を教えていただいたように思います。




新しい国へ 美しい国へ 完全版 (文春新書 903)

新しい国へ 美しい国へ 完全版 (文春新書 903)


前の首相時代直前に刊行した『美しい国へ』という本に、少し加筆したのがこの本のようです。
美しい国へ』は読んでいなかったので、この人がどういう人なのかを知るために買ってみました。
読んでみたところの安倍氏はこういう人


・ 「攻撃的政治家」であると明言(軍事が大好き、という意味ではありません)
・ 常に「敵」を想定している
・ 国、共同体>個人 という考え方
・ 元英国首相・サッチャー氏を大変に評価している(特に教育行政)


などなどですが、もっとありました(笑)。
メモをした本が手元にないので確認後追記します。


世の中に真に邪悪な人はいないものと思います。
いてもほんの少数ではないでしょうか。
安倍氏も彼の「善意」に則って政治をしているのだと思います。
「善意」に則って、憲法改憲を謳い、原発推進をし、TPPに前のめる。
そしてそれに反対する人も「善意」によってです。
「善意」と「善意」のぶつかりあいです。


これが「善意」と「悪意」のぶつかりあいだったら、
ことの解決法は至って単純です。
「悪意」を取り除けばいい。
「悪意」は取り除かれるもの、という広く共有されているであろう大原則を結集させることでそれは達成できそうです。
「悪意」に対してはその結集がしやすいものです。
「善意」と「善意」のぶつかりあいでは、そうは行きません。
どちらも「善意」なので、どちらも「私の方が正しい」と思っています。
相手が「悪意」の時にできた結集も、「善意」対「善意」の間では
難しいかもしれません。
それぞれの「善意」に則って立場を決めるなら、
両サイド数の差はあるかもしれませんが、一方が圧倒的に数で勝るような状況にはならないのではないかと思います。
その場合、対「悪意」の時のような、どちらかがどちらかを打ち負かすという方法はよろしくなさそうです。
その方法では、脱落者が大勢出てしまいます。
一方の「善意」がもう一方の「善意」を駆逐するという勝ち残り方式は、
「国民」という全員が救済される対象である場においては取られるべきものではありません。
「国民」という全員が救済される対象である場とは、政治の場です。
政治の場において、脱落者が大勢でてしまう勝ち残り方式はそぐわない方法です。
政治における「善意」対「善意」には、
勝ち負けをつけて終了、という簡単な方法が取れない難しさがあるのだと思います。



そんな状況において、安倍氏の「善意」を知る手がかりを得ることは、
大いに有効なのではないかと思い、この本を読んでみました。
その一端として、憲法9条改憲集団的自衛権については、
「平和のために」する必要があるという見解のようです。
どういう理屈で「平和のために」なのかがよくわからなかったのですが、
そういう考えのもと、憲法9条改憲集団的自衛権について考えているようです。



「善意」対「善意」の行く末が僕にはよく見えないのですが、
「ウィンウィン」ではなく、「ルーズルーズ」(©内田樹)の形をつくるための対話によるのかな、と漠然と思っています。
ただ、憲法に関して、そのようないわば「中を取る」的なものではよくないよなあ、なんて思ったりで、結局考え中です(笑)。




なんだかガッツリした人が集まった対談本です(笑)。
自民党憲法草案に「国防軍」という言葉が出てきました。
自民党国防軍に関する説明を読んでもいまいちよくわからなかったので、
買ってみました。
自民党の説明を読んだ感想は「軍隊ごっこをしたいのかな」というどうにも腑に落ちないものでした笑)


まだ少ししか読んでませんが、尖閣諸島竹島についてのそもそもの話がありました。こういう歴史で明確に日本のものだ、といった内容でした。
尖閣諸島竹島の領有権はどちらにあるのか、
という話になると、日本側も相手側も「◯◯◯◯年のこの書物にこうある」と歴史書などを根拠としてそれを主張しています。
古ければ古い程、「最初に領有していたのはこっちだ」と、
古いもの自慢をしているのが現状ではないでしょうか。
それは、新たに古い書物が見つかれば、すぐに覆されるような淡い根拠です。
古い書物など証拠があるかないかの勝負になっている時点で、
それは永遠に領有権が確定されないことを意味します。
いつ新たな証拠が見つかるか分かりませんから。


先日「日朝関係150年史」というタイトルの勉強会に顔を出した際、
出席されていた在日韓国人の方が、「◯◯年の書物に〜〜〜で、竹島は韓国のものだとはっきりしている」という上記のような話をされていました。
それに対して特に誰も発言せずに、その場では
「ああ、そうなのか」という空気でしたが、
仮にそこに「日本の領有権を証拠づけるそれより古い資料がある」なんて言い出したら、途端に在日韓国人の方の言葉は宙に放り投げられてしまったでしょう。「どっちが古い!?」の勝負は永遠に決着が付かないのだなあ、と実感した次第。


そんな淡い根拠の応酬で領有権が争われる場所に関しては、
共同管理しか方法はないんじゃないか、と僕は思っています。
憲法を変えて戦争という解決法もあるのかもしれませんが、
資源があるとはいえ、あんな小島や岩礁のために国民が死ぬ可能性、
戦争後の国際社会での立ち振る舞い方の難儀さを考えると、
極めてどうしようもない下策としか思えません。



話は大きくずれましたが、この本で「国防軍とはなんぞや」を知りたいと思います。
上記のように「日本が戦争をすることは下策」と思っているので、それを遂行する国防軍も下策のうちに入るのではないかと推測していますが(笑)。




これからどうする――未来のつくり方

これからどうする――未来のつくり方

様々の分野の228人が、

1 私たちは,これから
2 〈3・11〉は終わっていない
3 政治を根底から問う
4 東アジアに生きる,世界に生きる
5 経済・労働・産業をどうする
6 科学・技術の明日
7 文化・芸術のゆくえ
8 家族と教育の将来像
9 私たちの社会はどこへ
10 生き方の新しい形

について論じています。
約650ページなので、1人3ページ弱といった感じで、
実際には「論」とまでは言えないかもしれません。
柄谷行人さん、緒方貞子さん、加藤典洋さん、養老孟司さん、大澤真幸さん、小森陽一さん、山折哲雄さん、内田樹さん、國分功一郎さん、藤原帰一さん、想田和弘さんなどなどの方々が執筆されています。
「いつも本をよんでます!」
「名前は知ってるけど、本は読んだことない」
「名前すら知らない」
と様々な人が書かれるものを一冊で読めるのは大変有り難いです。
1,995円なので、一執筆者当たり8.75円!!
驚異的です(笑)。
自分の視界を広げるのに役立ちそうな本です。



宮本武蔵(三) (新潮文庫)

宮本武蔵(三) (新潮文庫)


新潮文庫で今年1月から1ヶ月1冊のペースで、発売されているようです。
いつか読もうと思ってたのでこの機会に読むことにしました。
この作品は昭和11年に新聞小説として連載された作品とのこと。
二二六事件の年ですね。
それを考えると、小説内で使われる言葉や考え方がとても興味深く思えます。
全8巻のようなので、まだまだ楽しみがあって嬉しいです。