爆笑問題「桜を見る会」批判から日本人性を思う

爆問太田、首相主催の「桜を見る会」で満面の笑み 「安倍バカ発言」を「手のひら返し」と批判の声


安倍晋三首相(60)が主催する「桜を見る会」が2015年4月18日、東京・新宿御苑で行われた。各界の著名人ら約1万5000人が招待され、その中にはお笑いコンビ「爆笑問題」の姿もあった。


 「爆笑問題」といえば、太田光さん(49)が先ごろのラジオ番組内で安倍首相を再三「バカ」呼ばわりし、物議を醸したばかりだ。
(後略)


J-castニュース 4/20
http://www.j-cast.com/2015/04/20233455.html


先週末のちょっとした話題になっていた、爆笑問題が安倍首相主宰の「桜を見る会」に出席したことに関する報道です。
何で話題になっているのかといったら、
3/29のTBSラジオ「日曜サンデー」の中で、


「安倍っていうバカ野郎」
「総理大臣でもバカはバカでしょ」
「国を守りたい、日本を取り戻したいって言うのなら、沖縄を取り戻せと思うし。沖縄は日本ですよ。なんで日本を守らないの、あのバカは」


と発言し、首相を批判しながら、「桜を見る会」に出席したことに注目がいったからでしょう。
「変節」「手のひら返し」などの言葉がその注目には付随しています。
引用した報道もそれを主旨にしたものになっています。
爆笑問題太田光さんといえば、「ちょっと変わった見方」で、「歯に衣着せぬ発言」で、政治や社会を「切る」といった印象を持たれていると思います。政治の話も、社会問題の話も、芸能の話も、何の話でもできる「一家言もった」タレントとして認識されています。
それだからこそ、今回のような形で話題になるのでしょう。


ただ、爆笑問題はタレントです。
「タレント」の意味をここでは、「不特定多数を相手にテレビやラジオに出演し生計をたてている人」として使いますが、爆笑問題もその枠であることは明白です。
普段政治的な発言をしてても、タレントです。
テレビやラジオで数多くのレギュラー番組を持っている彼らにとって、お客さんは不特定多数の「国民」です。そんな「国民」にウケることが彼らタレントにとって死活的問題です。「国民」にそっぽ向かれてはご飯が食べられませんから。「国民」の関心が向くところに顔を出すのはタレントの振る舞いとしては当然のことであり、営業努力でもあるわけです。「桜を見る会」に出席したこともその範疇であって、別に不思議でもなんでもありません。「変節」でも、「手のひら返し」でもなんでもありません。爆笑問題に「安倍批判の急先鋒」を担わすこと自体間違えているわけです。タレントなんですから、注目を浴びるような発言をし、注目を浴びる場にいることは自然なことです。
ちなみに、「国民」がどのようなものであるかの一例を挙げたいと思います。

内閣総理大臣が主催する『桜を見る会』に乃木坂ちゃんが招待された模様 ! 乃木坂凄いな。。」
安倍総理さんと乃木坂46が一緒に写真とるとか凄すぎ!! やっぱり乃木坂46の時代やね。」


http://matome.naver.jp/odai/2142936414962007801


これらはあくまで「国民」の声の一例でしかありませんが、確かに「首相の桜を見る会に出席し、一緒に写真を撮ることがすごい」と思っている人がいるわけです。50%を超える支持率や、昨今の「安倍、隆盛」などから、これらの声を必要以上に増幅させる状況があることは見逃してはなりません。
「国民」にウケることを最上級の価値におくタレントであるなら、「桜を見る会」なんていうのは格好の場といっていいでしょう。「国民」に「すごい!」と思わせる絶好の機会なのですから。その後のお仕事にも好影響を与えることでしょう。めでたし、めでたし。


長々書いてきながらで恐縮ですが、爆笑問題が桜を見に行った、安倍首相に会いに行ったことなんてどうでもいいです(笑)。
僕がこの報道に触れて思ったことは、
「日本人というのは´二枚舌´を許さない国民なんだなあ」
ということです。
爆笑問題太田さんに対しての主な批判は、「安倍バカだって言ってたのに、のこのこ桜を見る会にいくとは何事だ。しかも、嬉しそうに一緒に写真を撮りやがって」といったものです。
「言ってることとやってることが違うじゃないか」と。
それを象徴する言葉として、「変節」「手のひら返し」などが使われているのですが、これらの言葉の前提は、「人は本来一面しか持っていない」さらにいえば、「人は本来一面しか持っていけない」という認識です。

変節
節義を変えること。信念・主義・主張などを変えること。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/200443/m0u/


手のひら返し
言葉や態度などが、それまでとがらりと変わる。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/152192/m0u/


これらの意味を確認するとその認識がより強調されるのではないでしょうか。
「手のひら返し」なんて、表と裏の関係で、0か100かの関係です。
純粋なわけです。10%と90%とか、50%と50%なんていう混ざり気は許さない。
そんな意気込みを感じられる言葉です。意気込みなんてないのでしょうが(笑)。


そのことは最近別の報道でも感じました。

米比合同軍事演習開始 中国けん制が狙いか


アメリカとフィリピンは20日から合同軍事演習を始めた。去年の倍にあたる兵士が参加していて、南シナ海への進出を急ピッチで進める中国をけん制する狙いもあるとみられる。


 アメリカ軍とフィリピン軍の合同演習「バリカタン」は20日、フィリピン国内で始まった。去年の倍にあたる1万1000人余りが参加し、30日まで上陸作戦や海上輸送などの訓練を行う。


 南シナ海では、南沙諸島などで中国が実効支配を強めており、演習の規模を拡大することで中国をけん制する狙いもあるとみられる。


 フィリピン軍は演習の開始直前に、南沙諸島のファイアリークロス礁などで中国が埋め立て工事を進める写真を公開。「軍事利用が可能な開発で、領有権を主張する国との緊張状態を高める」と批判し、工事の中止を求めた。


日本テレビ 4/20
http://www.news24.jp/articles/2015/04/20/10273395.html


「フィリピンとアメリカが、中国を牽制するために合同軍事演習を始めた」という内容ですが、目的はこれだけではないのでしょうが、現在持ち上がっているフィリピンと中国の南沙諸島の領土問題を考慮すれば中国牽制というのは大きな目的なのかもしれません。
フィリピンと中国は関係が悪くなっている、というのが前提となっている報道ですが、一方でこんな報道もあります。

AIIBへはアセアン全ての国が参加を表明


中国が主導し設立を目指しているアジアインフラ投資銀行(AIIB)には合計で50カ国程度が参加する見込みである。現時点における発表では、アセアンの10カ国(ブルネイカンボジアインドネシアラオス・マレーシア・ミャンマー・フィリピン・シンガポール・タイ・ベトナム)の全てが参加する見込みであるが、これらの10カ国におけるAIIBへの支持の度合いは大きく異なっている。
(後略)


ASEAN PORTAL 4/1
http://portal-worlds.com/news/asean/2940


フィリピンが、中国が主導するAIIB(アジアインフラ投資銀行)に参加するという内容です。
一方で領土問題で険悪な状態にありながら、他方では中国が主導するAIIBに参加するわけです。
日本人から言わせれば、「二枚舌」となるかもしれませんね。
「領土問題で仲が悪いのに、何で中国に擦り寄るんだ!」という声をもって。
それは日本のAIIBに対する態度からも覗えます。
日本がAIIBに現在のところ参加表明していないことは周知のとおりです。
これには多くの理由があるものと思われます。
巷で言われているのは、
アメリカの意向
・AIIBの組織が不透明
などが多いと思いますが、そこに僕は一つ加えたいものがあります。それは、
・二枚舌でありたくない、という純粋思考
です。


誰もが認識し、感じているように現在の日本は中国と良い関係にはありません。
安倍政権になってその傾向は急激に加速されています。実際、安倍政権を構成する人々は中国のことを嫌いな人が多いのだろうと推測されます。それが一部国民にも伝染っていることも、昨今の状況からも覗えます。
要は、「日本は中国と仲が悪い」わけです。自分がどう思おうと、国としては仲が悪い、と。
そんな誰もが認識している状況において中国に近づくことは、日本人にとっては率直に「二枚舌」と感じられるものです。「日本は中国と仲が悪い」という「表」に対して、「中国に近づく=AIIBに参加する」という「裏」は共存され得ない、ということを率直な気持ちとして持っているのではないか。
これは「AIIBには参加しない」と判断した政府だけでなく、日本人全般にもある心象です。
「日本は中国と仲が悪い」のに、「中国に近づく=AIIBに参加する」ことは、「潔くない」のです、日本人にとって。
この言葉を飛躍させれば、「武士道に悖る」です。
国益とか、今後の世界状況、経済的なメリット・デメリットなどのクールな判断以前の「武士道に悖る」という確固たる「反二枚舌」のために、日本がAIIBに参加するという判断はあり得なかったのではないでしょうか。
僕はそんなふうに思います。
一応付け加えておくと、僕は「日本はAIIBに参加すべきだった」などと言っているわけではありません。僕には参加したほうがいいのか、不参加がよいのか判断できる知識も情報もありません。だから分かりません。
ただ、「なぜ日本が不参加を選んだのか?」についての考えを書いただけです。
その判断の可否は分かりませんが、その判断の根底に上記のような「反二枚舌」思考があったとしたら、それは国の判断方法として妥当だったのか、とは思います。
「反二枚舌」思考=武士道は、日本人の心の宝のようになっています。その詳細をどんなけ知っているか分かりませんが、「日本人は美しい」ものの象徴のように語られます。
それを個人がもつのは結構ですが、それが政府の判断に深くかかわっているとしたら、それはいささか問題かと思います。政府の人間も日本人です。「武士道」が好きな人も多いでしょう。その日本人性を政府の人間であっても捨て去ることは不可能ですが、それでもそこに囚われない知性、判断力、分析力などは必要でしょう。
AIIB不参加という判断には様々な理由があるのでしょうが、「反二枚舌」思考がその根底にあるように感じました。その判断に対して、国民からは特に大きな声があがっているようには思われません。それはAIIBというものが今のところよくわからないというのがその大きな理由でしょうが、不参加という判断が日本人が共有する「反二枚舌」思考に寄り添ったものだった、というのもその理由のように僕は思います。
そのうち日本もAIIBに参加することになると僕は想像しています。
その過程で、「日本は中国と仲が悪い」というのは当面このままでしょうから、「裏」である「中国に近づく=AIIBに参加する」を「表」に近づけていく作業を政府は行っていくでしょう。
「表」に一致させることを通して参加といった流れになるものと思います。
ここでもあくまで「反二枚舌」思考という日本人性を通すはずです。


フィリピンは「領土問題で険悪」でありながら、「AIIBに参加する」という「二枚舌」を発揮しました。
僕は、政府の政策のありかたとして「二枚舌」を歓迎します。それくらいクールであってほしい。
爆笑問題の「桜を見る会」出席への批判とAIIB不参加には根底に共通する日本人性があるように感じた次第です。