伊藤博文の憲法観と現在

伊藤公のごとき政治家は、整然いろいろなる非難も受けたけれども、立憲政治を日本に成り立てるということ、憲法が出来上がってからは、その憲法をばどこまでも維持して行きたいという精神を終始失わなかった。その当時でも一方の武断に傾いた政治家は、あるいは一時の議院の騒動などから、憲法中止などというような謬った考えを出す人もなきにしもあらずであったし、伊藤公もまた自分が作った憲法のために束縛されて、実際為政家としては、よほど困難の地位に立ったこともしばしばあるけれども、幸いに伊藤公は政略家としてはあるいは欠点があったかも知れぬけれども、政治上の徳義として、一旦立てた方針を枉げるべきものでないということについては、確かな信念のあった人であるので、とうとうこの立憲政治の存廃などについては、少しも疑いをもたなかったのである。それに依って今日までこの立憲政治も相続し、維新当時の改革の精神も相続して来たのである。こういうことは機械主義の政治家の学び得難いところであって、これすなわち伊藤公が新しい日本の創建者としては、故桂公とか、あるいは現存しておる山県公などに対してもはるかに優れておって、百世不朽であるべき点であろうと思う。


内藤湖南著『支那論』(文藝春秋ライブラリー)P156からの引用です。
伊藤公とは、伊藤博文のことです。この文章が書かれたのが、1914年(大正3年)です。今よりちょうど100年前ですね。
大日本帝国憲法が施行されたのが1890年(明治23年)。
この文章が書かれた時が施行されて、25年目といった感じです。
日本に憲法というものが作られて四半世紀後の文章です。
その時すでに「立憲政治」がしっかり認識されていたことは大変興味深いですね。
伊藤博文においては、

伊藤公もまた自分が作った憲法のために束縛されて、実際為政家としては、よほど困難の地位に立ったこともしばしばあるけれども、幸いに伊藤公は政略家としてはあるいは欠点があったかも知れぬけれども、政治上の徳義として、一旦立てた方針を枉げるべきものでないということについては、確かな信念のあった人であるので、とうとうこの立憲政治の存廃などについては、少しも疑いをもたなかったのである。

だったとのこと。
大日本帝国憲法創作の中心人物でることの矜持でしょうか、憲法の元に国家運営は行われるべき、
という強い信念を伊藤博文はもっていたようです。
現在の日本の政治状況を伊藤博文が見たら何と言うか? を考えてみることは、
非常に有益だと思います。
それは憲法の歴史、立憲主義などを学ぶことであり、それに基づいて安倍内閣の政策を知ることになることですから。
安保法制懇、内閣法制局長官人事、NHK会長人事など、安倍内閣は自分たちのやりたいことをやるための前提を好き勝手に編制するという、言わば‘禁じ手’を連発します。
伊藤博文の姿勢とは正反対です。
ここに存在する問題点は、議論を無視する姿勢であり、自分たちに対する一片の疑いがないことです。
政策を実現するための最短距離を人事によって達成しようとする考えがありありです。
それは議論の無視につながります。
それは民主主義国家の為政者として失格です。
さらに為政者の資質として僕が必要だと思う、「自分の政策に対する疑い」が全くないことの表れでもあります。換言すれば、「自分の政策は全て正しい」という姿勢であり、それは為政者として極めて危険です。
安倍内閣の不気味さの一端はここにあるのではないかと感じています。


日本における憲法創世記を学ぶことで、改めて安倍内閣憲法に対する態度、姿勢を点検してみようと思います。