解釈改憲、その後の予測


5月3日(土)の憲法記念日、第30回憲法記念日集会@群馬音楽センターに参加しました。
全国各地で様々な憲法に関する集会が催されていたようです。お隣の前橋市の集会では、福島瑞穂さんの講演があったようです。
僕が参加した高崎市の集会では、2008年に名古屋高裁で出された自衛隊イラク派兵違憲判決を勝ち取った弁護団の事務局長である弁護士の川口創さんの「戦争する国作りを止め憲法9条をいかす」という講演、NPO法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」理事長の講談師・神田香織さんの「チェルノブイリの祈り―未来の物語」という講談がありました。約2時間半でした。
主催者発表で1,900人が参加したそうです。群馬音楽センターの座席数が1,932でほぼ埋まっていたので本当の数字だと思います(笑)。30回を迎えた憲法記念日集会において、最多数の参加人数だったそうです。やはり世間的にも憲法の関心が高まっているのでしょうね。参加者は前の方は「9条を守る会」などの団体が3、4つ旗を立てていましたが、後ろの方は個人で参加されている人も多かったようです。参加者の平均年齢は、ざっと見で65歳くらいでしょうか。中には若い男女や学生風の人、小さな子供を連れた夫婦などをいて、何だかとても嬉しかったです。
僕の参加理由の一つは、「こういう集会における党派臭はどれくらいなのか??」ということを感じたかったからだったのですが、参加していた人を見ると想像以上にその臭いは少なかったように思います。ただ会場に入る時「ご苦労様です」と言われた時は、「寄り合いに義務的に参加したわけじゃないんだけど」と思いましたが(笑)。「ご苦労様」に、前提が身内である、といった意味を感じたのですが、その意識が憲法を一般から離しているのではないか、とも感じました。ちょっと気になる点ではありました。

最近、「行政が憲法集会の後援をしない流れがある」という報道がさかんにされていたので、後援情報を記しておきます。
【参考】
千葉市も自主規制 平和集会 後援断る」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014041702000157.html


後援/高崎市群馬テレビ・エフエフ群馬・ラジオ高崎・上毛新聞・東京新聞前橋支局
   毎日新聞前橋支局・朝日新聞前橋総局


高崎市は後援をしていました。正直ホッとしました。
僕は行政の後援拒否はただの「思考停止」だと考えているので、そんな「私考えるのめんどくさいです」宣言を自分が住む高崎市がしていたら嫌だなあ、と思ったからです。単純な理由です(笑)。
ホッとはしましたが他市の動きもあったので高崎市の中でも何か議論があったのかな、と思い終演後に受付の人に聞いてみました。話を聞きたかった高崎市役所の人は会場にいない、とのことで詳細は聞くことができなかったのですが、受付の方が言うには何かゴタゴタがあったわけでもなかったそうです。ただ、前市長(松浦幸雄氏)は会場にも来ていたが、現市長(富岡賢治氏)はこないとのことでした。市長の個人的な信条なのか、高崎市としての姿勢なのか分かりませんが、以前とは確かに少し違うようです。
また、昨年まで後援をしていたNHKが今年は断ってきた、と5.3憲法記念日集会実行委員会の会長(?)がおっしゃっていました。電話で断られたそうで、その際明確な理由は言わなかったそうです。ここ数カ月のNHKと結びつけたくなるような話ですね。ちなみに以前は後援をしていた読売新聞も断りがあったそうです。


解釈改憲、その後の予測」といったことを書いてみたいと思います。
講演や講談であった内容ではないのですが、
それらを聞いている時に思いついたことなので、「僕にとっての第30回憲法記念日集会」として記しておきます。



安倍政権は憲法解釈によって集団的自衛権を容認し、法整備を進めようとしています。
集団的自衛権容認、それ自体にも僕は大きな問題があると思っています。
日本が戦争に巻き込まれる可能性が増大する、軍事費が増大する、
中国、韓国、北朝鮮をはじめとする海外諸国との緊張を高める、そして日本の世界におけるユニークな立場を放棄してしまうことなどがその主な理由です。
過去にも何度か集団的自衛権について書いてきました。


「この国のかたちの変更」
http://d.hatena.ne.jp/narumasa_2929/20140427/1398534315


集団的自衛権解釈変更に反対します」
http://d.hatena.ne.jp/narumasa_2929/20140103/1388759484


「米国の中国非難決議と日本」
http://d.hatena.ne.jp/narumasa_2929/20130730/1375169565



今回は集団的自衛権そのものについてではなく、解釈改憲によって集団的自衛権を容認したその後について予測をしてみたいと思います。
解釈改憲とは、憲法の条文を変えることなく、解釈のみで実質的改憲をすることです。
最初はまだ‘まとも’に憲法そのものを変更しようとしていた安倍内閣ですが、
それが難しい、時間がかかると見ると、「とりあえず解釈変えちゃおうぜ」といったノリで憲法改憲よりもずっとお手軽な法の変更や、解釈の変更に邁進しだしました。
法の変更での改憲は既に実行されました。特定秘密保護法です。
この法が破壊対象にした憲法の条文は21条です。

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


言論の自由を扱った条文ですね。
特定秘密保護法によってこの条文は大きく毀損されたと言っても過言ではないと僕は考えています。
法による憲法毀損であり、改憲です。
これを既に実行している安倍内閣がお次にやろうとしていることが、解釈による改憲です。「お手軽改憲講座」という参考書でも出したいのでしょうか、憲法自体を変えずに改憲することにご執心です。
憲法記念日集会で講演された川口創さんよる集団的自衛権容認+法整備の解釈改憲のスケジュールは、年末の日米ガイドライン改定に間に合わせることを念頭に作られているそうです。それだから急いでいる、と。
国内では与党の公明党からも反対意見がでていたり、世論調査でも過半数以上が反対をしている状況です。そんな状況を変えたいのでしょう、安倍内閣は必至に海外諸国の「集団的自衛権歓迎」の言葉を披露しています。先日のオバマ大統領訪日の際の「集団的自衛権を歓迎します」という表明を錦の御旗のごとく発表していたのは記憶に新しいです。
オーストラリアも支持表明をしていますね。現在ヨーロッパを回っている安倍氏の目的の一つは、各国で集団的自衛権承認を取り付けることなのではないでしょうか。
「海外は歓迎しているんだから!」を、公明党や国民の説得材料にしたいのでしょう。
しかし、ここでしっかり認識しなくてはならないのは、僕の想像が大いに入ってきますが、アメリカやオーストラリアなどが歓迎をしているのは、集団的自衛権行使そのものについてなのではないか、ということです。
一緒に戦争をしてくれる、自分の盾となっていることを歓迎しているだけではないか。
仮に集団的自衛権を禁止していた他国が、「日本に対してはその禁止を解いて、日本が攻撃されたらうちも反撃しますよ」と言ってきたら、日本としては自国の損害を減らすことができる、戦争費用も削減できるなどから、「歓迎します」というのは合理的な返答だと思います。(損得勘定において合理的という意味ですが)アメリカとオーストラリアの歓迎は、そんな合理的な判断をしただけではないでしょうか。そして、それはこういう言い方でも表現できると僕は考えます。
「合理的な判断として集団的自衛権容認を歓迎しますが、それはあくまで集団的自衛権容認に関してですよ。容認にもっていくやり方はお宅に任せますが、それに関しては別の判断が存在しますよ」
つまり、集団的自衛権容認に対する方法については、アメリカにしろ、オーストラリアにしろ、他の国にしろ、別の判断をするのではないだろうか、と思うのです。
それは解釈改憲という方法に対する判断です。


安倍氏は度々「価値を共有する国々と連携して〜〜」という言い方をします。

今回、欧州6か国を訪問しました。自由、民主主義、法の支配、人権といった基本的価値を共有する国々であり、かつ、世界の世論形成に大きな影響力を持つ国々です。
2014年5月7日 内外記者会見
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0507naigai.html


といったように。
ここには、意図的にか何なのか、立憲主義が入っていません。
立憲主義とは、
「政府の統治を憲法に基づき行う原理で、政府の権威や合法性が憲法の制限下に置かれていることに依拠するという考え方であり、以下のような内容を持つ。第1は、憲法によって国家権力が制限されなければならないという点である。第2は、その制限が様々な政治的・司法的手段によって実効性のある一群のより上位の法に盛り込まれていなければならないという点である。」
と認識されている主義であり、現在の世界において広く共有されているものであります。
当然アメリカをはじめ、多くの国はそのうちにあります。
安倍氏が「価値を共有する」国々は、ほとんど全てが立憲主義国家でしょう。
上記引用で安倍氏は「自由、民主主義、法の支配、人権といった基本的価値」と発言していますが、これらは何で守られているかといえば、憲法によってです。
各国の憲法によって各国民のそれらが守られているわけです。
大元には憲法があります。そして、憲法を有効にするために立憲主義が必要なのです。
憲法に守られた国民の権利が侵されないために国家権力は憲法に制御されている、
という取り決めがどうしても必要なのです。
また、立憲主義とは、人間の権利を守るという理想を結実した思想という側面のみでなく、もっと現実的な各国が暴走できないようにする安全弁でもあるのではないでしょうか。
一夜で国の姿勢が変わらないように、憲法で各国を縛っておくという安全弁。
立憲主義とは安全保障でもあるのではないかと思います。
その立憲主義を解体しようとしているのが安倍政権による解釈改憲です。
解釈改憲とは、文字通り「解釈という手続きによる改憲」ですが、
それは憲法を解釈という凡そ一定しない、極めて個人的なもので変更するという反立憲主義的なものだと言わざるを得ません。
権力を制御するための憲法を、当の権力が己の解釈で変更してしまうのですから。
安倍政権は、集団的自衛権を容認することで、日本国憲法9条を実質変更しようとしています。
彼らにすれば「そもそも日本国憲法9条で集団的自衛権は行使できる」という考え方なのでしょうが、これまでの日本政府の見解、そして何より、

1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


という条文からいって、そんなことできるはずはありません。
そう考えるのが「普通の日本語話者の読み方」です。


さきほども述べましたが、アメリカも他の国も日本の集団的自衛権容認は、損得勘定の合理性からすれば歓迎するのは当然と言えるでしょう。
しかし、そんな国々でも反立憲主義である解釈改憲に対しては、どうでしょうか。
世界で広く共有されている、理想の結晶であり、安全保障にもなっている立憲主義を蔑ろにする国はどのように映るのでしょうか。
不気味、ではないでしょうか。
その時々の政権の解釈でその都度実質的に憲法が変えられてしまう国に信を置くことは、普通に考えたら難しいです。
仮に安倍政権が集団的自衛権を容認する閣議決定をし、法整備をしたとします。
次の政権が今度は逆のことをやったとし、さらに次の政権は再度逆のことをやって・・・。
憲法は一切変わっていません。しかし、実質的な国の形はその都度変わっています。
そんな国は不気味です。
時の権力者の嗜好で国の形に関わる重大な事が決まってしまう=憲法を己の希望で変えてしまう権力者がトップに立っている国が不気味でないはずがありません。
まるで(我々が想像する)北朝鮮ではないか。


解釈改憲は、立憲主義という世界の多くの国で共有されている価値感の中において、
到底認められるものではありません。
それを目指す安倍政権がいくら
「今回、欧州6か国を訪問しました。自由、民主主義、法の支配、人権といった基本的価値を共有する国々であり、かつ、世界の世論形成に大きな影響力を持つ国々です。」
などと言っても、大元の立憲主義を蔑ろにしている時点で「基本的価値を共有する国」とは他国から見られないでしょう。
その先にあるのは、「孤立」ではないかと危惧します。
「損得勘定のみで付き合われる国」が、「取り戻す」べき国なのでしょうか。


憲法を変えたい!憲法を変えたくない!
どちらの意見でもよろしいですが、いずれの意見であるにせよ、
解釈改憲という世界の価値感から逸脱する方法を取ることに対しては、
断固として反対をしなければならない。
僕はそんなふうに思います。



川口創さんの講演を聞きながら、そんなことをぼんやり思いました。