衆院憲法審査会の「違憲」判断がもたらしたもの

先週の木曜日に衆院憲法審査会において、自民、公明、次世代推薦の長谷部恭男早稲田大教授、民主推薦の小林節慶応大名誉教授、維新推薦の笹田栄司早稲田大教授のお三方が、「集団的自衛権行使は違憲である」という発言をされたことは大きなニュースとなりました。
このことが何をもたらしたのか、を考えてみました。
主に3つあります。


1、 集団的自衛権行使に対する反対が「反安倍」を乗り越えた


集団的自衛権行使に対する反対は以前よりありました。その反対理由は様々あったと思います。
憲法違反である」
「日本の戦争参加が現実的になる」
自衛隊員、国民の危険性が高まる」
などが主な理由かと思いますが、実はそれらを支えるより土台となる理由があったのではないかと僕は踏んでいます。
それは「反安倍」です。
特定秘密保護法、武器輸出緩和、原発再稼働、福島第一原子力発電所「アンダーコントロール」発言、原発輸出、解釈改憲、様々なヤジ、メディアへの圧力などなど、就任2年半の間に安倍氏は様々なことをやってきました。それに熱烈な支持を与える人がうまれたのと同様、猛烈に拒否する人もまたうまれました。そのような状況が定着した中での今回の集団的自衛権行使を含む安保法制です。
当然、猛烈に拒否する人は安保法制に反対が多でしょう。上記のような個別的な理由ももちろんあると思いますが、その前提として「反安倍」があることは否定できないように感じています。
恐らく、その感覚は一般にも滲み出ていて、認識もされているもののように思います。
集団的自衛権反対っていってるけど、安倍さんが嫌いなんでしょ」といった感じで。
その「嫌い」にはそうなる当然(と僕は思ういますが)の理由があるわけで、なにも安倍氏を生理的に嫌いとか、顔が嫌いとか、そういう好き嫌いではないわけです。
しかし、しっかりした(と思っている)理由があれ、「反安倍」は一般には「ただ安倍さんが嫌いなんでしょ」という、個人の好き嫌いの感情で捉えられているのではないかと思うのです。多分。
そう思われるとなかなか共感は得られません。なにせ、「個人的な感情」なのですから。
「あんたの勝手でしょ」でおしまいです。
下手すると、「あなたの方がおかしいんじゃない?」というしっぺ返しをくらう可能性もあります。


「反安倍」にはそのような危険性もあったと思うのですが、今回の憲法学者三人の「違憲」判断によって、「ああ、あなたが言っている反安倍ってこういうことだったのね」という、ある種の共感作用が広がったのではないか、と僕は感じています。
それは、


憲法学者というエライ人が言っている」、
「それも三人揃って」さらに、「自民党が推薦した学者まで」、
そして「ほとんどの憲法学者違憲と言ってるらしい」


という何重もの「証拠らしいもの」が急速に拡散されたことによります。
それらが提出されたことにより、集団的自衛権行使反対が「反安倍」という「特別な」思いをもった人たちだけのものでなくなったと思います。


また、「反安倍」という次元にいなかった憲法学者による集団的自衛権違憲表明によって、それほど関心のない国民だけでなく、政治について深く考える人にも、「反安倍ではない集団的自衛権反対」を広げたように思います。
衆院憲法審査会で「違憲」判断をした、長谷部恭男早稲田大教授は特定秘密保護法に賛成していますし、小林節慶応大名誉教授は自民党改憲勉強会の先生でもありました。いわゆる「反安倍」の人ではありません。(小林さんはここのところ「反安倍」熱があがっているように見受けられますが)
ここでもう一人の憲法学者の方をあげたいと思います。
佐藤幸治氏です。
参議院議員松井孝治氏が先日の佐藤幸治氏の講演についてこのように書かれています。

本来、基調講演だけで帰ろうと思っていたが、佐藤先生が、言い残したことは、後のディスカッションでとおっしゃるので残留。
講演と討論を通じて、深い歴史洞察と国家への熱い思い、そして未来への希望を失わない、佐藤先生ならではのお話しだった。
安倍政権批判を期待するモデレータ氏から、過去に政権とも関わった経験も踏まえ、政治家へのメッセージをと問われた佐藤先生の答えがふるっていた。
佐藤先生は、現代の政治家に全く触れることなく、行革会議最終局面の多忙な中で、沖縄に弾丸出張された橋本総理の沖縄への思い入れや眼差しについて、その言葉をひいて、目を潤ませながら(少なくとも私の目にはそう映った)、回顧されたのである。
このあたりが、端的に言って、本日の主催者の先生方と、佐藤先生の違いであろう。
佐藤先生の発言は、熟しつつ、しかし、時に、驚くほど青くもある。
憲法には、個別的には修正を加える事柄は、さまざまあるだろう。」
「だが、人類が、苦闘、悲劇、試練を繰返し、その理性と知性、英知で作り上げてきた立憲主義の土台は守るべきである。」と述べられた上で、
最後に、憲法97条の条文
「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
を読み上げることによって締め括られた一時間半近い講演。


https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1635866723294184&id=100006126152789¬if_t=like


佐藤幸治氏は橋本龍太郎氏が首相の際に行政改革会議委員だったという経歴がある方です。
佐藤氏は上記引用中にもあるように、「日本国憲法には個別に修正する必要はある」と考えられているようですし、「安倍政権批判を期待するモデレータ氏から、過去に政権とも関わった経験も踏まえ、政治家へのメッセージをと問われた佐藤先生の答えがふるっていた。佐藤先生は、現代の政治家に全く触れることなく、」ということからも、いわゆる「反安倍」の方ではないと思われます。
そのような方において、
「だが、人類が、苦闘、悲劇、試練を繰返し、その理性と知性、英知で作り上げてきた立憲主義の土台は守るべきである。」
という、いわゆる「反安倍」ではない、「反安倍」表明をされたわけです。
これが意味するところは、いわゆる「反安倍」とは無縁のところで、「反安倍」が成り立つことを論理的に証明したということです。
このインパクトは、好き嫌いとは全く違った方向から政治を見つめる人を集団的自衛権反対に巻き込む力があるものと思います。
佐藤幸治氏(ちなみにこの方、衆院憲法審査会で自民・公明党が最初に推薦した方です。佐藤氏に断られ、長谷部氏になったようです)の他にも、この種のインパクトをもたらす憲法学者はどんどん出てくるでしょう。


以上のように、幅広い層の人に「集団的自衛権反対」を広げたことが、衆院憲法審査会の「違憲」判断がもたらしたものその1です。


【参考】
憲法改正:「いつまでぐだぐだ言い続けるのか」 佐藤幸治・京大名誉教授が強く批判(毎日新聞
http://mainichi.jp/feature/news/20150606mog00m040002000c.html


人類の英知・立憲主義、悲劇の背景を忘れるな 佐藤幸治・京大名誉教授(朝日新聞
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11785706.html?_requesturl=articles/DA3S11785706.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11785706



2、 国民のもとに集団的自衛権行使を含む安保法制がおりてきた


5/26より安保法制に関する国会審議がはじまりました。
その間様々なことが議論されたのでしょうが、多くの人には何が何だか分からないものではないでしょうか。僕もよくわかりません。
それは法案の内容というより、野党議員の質問と安倍氏、中谷氏、岸田氏の回答がまったく噛み合っていないことによるのではないでしょうか。
ほとんどまともに回答していません。
岸田氏にいたっては、5/29の審議で「何度質問しても、まともな回答がない」ことを理由に野党によって審議拒否をされる始末です。
そのような状況の中、6/8で審議がはじまって2週間弱経ちましたが、2回だけ国民が「わかった!」という機会があったのではないかと思います。
1回は安倍氏による「早く質問しろよ」ヤジ(というか暴言)。
これは誰がみても「態度が悪い」です。何の知識もなくても分かります。「安倍氏、態度悪いな」。
分からないことが延々続く中において、この分かりやすさはピカイチです。
そしてもう1回が今回の衆院審査会における憲法学者三人による「違憲」判断です。
「エラい憲法学者が三人揃って、しかも自民党推薦の学者も違憲と判断した」
ということは、とても分かりやすいことです。
この2回のみではないでしょうか、多くの人にとって安保法制の国会審議で「わかった!」という機会は。
このことを「国民のもとに集団的自衛権行使を含む安保法制がおりてきた」と僕は表現しますが、これが衆院憲法審査会の「違憲」判断がもたらしたものその2です。


3、議論を「憲法」に引き戻した


5/26からの国会審議を聞いていると、
自衛隊員のリスクは増えるのか?」
「ホルムズ海峡での機雷除去を行うのか?」
「後方支援はどこで行われるのか?」
など、個別事象のことがほとんどでした。
それはとても大事なことです。当然議論しなければならないことなのですが、ちょっと待てよと。
「そもそも集団的自衛権行使って憲法違反じゃないの?」
というそもそもの議論の方が先じゃないかと。
そこで「憲法違反」ということになれば、個別のことなど議論する必要もなくなります。
まずそこを議論しなくてはならなかったはずですが、なぜか最初から個別事象のことから審議がはじまりました。
今回の衆院憲法審査会の「違憲」判断は、議論を「そもそも」に戻す役割を果たしたと思います。
実際、国会審議でも早速憲法に関する議論がはじまりました。
その流れで自民党はこの件に関する文書を提出することになったそうです。

学者の「違憲」に政府見解提出へ 安保特委10日審議


 野党は、四日の衆院憲法審査会に自民党などの推薦で出席した参考人の長谷部恭男早大教授が、他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を「違憲」と述べたことに関し、政府に公式な見解を示すよう要求。与党は受け入れ、九日夕までに各会派へ文書で提出すると約束した。


東京新聞 6/8
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015060802000216.html


今後もまだ憲法議論は続くでしょうが、そこに戻ったことを僕は良しとします。
それが3つ目です。



以上、僕が考える衆院憲法審査会の「違憲」判断がもたらしたものでした。