【告知】詩人・萩原朔太郎小冊子「SAKUTARO」完成

詩人・萩原朔太郎さんの小冊子「SAKUTARO」についてです。
僕は参加していませんが(笑)。



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先日、上毛新聞「旬の人」に載せて頂いた際に、一緒に紹介して頂いていた、
朔太郎小冊子「SAKUTARO」が遂に完成致しました!!わー!ぱちぱちぱち
暮鳥の解説本に引き続き、poemotionのメンバー四人で制作しました。


この冊子は、朔太郎をよく知らない方、特にガールズ向けに制作致しました。
イラスト有り。マンガ有り。ビギナーから、マニアまで。
こんなの今まで無かった?!「萩原朔太郎ミニガイドブック!」w


この冊子は、11月9日10日に高崎市街のMOTOKONYAにて開催されるイベント、「ZINPHONY」にて販売します。


◆「SAKUTARO」A5サイズ/フルカラー12頁/¥300−


よろしくお願いします。
会場には一応二日間とも行くつもりですが、常駐はしないので、
必要な方は連絡ください。


こちらの表紙が目印。クラゲは朔太郎の詩「月光と海月」から。



こちらが裏表紙。



研究例会も皆さんおいで下さいませ。
今回は新会長のあいさつに加え、マジック紹介もあります。
盛り上がる朔太郎研究会の熱気を、一緒に味わいましょう!


詳細は、
「脱け殻を抱く」http://golgotha00.blog25.fc2.com/


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萩原朔太郎さんについて書いてみたいと思います。


萩原朔太郎さんは、群馬県前橋市出身です。
日本の詩史(という言葉はあるのでしょうか笑)においても、
最重要詩人の一人であることは間違いありません。


丸谷才一さんは詩について、
「詩とは言葉の魔法である。「力をも入れずにして天つちを動かす」技術である」
という言葉を残しています。


萩原朔太郎さんの詩は、確かに魔法です。
言葉の選択や新しい言葉の創作において魔法となっている、わけではなく、繰り出される言葉の順序の的確さにおいて魔法となっている、のだと僕は考えています。
魔法とは、作為が拒絶された領域です。
「言葉の選択や創作」は、作為中の作為であり、だからこそはっきりとその巧拙を論じることができます。作為という分かり易い形のため評価‘できる’からです。
しかし、「言葉の順序」は誰の日常にも溶け込んだものです。
誰でもそれを日常的に選択し、運用しています。
詩人であろうが、会社員であろうが、自営業であろうが、男であろうが、女であろうが、子供であろうが、お年寄りであろうが。
誰の日常の中にも「言葉の順序」は必ずあります。
言うなれば、意思意欲で溢れる作為とは真逆の不作為の中にそれはあるのです。
「言葉の順序」は、それまでの人生において長い時間の中で培われてきたその人そのものです。
その人の知性、感情、知識、経験など、全てが総合されたそれまでの‘結果’です。
運用の日常性、長い時間の中で自然に培われてきた有時間性において、
作為というその場における創作とは一線を画すものこそ、「言葉の順序」なのです。
それは、その人の「血肉」とも言える程、その人自身を表す重要なものでありながら、あって当たり前の特別思いを巡らす機会が少ない不作為のものなのです。


萩原朔太郎さんの魔法は彼の「血肉」によって担保されているのだ、と僕は思います。
「血肉」は人のものを借りるわけにはいきません。自分で時間をかけて生成するしかありません。
その場で誤摩化しのきくようなものではないのです。
ここでより明確な言葉を使うなら、
「言葉の順序は作為でどうになるものではなく、不作為にならざるを得ない」
のです。


魔法は不作為に宿る。



言葉は古より残された贈り物であり、誰のものでもありません。
生きる人間ができることは、実はただその順序をカスタマイズすることだけなのです。
そこに言葉の運用者の巧拙がでるのだと思います。
そして、萩原朔太郎さんはその技術が圧倒的に高いことにより、
日本詩史の最重要人物の一人になり、「力をも入れずにして天つちを動かす」技術=魔法を手に入れたのです。