今日の一作 〜映画『ここに泉あり』 その1


高崎市に1914年に営業を開始した「高崎電気館」という映画館がありました。
名称からも時代を感じさせますが、(「電気ブラン」というお酒もありますが、明治、大正時代では、「電気」という言葉が‘ハイカラ’なものの象徴だったようです)
第一次世界大戦第二次世界大戦を経験し、昭和天皇崩御を見届け、2001年に閉館となりました。大正、昭和、平成という、白、灰色、赤、青、黒、黄色などの幾種類もの色が上塗り、上塗りされた時間の中で在り続けた映画館でした。


その映画館が、創業100年を迎える2014年に再度開館しました。前オーナーである広瀬公子さんより高崎市に寄贈され、高崎市が運営する形によってです。今や高崎市には、シネコンの他には、映画館は高崎シネマテークといういわゆる単館系の一つしかありません。今年28回を迎えた高崎映画祭が多くの映画関係者、映画ファンに支持され、「映画の街」としてもアピールする高崎市としては、その状況に対し何とかせねばという思いがあったのかもしれません。(あってほしいのですが)その対応策として、高崎電気館を再開させるという決断をしたのであれば、それは「まっとうなこと」だと僕は思います。なぜなら、映画文化は映画館という場所で育まれると思うからです。


シネコンは映画を観る場所ですが、「映画館」という場所ではありません。僕はシネコンを否定する者ではありません。毎週一度は必ずシネコンに映画を観に行きます。しかし、そこで映画文化が育まれるという感覚はありません。「シネコンは映画を観るためだけのものさ」なんて上から目線で言いたいわけではありません。映画に限らず文化というものは、ある種の「いかがわしさ」を土台にもつことが必須だと僕は信じていますが、シネコンにはその「いかがわしさ」がないのです。抗菌された無味無臭のキレイな場所という感じがするのです。(実際汚いとこもありますが)そこでは、「いかがわしさ」が発生するような不埒な暗闇も、カビ臭さも、ひんやり感などは排除されるべきものとして扱われます。シネコンが(恐らく)どんな世代も性別もが快適に、安全に過ごせる場所であることを目指す施設としては当然のことでしょうが、そこに邁進すればするほど文化から遠ざかっていくということもまた事実だと思います。役割を全うすればするほど、シネコンは「映画館」ではなくなっていくのです。


ある事象が文化になる条件として、ある程度の時間における批判に耐えるということが挙げられる、と僕は考えます。目立った事象、話題になった事象でも、3ヶ月後に誰も見向きもしなかったら、それは文化であるはずはありません。ただの流行です。1年、2年、10年後も生き残る生命力を証明した後、その事象は文化と認識されます。その生命力を発揮する根源こそ、「いかがわしさ」だと思うのです。僕はその言葉に、「人間の生理に密着した臭気」を託しているのですが、それがなければある程度の時間、人間を惹きつけておくことはできないのではないでしょうか。論理的にすっきりした事象は、その中身がいかに素晴らしくても、理解できるということにおいてその寿命は短いものです。要は飽きてしまうわけです。逆に、「人間の生理に密着した臭気」という論理で扱えない、実態が掴めないような土着性は、理解できないということにおいて永遠に飽きることがありません。飽きるという状態に達することができないために、長い時間を生き残る生命力を獲得することができ、それが文化となるのです。僕はそんなふうに考えています。


映画館には、場所場所によって味があります。その味は、その映画館に関与する人間の色が大きな影響を与えます。「いかがわしさ」があるのです。そういうところでなければ、文化は生まれません。シネコンという人間以前に組織の理屈が幅を利かす場所では文化が生まれません。臭気がないから。


高崎電気館は、「人間の生理に密着した臭気」がぷんぷんです。画像を見ていただければ瞬時にご理解いただけるのではないでしょうか。高崎市が、「映画の街」をアピールし、映画文化を育むための方法として高崎電気館を再開させたことを「まっとうだ」といった理由は以上のようなことによります。映画を文化として表現する目的の施設として、高崎電気館は全国的にも珍しく、効果を発揮するものとなるのではないでしょうか。


と、ここまで書いてきましたが、書きたかったことは、高崎電気館で見た『ここに泉あり』という映画についてでした。それは別稿で書くことにします。