今日の一作 〜 映画『おみおくりの作法』

※ ネタバレあり



 「人間の欲望は他者の欲望である」とは、ジャック・ラカンの言葉です。私の欲望は、他者から欲望されたい、他者が欲望しているものに欲望である、つまり、私のストレートな欲望ではない、といった意味でしょうか。


 一人きりで亡くなった人を弔うことを仕事とする公務員ジョン・メイは、一人暮らしで亡くなった男を弔うため、彼の身寄り、知り合いを訪ねて歩きます。ジョンの流儀として、故人の知人に葬儀に可能な限り出席してもらう、というのがあります。亡くなった男の足跡を追う中で、彼が住んでいた町の住人や通っていた店の店員、ホームレス仲間、そして娘にも会うことができました。そこでは故人についての様々な話がボロボロでてきます。「喧嘩で相手の手を熱い油の中に突っ込むような狂った奴」「ホームレスなのに決して物乞いをしない奴」「短気だったけど兄のように慕ってたんだ」…。しかしみな揃って、「葬儀には出席できない」とジョンの申し出を断ります。娘さえも。


 しかし、映画のラストを飾る葬儀の場面において、ジョンが訪れた人々は葬儀に出席しています。しかもみな葬儀を壊すほどではない温かい微笑みをもって。映画内において彼らが葬儀に出席した理由が語られることはありません。彼らはなぜ出席したのか? そのことを考えた時、「この人たちは、ジョンの欲望に欲望したんだ」とふと思いました。ジョンの欲望とは、一度も会ったことのない男の昔の知己を探しに電車を乗り継いでやってくること、つまり、見ず知らずの孤独な男を大切にする、という欲望です。その欲望がみなを欲望させた結果が葬儀に出席するということだったのではないか。


 人が大切にするものは、他者も大切にするものです。人が乱暴に扱うものは、他者も乱暴に扱うものです。大切にすることも乱暴にすることも、欲望です。その欲望は連鎖します。この映画を観終わった後に気持ちが温かくなるのは、ジョンの清らかな欲望が広く連鎖する優しい世界の存在にホッとするからなのだろうと思います。




<あらすじ>公式ホームページより
ロンドン市ケニントン地区の民生係、ジョン・メイ。ひとりきりで亡くなった人を弔うのが彼の仕事。事務的に処理することもできるこの仕事を、ジョン・メイは誠意をもってこなしている。しかし、人員整理で解雇の憂き目にあい、ジョン・メイの向かいの家に住んでいたビリー・ストークが最後の案件となる。この仕事をしているにもかかわらず、目の前に住みながら言葉も交わしたことのないビリー。ジョン・メイはビリーの人生を紐解くために、これまで以上に熱意をもって仕事に取り組む。そして、故人を知る人々を訪ね、イギリス中を旅し、出会うはずのなかった人々と関わっていくことで、ジョン・メイ自身も新たな人生を歩み始める……。
仕事の枠を越え、死者に対しても敬意を持って真摯に向き合う、それがジョン・メイの作法。誰もが迎える死の時間を、ジョン・メイはあたたかく心を込めて見守る。たったひとりで死んでしまったとしても、誰もが誰かと関わった経緯がある。そして、人との出会いこそが新たな人生を歩みだすきっかけになる……。ささやかで思いがけないラストシーンに胸が震える、かつてない感動作が誕生した。


公式サイト
http://bitters.co.jp/omiokuri/