今日の一作 〜 映画『柘榴坂の仇討ち』


※ネタバレあり


江戸時代から明治時代に移り変わるタイミングを背景にした浅田次郎原作の物語である。タイトルの「柘榴坂」は、東京都港区高輪三丁目と四丁目の境界に存在する坂とのことで、この映画を観て初めて知った。江戸時代には北側が薩摩藩島津家下屋敷、南側が久留米藩有馬家下屋敷と両側を広大な屋敷に挟まれていたようだ。素敵な名の坂だ。


江戸時代と明治時代、その最も大きな違いは何だろうか。ちょんまげと散切り頭か、池田屋鹿鳴館か、着物と洋服か、それとも旧か新か。見る角度から全く異なるので、その答えはないだろう。なら、自分で決められる、とする。僕はその最大の違いを、「向かう先」としたい。「死に向かって生きる」か、「生に向かって生きる」か、である。


江戸時代は武士の時代という。


「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」


 1716年に佐賀藩士・山本常朝によって書かれた『葉隠』の有名な一節である。この一節が一人歩きをして、「武士は死ぬことを美学とする」といった‘武士道’が広く出回った次第だが、『葉隠』自体、武士の処世術集のようなものである。「我人、生くる事が好きなり」という一節もあり、あくまで「生」を主題にしたものだ。それを下敷きにすれば、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」は、「武士道とは常に死を想定して生きることである」と言えるのではないだろうか。あくまで「生きる」ことが前提であり、「死を想定する」ことも生きるためのものである。「死を想定する」ことで、拘りがなくなり、潔い心持ちになり、‘涼やかに’生きることができる。その‘涼やかさ’こそが武士道であると『葉隠』は言っているのではないだろうか。


 この映画は二人の武士の物語である。桜田門外ノ変井伊直弼を守れなかった武士と、暗殺後逃げた武士。守れなかった武士は生涯をかけて逃げた武士を斬ることを誓い、逃げた武士は逃げながらも守れなかった武士にいつか見つかることを願う。追う者追われる者対極にある二人だが、二人とも向かう先は「死」だ。逃げた武士を斬ることを生涯の目標にすることとは、それが成されれば必然的に人生は終わる。一方の逃げた武士は斬られれば当然人生は終わる。二人ともそれを願っているわけである。二人の願いが成就した後に、「生」はない。「死に向かって生きる」二人の生活は、実にシンプルで、慎ましく、‘涼やか’である。財産を残そうとか、蓄えようとか、拘りが一切ない。


そんな武士道を体現する二人が遂に出会う。桜田門外ノ変から実に13年。明治6年1873年)のことだった。しかし、その日はちょうど仇討ち禁止令が発布されたその日だった。それは斬って死ぬ者と、斬られて死ぬ者二人の死を禁止することを意味する。そのどうしようもなさをぶつけるように二人は斬り合いを始めるが、追っていた武士には既にその禁止は禁止ではなかった。「もう忘れて生きてくれ。時代は変わった」と周囲に言われ続けた言葉が、既に追っていた武士を「生に向かって生きる」ことに変えていたから。「生に向かって生きる」者と、「死に向かって生きる」者との斬り合いは、二人ともを生き残らせた。斬り合いの中で自害しようとする「死に向かって生きる」者を、「生に向かって生きる」者が止めることで。そして、「死に向かって生きる」者を、「生に向かって生きる」者に変えることで。
 この時、二人にとって「死に向かって生きる」江戸時代が終わり、「生に向かって生きる」明治時代が始まったと言える。


 この映画は、再生の物語と言える。また、主君への忠誠の美しさ物語とも言えるが、僕は「死に向かって生きる」時代が終わり、「生に向かって生きる」時代が始まるという断絶の物語だと思う。それは‘涼やか’に生きることが美であった時代が終わったということであり、つまりは武士の時代が終わったことを制度や法律ではなく、そこに生きる人間によって表現したということである。そういう物語である、と思う。