今日の一作 〜 映画『ジャージー・ボーイズ』

※ネタバレあり


クリント・イーストウッド監督の作品です。監督としては35作目の作品となるようで、「そんなに撮っていたのか!」という驚きが正直なところです。1971年の『恐怖のメロディ』が初監督作品だったようで、40年以上前から映画を撮っていたのですね。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』の中で、主人公マーティが名前を聞かれて「クリント・イーストウッド」と答えた時が、僕のイーストウッド初体験だったので(笑)、役者のイメージの方が強かったのですが。と言いつつ、2000年以降の監督作品はほとんど観ています。ゴリゴリの共和党支持者(だと思われる)である彼自身とは一線を置きたいと思いますが(笑)、映画監督としては敬意を持っています。
どのような部分に敬意を持つか? 『ジャージー・ボーイズ』はクリント・イーストウッド監督のエッセンスが見事に凝縮された作品です。

<あらすじ>
ザ・ビートルズ以前に世界を席巻し、音楽界に不滅の伝説を打ち立てた4人組―― ザ・フォー・シーズンズ
代表曲「シェリー」「君の瞳に恋してる」は半世紀を経てなお世界中で愛され続ける名曲中の名曲。
希望のない町に生まれた彼らには音楽と夢があった。ニュージャージー州の貧しい地区に生まれ、成功から一番遠い場所にいた4人の若者が、自分たちの音楽だけでつかみ取った夢のような栄光の軌跡。そして、そのまばゆいばかりの栄光ゆえに、次々に彼らを襲う、裏切りと挫折、別離、そして家族との軋轢……。


公式ホームページより
http://wwws.warnerbros.co.jp/jerseyboys/about.html


2005年に上演されたミュージカル『ジャージー・ボーイズ』の映画版です。主人公フランキー・ヴァリ役は、ミュージカル版と映画版共通で、ジョン・ロイド・ヤングです。映画を観た瞬間に、フランキー・ヴァリ役は誰でも良いわけではない、ということが分かります。誰でも良い、というのは語弊がありますが、演技が巧い、顔が良いというだけではどうしてもフランキー・ヴァリ役はできません。なぜなら、「声」が絶対条件として必要だからです。この2曲を聴けばその意味が分かります。


「Can’t take my eyes off you(君の瞳に恋している)」


「Sherry(シェリー)」


 第一に高音であること、そして第二にまろやかな色気があること。当然歌が巧いことも含まれますが、これらの質をもった「声」が何よりも必要だということがこの2曲からも明らかです。


 映画の中でこの「声」は、「神から授かった才能」と表現されています。英語で言うと、「gift」です。「gift」というと、贈り物やプレゼントといった意味を連想しますが、才能という意味もあります。「a gift from God」という台詞が度々出てきます。「神からいただいたものなのだから、大切にしなさい」といった意味でよりも、「神からいただいたものなので、それをしっかり活かさなくてならない」といった、神への意識を基盤にする人、国の考え方です。才能はしっかり活かさないのは悪なのですね。
 この映画の軸は「gift」であり、「a gift from God」がいかに素晴らしいものかを表現する映画と言えます。そしてさらに強調すべきことは、その表現方法において成功しているということです。先述したイーストウッド監督のエッセンスとは、その表現方法の巧さにあると僕は考えています。


 その表現方法が成功した場面が3度ありました。まずは、フォー・ラヴァーズという名の3人組で活動していたフランキー・ヴァリたちのもとに、作曲・演奏・歌唱ができるボブ・ゴーディオが現れた時です。フォー・ラヴァーズのライヴ後に、ステージにボブが近寄り仲介者を通して自己紹介をします。作曲できる人間を求めていたフランキーはボブが持ってきた楽譜を見て、早速ピアノで演奏するように言います。フォー・ラヴァーズのメンバーであるトミー・デヴィートは端からボブをバカにして悪態をついていましたが、ボブが演奏を始めるとその場の空気は一変します。ボブがピアノで演奏しながら歌い出す中、スっとフランキーが楽譜を見ながらコーラスを被せてきます。さらにフォー・ラヴァーズのもう一人のメンバーであるニック・マッシがベースを手に取りストラップを肩に掛け、サポートのドラマーが柔らかなタッチで叩き出す中、最後に悪態をついていたトミーもギターをつられて弾きだします。


 この場面は前触れがあるわけではなく、空から急に降ってきたかのように、ストンと目の前に現れます。フォー・シーズンズの40年にも及ぶ活動をカヴァーしていることもあり、映画自体が物語を丁寧に追うという形ではなく、印象的な場面場面をつなぎ合わせていく形になっていることを考えれば、前触れがないことは全ての場面で同様なのですが、ボブ・ゴーディオの初登場場面はあまりの手際の良さに涙が出るほどです。それはフランキーの「声」の「gift」と、ボブの「作曲」の「gift」が初めて対面し、融合した瞬間です。フォー・シーズンズの歴史においても極めて重要な一点であり、イーストウッド監督は見事にそれを表現しました。
イーストウッド監督は、このような「一瞬で場面を盛り上げる能力」が実に高い。それは、静止画でも充分際立つ画でもあるし、間でもあるし、演出でもあるし、音楽でもあるし、カメラワークでもあります。全てを即座に渾然一体とさせ、瞬間的に昇華させる能力。徐々に盛り上げていくのではなく、瞬間的に盛り上げるので、観る方も不意打ちを食らった形になり、感じるより前に涙が出てくるといったことを引き起こします。その種の感情以前の感動を僕はイーストウッド監督以外の映画では味わったことがないかもしれません。不意打ちされる感情以前の感動。その手法は、監督作である『インビクタス』でも、『ミリオンダラー・ベイビー』でも効果を発揮しています。(前々作『ヒア・アフター』ではそれが見られませんでしたが)まさにイーストウッド監督のエッセンスです。


 フォー・シーズンズが解体状態になり、フランキーがソロで「Can’t take my eyes off you(君の瞳に恋している)」を歌う場面、1990年に「ロックの殿堂」に選ばれ、久々に4人が揃って歌う場面においても、イーストウッド監督の「一瞬で場面を盛り上げる能力」は発揮されます。フランキーがソロで「Can’t take my eyes off you(君の瞳に恋している)」を歌う場面は、彼の「gift」の再確認であり、「ロックの殿堂」で4人揃う場面は、彼らの「gift」の再発見です。
 「gift」を軸に、融合、再確認、再発見される場面が瞬時に引き上げられます。それはイーストウッド監督の「gift」への敬意であり、「gift」こそ自分の「一瞬で場面を盛り上げる能力」に適した素材である、という監督の想いだったのではないかと思いました。それは数々の「gift」に出会ってきたであろうイーストウッド監督ならではの感覚だったのかもしれません。