日米ガイドライン改定の中間報告

自衛隊の米軍支援拡大 ガイドライン改定で中間報告


日米両政府は8日、自衛隊と米軍の役割分担を定めた日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の改定に向けた中間報告をまとめた。米艦の防護など自衛隊の米軍支援を拡大。朝鮮半島有事の日米協力を想定した現行指針の「周辺事態」を削除して地理的制約をなくし「グローバル(世界規模)な平和と安全」のために協力する体制を整える。年末までの改定をめざす。


 防衛省で開いた外務・防衛局長級協議で決めた。新たな指針は中国の軍備拡大や海洋進出などを踏まえ、アジアに安全保障の軸足を移す米国の「再均衡(リバランス)政策」にも対応する。北朝鮮の核・ミサイル開発や宇宙・サイバー空間の軍事利用なども反映する。


 中間報告は「平時」から「緊急事態」まで、日米が「切れ目なく対応する」ことを打ち出した。「平時」「周辺事態」「日本有事」という3分類ごとに日米の役割分担を定めた現指針と異なる。


 新たな協力分野として弾道ミサイルを警戒中の米艦防護などを想定した「アセット(装備品)の防護」、シーレーン海上交通路)での戦闘下の機雷除去を含む「海洋安全保障」などを加えた。


 7月の閣議決定を踏まえ、日本が攻撃されていないにもかかわらず、他国への武力行使を日本への攻撃とみなして反撃する「集団的自衛権」を使う日米協力も明記した。「日本と密接な関係の国に武力攻撃が生じ日本の武力行使が許される場合の協力を詳述する」とし、具体的な内容は最終報告に盛りこむ。


 安保上の新たな課題として「宇宙とサイバー空間の安定」を挙げ、情報共有に取り組むとした。宇宙ごみなどから人工衛星を守るための状況監視や、自衛隊や米軍の運用に支障をきたしかねないサイバー攻撃への対処が主な課題となる。


 改定により「日米が国際の平和と安全に広く寄与する」とし、日本の安全に直結しない状況でも協力する姿勢を明確にした。部隊の輸送や補給を含む「後方支援」や、海賊対処などの「海洋安全保障」、国連平和維持活動(PKO)など7分野を列挙した。


日経新聞  2014/10/8 21:18
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDE08H03_Y4A001C1MM8000/

日米防衛協力のための指針の見直しに関する中間報告(2014.10.8) 防衛省
http://www.mod.go.jp/j/approach/anpo/sisin/houkoku_20141008.html



1、日本に「軍事」は可能なのか?

10/8に日米防衛協力のための指針、いわゆるガイドライン改定にむけた中間報告が発表されました。これは、当然、今年の7/1に閣議決定された集団的自衛権容認に関連付けたものを意図しているはずです。
ガイドライン改定は、2012年8月の民主党政権時に既にアメリカとの間で検討が合意されていたもので、安倍内閣集団的自衛権容認の閣議決定もこれにあわせてスケジューリングされたものだったのでしょう。それが、‘拙速’とも言われる慌ただしさを演出したのだと想像します。


現行のガイドラインとの大きな違いは、


・平時や周辺事態などの区分を削除
自衛隊と米軍の世界規模での防衛協力
集団的自衛権の行使を明記


と言ったところでしょうか。
アメリカ様のためなら、いつでも!どこでも!」
という元気な声が聞こえてきそうです。
アメリカの軍事費を肩代わりすることによる評価UPと、武器商売による経済成長を満たす最高の選択として、安倍氏周辺では笑顔で握手をし合っているのでしょうか。
これにより、日本の政治において選択股がひとつ増えることになります。
戦争の選択です。
やる、やらないではなく、その選択自体は誰がなんと言おうと今後の日本の政治の上にのぼることになりました。
70年間、その選択股を政治の俎上に乗せる必要のなかった日本において、
軍事を司ることができる人間がいるのか、僕には疑問です。
仮に安倍内閣としましょう。
日銀総裁内閣法制局NHK会長・経営委員、原子力規制委員会と、それぞれの人事に介入したことは記憶に新しい、というか、忘れる間もなく繰り返していますね。
これらの動きを、以前僕は「幼児性」という言葉で表現しました。
(「「幼児性」を共通にして」
http://d.hatena.ne.jp/narumasa_2929/20140917/1410882348
「自分のやりたいことは慣習や歴史を無視してでもやる」がその意味するところですが、
安倍内閣の急所である、経済、集団的自衛権原発においてなぜ幼児性が発揮されたからと言えば、非幼児性=真っ当な道ではやりたいことが実現できないと考えたからでしょう。
真っ当な道でも実現できるなら彼もそうするでしょう。
それができないから、幼児性を発揮させて裏道を通ったわけです。
ここに安倍内閣の無能力さが如実に表れているではありませんか。
裏道を通ることでしか、自分のやりたい政策を実現できない、と自らの行動でしっかり表明したわけですから。
「私はまともな方法では政策を実現できません」という安倍内閣の声を聞く時、
彼らが軍事など司ることができないことは、それこそ幼児でも分かります。
また、外交で何一つ成果を出していない安倍内閣において、
外交の延長である軍事を巧みに制御できるとは思えません。
安倍内閣に限らず、これまでの内閣の外交下手をみると、日本には軍事のマナーを習得している政治家はいないのではないでしょうか。
安倍内閣集団的自衛権容認の閣議決定、日米ガイドラインの改定には、その実務部分への関心がすっぽり欠如しているように思えてなりません。



2、再び現れた「幼児性」


今回のガイドライン改定の目的の一つは、集団的自衛権を明記することでしょう。それがメインと言ってもよいかもしれません。
しかし、現在まで集団的自衛権容認は閣議決定されただけで、まだまともな国会審議は行われていません。(わずか2日間!)具体的な法律もあがってきていません。いくつの法律を変更するのかも定かではありません。
報道でみるところによると、来年5月の通常国会に法案が提出され、審議されるそうです。
半年以上先ですね。閣議決定からは、10ヶ月ですか。
間違いなく言えることは、日米ガイドラインの改定がなされる年末か来年初頭には、集団的自衛権の行使を可能とする法律は日本において存在しない、ということです。
つまり、
集団的自衛権容認閣議決定(7/1)⇒日米ガイドライン(年末/年初)⇒国会審議(2015/5)
といったスケジュールになります。
国会審議の前にアメリカと議論を進めているわけです。
そして、アメリカとの間で何かしらの「結論」を出し、日米ガイドラインの改定を行うわけです。
アメリカの意向が充分に反映された「結論」を踏まえて法律を作り、来年5月の国会審議に入ることが推測されます。
ここで思うことは、戦後70年の日本において、アメリカの意向を無視して、反対して日本が何かをやったことはあったでしょうか?
僕が知る限りでは、1994年に北朝鮮空爆を計画したアメリカからの主運団的自衛権行使要求を拒否したことくらいです。実際はもっとあるのかもしれませんが、日本人も、アメリカ人も、他の国の人も「日本はアメリカに従属している」ことは共通認識となっており、日本がアメリカに対して自主的意見を持つことができないことは知られています。
そんな状況において、日米ガイドラインに反映されたことを、来年5月の国会においていくらい審議しても、それに違うこと=法律の否決、日米ガイドラインを逸脱する法律の変更ができるのでしょうか?
僕には甚だ疑問です。
つまり、日米ガイドラインという日本国民が全く関与できないところで出された結論が、法律となって日本人を縛ることになり、国会審議が全く意味をなさない状況を作りだしてしまう可能性が極めて高いのです。


安倍首相は自主憲法の制定を公約として掲げています。
(安倍公式HP http://www.s-abe.or.jp/consutitution_policy
そんな「戦後レジーム脱却」安倍首相にとって、「自主法律」の制定はどうなのでしょうか?
それはいらない?
今目の前に、「自主法律」の制定を侵される過程が広がっているではありませんか。
憲法はダメで、法律は良いのでしょうか?
憲法という国・権力を縛るものは自分たちで決める必要があり、
国民を縛る法律はアメリカ様任せでよいということでしょうか?
彼は「戦後レジーム脱却」を過去に表明しているわけでしょう。
それは端的に言って、「アメリカからの独立」じゃないのですか?
その一環が「自主憲法」なわけで、当然そこには「自主法律」もはいるべきでしょう。
論理的に言っても。そんな彼がなぜ、今回「自主法律」を拒否するようなスケジューリングをしたのでしょうか?
それこそ「幼児性」であると僕は思います。
彼は、「集団的自衛権行使=どうしてもやりたいことをやるために形振り構わずにやる」という選択をしたのでしょう。それを最も確実にするために、「自主法律」拒否というカードを切ったのだと僕は考えます。
そのやり方はまごうことなき「幼児」です。
そして、自身の矜持を捨てることを厭わない人間もまた、僕は「幼児」と呼びたいです。