「幼児性」を共通にして

 軍部とか、戦争とか、天皇とか、‘戦前っぽい言葉’から少し離れてみると、意外と違った見方ができるのではないかという試みをしてみたいと思います。


戦前日本を表現するのに様々な言葉があるのでしょうが、その一つとして「価値観の単一化」というのはどうでしょうか。‘戦前っぽい言葉’だと何だか白黒が全面に出てきてしまいますが、「価値観の単一化」と言うと現代にも地続きの言葉として、カラー化されたものとして目の前に現れてくるようです。この効果は、戦前を‘歴史’としてではなく、現代に色濃い影響を与えた一時期として見るのを促すことです。日本は、敗戦を境に全く違った国になったわけではありません。戦前よりかなりの部分を引き継いだ国です。政治家、官僚、日本国民が変わっていないのですから。そのため戦前、戦後を分けて考えることは、日本という国を見誤る危険性を含む行為であると言えます。この国は地続きです。戦前の表現方法を変えてみる試みはこのためです。


 では、どのような点で戦前日本は「価値観の単一化」を実践したのでしょうか。いくつか挙げてみます。


1925年(大正14年治安維持法 ※1941年(昭和16年)改訂
1939年(昭和14年)宗教団体法 ※1944年(昭和19年)大日本戦時宗教報国会結成
1940年(昭和15年大政翼賛会創立
1942年(昭和17年)日本文学報国会創立


他にもありますがとりあえずこの4つを考えてみたいと思います。
これらは大きく分けて二つに分けられます。
治安維持法と宗教団体法、大政翼賛会、日本文学報国会です。


治安維持法とは、国体や私有財産を否定する運動や人を取り締まるために制定された法で、その目的からも察することができるように、共産主義者を主な対象としました。ただ、政府批判をするものは取り締まりの対象となり、宗教団体、右翼団体自由主義者などもその中に含まれました。
この法を簡単な言葉で表現すれば「自分の考えと違うものは罰する」となります。「国体」や「私有財産」という「自分の考え」を否定するものは捕まえると言っていることからもそのように理解できます。


宗教団体法は、国家の統制下に宗教団体を置くことを目的とした法で、宗教団体設立をそれまでの届け制から、国の認可制にしました。
大政翼賛会は、当時の全政党が解党され新たに作られた官製国民統合団体であり、議会を単一の意見にするために候補者を推薦する翼賛選挙などをやったことはよく知られていますね。
日本文学報国会は、「国家の要請するところに従って、国策の周知徹底、宣伝普及に挺身し、以て国策の施行実践に協力する」ことを目的に創立された文学者の団体です。
宗教、国会、文学者と、至るところで「国家の統制におかれる団体・組織」が存在していたのが分かります。
これら3つを表現すれば、「国家の統制下には多様な価値観を認めない」といった感じでしょうか。単一の価値観しか国としては認めない姿勢がそれぞれよく出ていますね。


「自分の考えと違うものは罰する」と、「国家の統制下には多様な価値観を認めない」は、表現自体は違いますが言っていることは同じですね。すなわち、「価値観の単一化」です。
単一の価値観を守るためにそれに反する人・組織を罰し、単一の価値観を守るために統制を行い他の価値観を認めない。方法は違えど、やっていることは「価値観の単一化政策」です。戦前はその政策が至る所で採られていた時代だったと言えます。


ここで「価値観の単一化」という言葉をさらに解体してみたいと思います。
この言葉の意味するところとは、「一つの価値観しか認めない」ということを基本としています。それは、他、他人の意見や考えを排除することと同義です。そしてさらに、「自分のもつ価値観を絶対のものとして他を排除し必ず実現すべきもの」と広げても問題はないでしょう。つまり、「自分がやりたいことはどんな手を使ってもやる」です。それまでのルールや慣習などを無視して、「やりたいことをやるんだ!」と、法律を作ったり、組織を創立したりしたわけです。
当然この背景には複雑な事象が絡み合っているのですが、そういうものを一端置いといて、この「自分がやりたいことはどんな手を使ってもやる」をシンプルに見つめると、ある言葉が頭に浮かんできます。
「幼児性」という言葉です。
幼児の特徴とは、前後の脈絡の存在を知らずに欲しいものは欲しい、やりたいことはやりたい、と猛烈な勢いで主張し、それが通るものと思っていることです。
泣いたり、喚けんだり、どんな手を使っても自分の主張を通したく、必ず通ると思っている人。
それを幼児と言います。
戦前の日本とは、まさに「幼児」だったのです。
国に対して「幼児」という言葉はあまり使われないかもしれませんが、
その政策、政策への動機は「幼児」の性質であると言えます。


僕はこの文章を、‘戦前っぽくない言葉’で戦前日本を規定することで、現代との地続きを感じることができるのではないか、と考えたための試みであると冒頭に書きました。
そして「幼児」という‘戦前っぽくない言葉’で戦前日本を規定しました。
それが軍部や天皇などの言葉よりずっと‘戦前っぽくない言葉’であることは誰もが認めることでしょう。それは「幼児」という言葉が、戦前日本に固定されたものではなく、戦後も普通に使われ、現在でも日々使われている言葉である可能性を示し、実際にその通り、日々使われている言葉です。なんら違和感がない、現代の言葉です。そのことが確認できれば、戦前と現代を「幼児」というキーワードでつなぐことも可能なのではないか?


 ここで登場願うのは我らが安倍内閣です。現代の日本において「幼児」という言葉で僕が真っ先に思いつくのは、実際の幼児と安倍内閣を置いて他にありません。「幼児」とは、「価値感の単一化」であり、「自分がやりたいことはどんな手を使ってもやる」性質と先述しました。安倍内閣の幼児性は、内閣発足以来様々な面で僕たちは見てきました。例えば、日銀総裁人事への介入であり、NHK会長人事、経営委員人事への介入であり、内閣法制局局長人事への介入であり、原子力規制委員会人事への介入。例えば、特定秘密保護法に関する国会論戦に掛けた時間の短さであり(68時間)、集団的自衛権に関する国会質疑の無意味さであり(日米ガイドライン再改定前のデモンストレーション)。例えば、安倍内閣閣僚、自民党幹部の失言に対する瞬間的な謝罪もどきであり。


それまでのルールや慣習を無視した人事の連発は、「自分がやりたいことはどんな手を使ってもやる」そのものです。寅さんが見たら、「それをやっちゃあお締めえよ」ということ請け合いの人事の数々です。中立の立場であるべき要職・組織を自分の側に引っ張るという禁じ手は、ルールを無視した行為であり、政治の秩序を崩す行為です。政治家が自らを律しなければならない核の部分です。安倍内閣はそんなことお構いなしです。自分たちがやったことで何が起こるかなんて全く気にかけません。「自分がやりたいことはどんな手を使ってもやる」に取り憑かれた者たちなので、それはしょうがないことなのですが、それをもって安倍内閣は「幼児」であることを断定することもまたしょうがないことです。


また安倍内閣は、昨年12月の特定秘密保護法に関する国会審議を‘形だけ’レベルで片付けました。衆参合わせて68時間という短さです。さらに、集団的自衛権に関しては閣議決定した7月1日以降現在までに2日間の質疑応答のみしか行われていません。秋の臨時国会で安全保障に関する国会審議が行われるそうです。(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140630/plc14063009170009-n1.htm 産経新聞
しかしそんなものいくらやっても何の意味もないでしょう。なぜなら、12月にアメリカとの間で、日米ガイドラインの再改定がなされるからです。どんなに国会で審議したところで、アメリカの意向に沿った日米ガイドライン再改定がなされるのでしょうし、それに対し的外れな安全保障政策を日本が持つことはあり得ないでしょう。国会でどんな審議がされようがアメリカの意向に沿ったものに終着することは免れようがないものだと思います。ここには「他人の言うことを聞かない、聞こうとしない」姿勢が前面的に出てきています。その他人を無視する行為は、「価値感の単一化」を実践するにはなくてはならない、「幼児」への必須要素です。ここも安倍内閣はクリアしています。


 最後に閣僚、党幹部による失言からの即謝罪もどきについてです。昨年7月の麻生財務大臣ナチス発言(「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」)、昨年6月の高市自民党政調会長(当時)の「原発事故で死者は出ていない」発言、今年6月の石原環境大臣(当時)の「どうせ最後は金目でしょ」発言。これら発言はマスコミで報道され、一般にも問題発言と認識されてからすぐに謝罪されました。第二次安倍政権の特徴の一つは、失言などをした閣僚の謝罪が早いということが挙げられると思います。第一次政権時の失敗に対する教訓を活かしているのでしょう。しかしその際の言葉は、「発言によって迷惑をかけた人がいたのなら、謝りたい」「品位を欠いた発言で誤解を招いた。おわびして撤回する」など、謝罪もどきです。謝罪をしていません。それっぽくしているだけです。素早い謝罪もどきは、「他人の言うことを聞 かない、聞こうとしない」姿勢の裏返しです。「他人に何か言わせる隙を与えずに、謝罪したことにしてしまえ」という魂胆が見え見えです。閣僚、党幹部の謝罪においても、安倍内閣の「幼児性」は存分に表現されています。


 このように安倍内閣の「幼児性」は、この1年9ヶ月ほどで如何なく発揮されています。「自分のやりたいことだけに専心して、どんな手を使ってもそれをやり抜くこと」を強いリーダーシップとか何とか言って肯定的に喧伝していますが、そして世間でもそう思っている人が確かにいるようですが、それはただの「幼児性」の表れです。


 安倍内閣を「戦前回帰」「戦争をしたがっている」といった言葉で表しているのを目にすることがあります。確かに特定秘密保護法集団的自衛権容認などを見ていると、戦前の治安維持法や戦争などに対応させて、「戦前回帰」「戦争をしたがっている」といった言葉を使いたくなる気持ちも分かります。しかし、その‘分かりやすさ’はいささか定型化すぎるのではないかとも思います。
 安倍内閣も戦争をしたいわけではないと思います。逆に戦争になってしまったら、彼らの念願である日本国憲法9条改憲が世論的に不可能になってしまうでしょうから、戦争をしたいわけないのだと思います。ただ、安倍内閣が戦前日本に対してシンパシーを感じていることは、また確かだと思います。それは、自民党憲法改憲案について自民党・船田元氏が語っていた、「戦後はいささか国民の権利が強くなりすぎたので、調整させていただきたい」という言葉にも表れています。つまり、国民を統制したいという欲求が現在の自民党安倍内閣にあることは間違いないことでしょう。それはまさに戦前の日本であり、彼らが目指す一つのモデルがそれであるということです。その一つの実践的模倣こそ、「幼児性」なのではないでしょうか。安倍内閣が意図的に模倣をしてるのか分かりませんが、「幼児性」という言葉で、戦前日本と現在の安倍内閣を繋ぐことは充分に可能であると思います。そしてこの繋ぎ方は、「安倍内閣は戦争をしたがっているから戦前を肯定している」などの定型ではなく、戦前日本の状況と安倍内閣の状況をそれぞれ見た結果の同質視なので、耐久力があるのではないかと思います。これによって、戦前日本と現在との地続きを感じることができるのではないかとも思います。


 定型に依らない言葉で表現することの意味は、それまでの固定された考えをリセットし、新たな視点を獲得することにあるのだと思います。そしてそれを獲得することにより、それまで見えなかった事象に気づき、さらに定型に飽きた人たちへのアピールにもなるのではないでしょうか。右だ、左だでお互いの陣営で通じる言葉で話してても何ら楽しくないので、どちらでも通じる言葉として非定型語を考え、使う意味は充分になると僕は思います。「幼児性」という言葉を使うことで、安倍内閣の異常さ、そして戦前日本との共通点の存在を知らしめることも可能なのではないか。
そんな試みを今後も実践していきたいと思います。