邪魔するものは反日と処す

実に興味深い言葉が6月29日(日)の東京新聞朝刊にありました。

地方190議会批判 集団的自衛権 広がる「反対」「慎重に」


安倍政権が目指す集団的自衛権行使容認の閣議決定に対し、地方議会で反対、慎重な対応を求める意見書を可決する動きが急速に広がっている。本紙の調べで、今月だけで少なくとも百二十超の議会に上り、これまでに可決済みは百九十(二十八日時点)となった。自民党会派の賛同も目立つ。閣議決定を急ぐ政府と、それを懸念する地方の溝はさらに広がった。 (関口克己)
 本紙の三月末時点での集計では、同様の意見書は約六十あった。だが、安倍晋三首相が五月十五日、行使容認を検討する意向を記者会見で表明すると、それに抗議する形で議決の動きが勢いを増した。
 都道府県レベルでは長野、岐阜両県議会がいずれも六月に慎重審議を求める意見書を可決。市町村議会では三十二都道府県の百八十八に増えた。最多は長野県で、県議会のほか四十五市町村となった。自民党県連が県内市町村に意見書提出要請をした岐阜県は、九市町村となっている。
 逆に、全国千七百八十八の自治体で政府方針を支持する意見書は一つもない。
 東日本大震災で被災した福島県南相馬市議会は十九日、自民系会派を含め全会一致で容認反対を議決。「震災と原子力災害で助けられた自衛隊員が海外に出て武力を行使することは容認できない」と訴えた。
 二十五日には、自民党石破茂幹事長のお膝元となる鳥取県境港市議会も、行使容認反対の意見書を可決した。自民党高村正彦副総裁は二十七日、相次ぐ意見書可決に「地方議会も日本人であれば、慎重に勉強してほしい」と反論したが、与党は協議開始から一カ月余りで結論を出そうとしている。


2014年6月29日 07時08分 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014062990070852.html


192の地方議会で集団的自衛権容認に対する、反対、慎重の議決がなされた、といった記事です。
全国で1788の自治体があるようなので、10.7%の割合になります。
これが多いと見るのか、少ないと見るのかは人によって分かれることだと思いますが、
注目は場所によっては自民党議員も反対にまわって議決をしているという点です。
この状況を分析してみるのはとても有意義なことだと思いますが、
今の僕にはちょいと荷が重い気がするのでここでは別のことを書きたいと思います。


僕がこの記事で最も気になったところは、高村氏の言葉です。
すなわち、
「地方議会も日本人であれば、慎重に勉強してほしい」
という言葉です。
この言葉を意訳してみると、
「地方議会も日本人であれば、集団的自衛権容認が日本にとってとても重要なことであるということを認識してほしい」
ということになると思います。
さらに、超訳を試みると、なかなか刺激的な言葉になります。
集団的自衛権容認を日本にとって重要だと思わない人間は日本人ではない」であり、
集団的自衛権容認をしない人間は反日・非国民だ」です。
どこかで見聞きするような言葉だなあ、と思ったらなんのことはない、
ネトウヨの方々の常套句ではないですか。
反日・非国民」
ここに、自民党政治家の方の頭の中とネトウヨの方のそれの類似性がはっきりするわけですが、
このような自民党政治家による認識は高村氏がはじめて表に出したものではありません。
彼らのボスは見事なリーダーシップを発揮して、率先してやっています。



2013年6月の都議選の応援演説においての安倍氏の言葉です。
Facebookツイッターで発進されたものです。彼の本音でしょうが、すぐに削除されたようです。
ここから分かることは、安倍氏の認識が「左翼は自分の邪魔をするもの」ということです。
左翼、右翼という枠組みで物事を考えることの適否はとりあえず置いといて、
安倍氏個人が「左翼は自分の邪魔をするもの」という認識をもっても結構です。
それは自由です。
しかし、この時安倍氏は日本の内閣総理大臣でした。
内閣総理大臣は言うまでもなく国の政治を司る最高責任者です。
政治におけるトップです。
それを別の言葉で表現するなら、
内閣総理大臣は彼自身の思想にこだわることなく、全日本国民の幸福を追求するものである」
ということです。
内閣総理大臣という立場の人間は、「左翼は自分の邪魔をするもの」という認識を持ってはいけないのです。
左翼の人も国民なのですから。
安倍氏にはその認識がすっぽり欠如しているようです。
自分と違う意見のものは邪魔するものとして無視、冷笑してもよい、
という凡そ内閣総理大臣らしからぬ認識を安倍氏は持っているのです。
それは今年1月の施政方針演説においても表出しました。
すなわち、「責任野党」という言葉です。

責任野党について安倍首相は代表質問で「何でも反対、抵抗ではなく、建設的な提案をしてくれる野党は全て『責任野党』だ」と説明した。政策の方向性を共有できる野党とは、積極的に協議を進める意向を示したものといえる。


沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=61657

この言葉の含意に、「反対する野党は無責任野党である」があることは明白です。
ここでも安倍氏は自分の邪魔をするものを蔑んでいます。
これも凡そ第一与党の党首の言葉とは思えません。現在の日本の政治体制の柱でもある民主主義の否定でもあるのですから。


左翼云々、責任野党云々などから安倍氏の基準が、自分の味方かそうでないか、
にあることは明らかでしょう。
そして、この基準は冒頭に引用した記事内の高村氏の言葉、
「地方議会も日本人であれば、慎重に勉強してほしい」
において内在していることもまた明らかでしょう。
「自分たちに反対するものは反日である」という恐ろしい認識でもって。


僕は自民党政治家全てがこのような考え方を持っているとは思いません。
野党時代の純血化において、そのような考え方を持つ人が力を持つ体制になったのでしょう。いや、そうでないと力を持てない、と言った方が正確そうです。
そのような政治家が権力の中央にいることの不気味さをまざまざと感じた東京新聞の記事でした。