公明党が受け入れる


6/26(木)のNHKニュース番組で公明党の山口代表が自民党案を受けいれることを表明しました。

公明・山口代表 試案受け入れる意向
6月26日 22時25分


公明党の山口代表はNHKの「ニュースウオッチ9」で、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定の柱となる、自民党の高村副総裁が新たに示した試案について、「二重三重の歯止めがきいていて、拡大解釈のおそれがない」などと述べ、受け入れる意向を示しました。
この中で公明党の山口代表は、集団的自衛権の行使容認について「安全保障の環境が大きく変わってきており、国民の権利を守るため、政府が従来言ってきた個別的自衛権に匹敵するような集団的自衛権であれば、一部限定的に容認する余地はあるのではないか」と述べました。
そのうえで山口氏は、閣議決定の柱となる、自民党の高村副総裁が新たに示した試案について、「集団的自衛権は他国のためではなく日本を守るための武力行使であり、従来の政府見解の基本的な考えは今後も維持することも明記するなど、二重三重の歯止めがきいており、拡大解釈のおそれがない。まだ協議中だが、行きすぎを防ぎ、政府のこれまでの基本から外れるわけではないと、十分説明できるし、それに最大限努力したい」と述べ、受け入れる意向を示しました。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140626/k10015537861000.html
(動画あり)

理由として、
「二重三重の歯止めがきいており、拡大解釈のおそれがない。」
とのことのようです。
どうもこの言葉は気になります。
「拡大解釈がある、なしということが最大の焦点だったの?」という意味で。
そもそも集団的自衛権を容認する、しないということは、
海外で日本が戦闘行為をできるか、できないか、という至極単純なことではないでしょうか。
「ここまでは良い、ここからはダメといった」という範囲の問題ではなく、
「できるか、できないか」という行為そのものの問題です。
「拡大解釈」という範囲を前提にした話ではありません。
いつしか公明党幹部は、行為そのものではなく、範囲の問題にすり替えて、
自民党といかに歩調を合わせるかが最大の論点になったのでしょう。
まあ、‘最初から’なんでしょうが(笑)。
引用の番組の中で山口代表は、
集団的自衛権は他国のためではなく日本を守るための武力行使であり、(中略)拡大解釈のおそれがない。」
ということを話していました。だから問題ない、ということでしょう。
しかし日本を守るから良い、悪いの問題ではないはずです。
日本国憲法にそれが書いてあるか、ないかの問題です。

日本国憲法第9条


1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


この条文から、「集団的自衛権は他国のためではなく日本を守るための武力行使であるから問題ない」という文脈を見つけることは僕にはできません。



山口代表は番組内でこうとも言っていました。
「昭和47年の基本的な考えは維持される」と。
昭和47年の基本的な考えとは、

「政府は、従来から一貫して、我が国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されないとの立場に立っている。(中略)我が憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」(第69 回国会参議院決算委員会提出資料 昭和47 年10 月14 日)


です。山口代表の考えでは、この見解が自民党案で維持されているようです。
「我が憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、」
ここの部分がその根拠でしょう。
集団的自衛権を発動させるときは、‘我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合’である」
ということなのだと推測されます。
しかし、この昭和47年見解の結論はこうです。
「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」
これが結論です。
集団的自衛権は行使できないことが結論なのです。
山口代表の論法は、とても卑しいものに感じられます。
前後の文脈を無視し、都合の良い文言を取り上げる手法。
何かに似ているかと思ったら、なんのことはない、自民党のそれでした。
6月に自民党の高村氏は昭和47年見解を、
「他国に対する武力攻撃が発生し、(日本の)国民の生命、自由などが根底から覆されるおそれがある」場合には集団的自衛権行使が認められる、という独自解釈を私案として発表しました。
その該当箇所は、山口代表同様、「我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合」の部分でしょう。この部分を取り出し、独自解釈をしたわけです。
その前(4月)にも「砂川事件」の最高裁判決(昭和34年)を持ち出して、
集団的自衛権容認論を高々と掲げました。
これには公明党もえらい反対をしました。
なぜなら、砂川事件最高裁判決では、集団的自衛権はまったく想定されたものではなかったからです。

砂川事件判決「個別的自衛権を指している」 公明副代表
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140409/stt14040922025003-n1.htm

これもある部分を取り出して都合よく解釈したものであることは明白です。
このご都合主義をとうとう公明党代表も取り入れたわけです。
公明党自民党に擦り寄ることは議論が始まった時からわかっていたのですから、
「はい、そうですか」くらいのもんですが、そんな姑息なご都合主義でしか自民党と摺り合わせができないという事実が、集団的自衛権違憲である、と言っているようなものです。自分たちでもわかっているのでしょう。だから、ご都合主義的解釈を持ち出さざるを得ないのでしょう。
日本国憲法集団的自衛権容認は書かれていないことを彼らは知っているのです。
もし合憲であると思っているなら、文言変えたり、いろんな解釈を持ち出さなくても、
「合憲です」と言い続けるはずです。それで済むはずです。手を変え、品を変えという手法は、何とかなだめすかそうとする時に使うものでしょう。それを実行した自民党に「集団的自衛権容認は合憲である」という認識はないのだと思います。


日本国憲法において集団的自衛権は容認されていません。
単純なことです。



最後に今後の予測について。
現在の流れ、状況を見ていると、閣議決定、各法制定はなされていくのでしょう。
国会になったら、維新の会やらみんなの党、次世代の党という目眩がしそうな名の党など自民党応援団が数多くいるので軽々通るのでしょう。
その後の予測をすると、というか憲法学者の木村草太さんの受け売りですが、
制定された各法についての違憲裁判が各地で起こるのではないでしょうか。
木村さんは「それに対して国はどのように戦うのだろうか?(無理でしょ)」とおっしゃっていました。集団的自衛権を運用する条文が日本国憲法のどこにもない、ということもあわせて。
裁判所がまともに機能するなら、日本が集団的自衛権を行使することができません。



特定秘密保護法集団的自衛権容認における公明党をみていると、
自民党と連立した社会党を思い出します。
党の存在意義を見失った社会党のその後はご存知の通りです。
自民党公明党を食い殺したいのかもしれませんね。