設問の立て方について

今年のダボス会議での安倍氏の発言について調べていました。
「現在の日中関係第一次世界大戦前の英独関係になぞらえた」と報道された発言でした。
毎日新聞の記事に行き当たりました。以下長いのですが、引用します。

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安倍首相:ダボス会議での発言、海外で波紋
毎日新聞 2014年01月28日 23時15分


 安倍晋三首相がスイスで開かれたダボス会議の際、日中の緊張関係を第一次世界大戦前の英独関係になぞらえたことが海外で波紋を広げている。首相官邸は同時通訳の不正確さから「趣旨がねじ曲げられて報道された」と反論する。だが、海外メディアは、首相が実際に戦争になった英独関係を例示したこと自体が問題だとしており、認識はすれ違ったままだ。


 ◇日中関係問われ…「第一次大戦前の英独」例示
 首相は22日、世界の政治指導者や経営者らが集まる世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)での基調講演前に、各国のコラムニストらが招かれた「国際メディア会議」(IMC)でインタビューに応じた。
 関係者によると、IMCでのインタビューはオフレコで、首相側にも「オフレコ」と伝えられていた。だが、開始時に司会の英国人記者が、関心が高いからオンレコに切り替えたいと直談判、首相が「構わない」と応じたことからオンレコに。首相の発言は、外務省が契約したプロの通訳が同時通訳した。
 問題となったのは「日中の軍事衝突の可能性」を問われたことへの回答。菅義偉官房長官によると、首相は「日本と中国が軍事的な衝突になれば、日中双方にとり大きな損失であるのみならず、世界にとり大きな損失になる。そうならないようにしなくてはならない」と強調した。この際、「今年は第一次世界大戦から100年を迎える年だ。当時、英国とドイツは大きな経済関係にあったにもかかわらず、第一次世界大戦に至った」と英独関係を持ち出した。
 発言は「最も衝撃的なのは、安倍首相が中国との紛争の可能性を明確に排除しなかったことだ」(英フィナンシャル・タイムズ紙のマーチン・ウルフ氏)、「評論家が言いそうな発言を、日本の指導者が言えばより強い衝撃を与える」(英BBC放送のロバート・ペストン氏)などと伝えられた。
 首相は28日の衆院本会議で、「会議にいた日本のマスコミ関係者に聞けば、私の発言に何の問題もなかったことがお分かりいただける」と反論。政府高官も「日本語では全くおかしくない。英訳が変だった」と主張する。首相は日中関係と英独関係が「似た状況」との表現は使わなかったが、外国メディアの報道では「似た状況」と発言したとされており、首相周辺は「オフレコと聞き逐次通訳にしなかった。同時通訳で正確に訳されなかった」と説明する。
 しかし、インタビューに参加した欧州の記者は「発言を聞いていた他の記者も安倍氏は(戦争に突入した)英独関係と日中関係を直接、対比している印象を受けた。その率直さに衝撃を受けた」と語り、波紋を広げた理由が「通訳による誤解」との日本政府の説明に反論した。【古本陽荘】


 ◇ダボス会議での首相発言(要旨)
 菅義偉官房長官が1月23日の記者会見で説明した安倍晋三首相のダボス会議での発言要旨は以下の通り。
 日中両国は互いに最大の貿易相手国であり、切っても切れない関係だ。一つの課題ゆえに門戸を閉ざしてはならず、戦略的互恵関係の原点に戻るべきだ。条件を付けずに首脳会談を行うべきであり、会談を重ねることで両国関係の発展の知恵が見いだされる。
 (「日中関係が軍事衝突に発展する可能性はないか」との出席者の質問に対し)今年は第一次世界大戦100年を迎える年だ。当時、英独は大きな経済関係にあったにもかかわらず、第一次世界大戦に至ったという歴史的経緯があったことは付言したい。質問のようなことが起きれば、日中双方にとって大きな損失であるのみならず、世界にとって大きな損失になる。そういうことにならないようにしなくてはならない。日中の経済関係が拡大している中で、問題があるときにはコミュニケーションを緊密にすることが必要だ。

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なかなか興味深いと思います。
その最たる理由は、‘問題のありか’についてです。
安倍氏とその周辺が「問題ではない」と問題のありかを示しているのは、発言の内容そのものについてです。
対して、外国のメディアのそれは、内容以前の発言そのものについてです。
日本国内でのこの件に関する報道の中心も、安倍氏とその周辺が問題のありかとしている発言の内容にあったと思います。
引用部分からそれに対応する箇所を引っ張るとすると、


「首相は「日本と中国が軍事的な衝突になれば、日中双方にとり大きな損失であるのみならず、世界にとり大きな損失になる。そうならないようにしなくてはならない」と強調した。この際、「今年は第一次世界大戦から100年を迎える年だ。当時、英国とドイツは大きな経済関係にあったにもかかわらず、第一次世界大戦に至った」」


になります。
つまりは、現在の日中関係はどんなに経済的関係が強くても、戦争が起こる可能性がある、といった内容が問題とされたわけです。
その問題に対し、安倍氏とその周辺は、


「首相は28日の衆院本会議で、「会議にいた日本のマスコミ関係者に聞けば、私の発言に何の問題もなかったことがお分かりいただける」と反論。政府高官も「日本語では全くおかしくない。英訳が変だった」と主張する。首相は日中関係と英独関係が「似た状況」との表現は使わなかったが、外国メディアの報道では「似た状況」と発言したとされており、首相周辺は「オフレコと聞き逐次通訳にしなかった。同時通訳で正確に訳されなかった」と説明する。」


と、誤訳で本来問題ではないものが問題とされた、とあくまで発言内容の誤解だと言っており、問題のありかはあくまで内容にある、という認識を示しています。
繰り返しますが、日本のメディアも問題のありかについては、安倍氏とその周辺に同調しました。メディアによって、内容について○か×かの違いはありますが。
しかし、海外メディアはそんなことは問題にしていません。
それ以前のことを問題にしています。引用すると、


「発言は「最も衝撃的なのは、安倍首相が中国との紛争の可能性を明確に排除しなかったことだ」(英フィナンシャル・タイムズ紙のマーチン・ウルフ氏)、「評論家が言いそうな発言を、日本の指導者が言えばより強い衝撃を与える」(英BBC放送のロバート・ペストン氏)などと伝えられた。」

「インタビューに参加した欧州の記者は「発言を聞いていた他の記者も安倍氏は(戦争に突入した)英独関係と日中関係を直接、対比している印象を受けた。その率直さに衝撃を受けた」と語り、波紋を広げた理由が「通訳による誤解」との日本政府の説明に反論した。」


という箇所です。
これを読むと、海外メディアは発言内容そのものではなく、発言のマナーといいましょうか、首相という立場の人間による発言マナーについて衝撃的だ、と言っています。
この違いはあまりに大きいと感じます。
方や発言内容を問題のありかとし、方や首相という立場の人間の発言マナーを問題のありかとしています。
どちらが正しいのか、という問題ではありません。
そんなことではなく、ただ問題のありかの認識が違う、というだけです。
メディアだけでなく多くの日本国民は、安倍氏やその周辺とその点共有しているのではないかと思います。
思考スタイルが同じ方向ということなのでしょう。
例えば、先日のNHK会長の籾井氏の就任会見時の発言。
例えば、浅田真央選手に関しての森氏の発言。
例えば、NHK経営委員・百田氏の発言。
これらの発言について言われたことは、


「何が問題なの?正しいこと言っている」
安倍氏の傀儡じゃないか。大問題だ。辞任しろ」
「全部聞けば問題ない。マスコミが悪意でもって切り出している」


などなど、発言内容に対する再度の発言が多かったように思います。
産経新聞がその最前線かもしれませんが(笑)。
ただ、引用したダボス会議での海外メディアのような問題提起も確かに聞きました。
つまり、
NHK会長としてどうなの?」
東京五輪パラリンピック組織委員会会長としてどうなの?」
NHK経営委員としてどうなの?」
といった発言です。
内容どうこうの前に「発言すること自体が立場に相応しいか」というところに問題のありかを見出しています。
これもどちらが正しい、間違えているといった類いのことではありません。
どちらでもよろしいのですが、ただはっきり言えることは、
「話を始める位置」が大きく違うということです。
どこから話をはじめるか、という違いです。
立場なんていうものは置いておいて、内容をいきなり問題のありかにするということは、
言い換えれば、前提を吹っ飛ばす、ということだと思います。
前提を無視することによって、いきなり内容を問題のありかにできる、と言えます。
逆に言えば、前提を無視しなければ、当然内容の前に「その人にとっての発言」というその人の立場が問題のありかにされる、と言えます。
こんなことを考えていると、安倍氏の設問の立て方を思い出します。


安倍晋三首相は10日午後の衆院予算委員会で、集団的自衛権に関し「例えば北朝鮮が米国を攻撃し、国際社会で経済制裁を行うとき、北朝鮮に武器弾薬が運ばれている(とする)。輸送を阻止できるのに阻止しなくて良いのか」と述べ、(略)」
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201402/2014021000604


安倍晋三首相は4日午前の衆院予算委員会の集中審議で、憲法改正の発議要件を緩和する96条改正について「国会議員のたった3分の1で、国民の6、7割がもし憲法改正を望んでいたとしても、それを拒否するのがいいのか。そういう意味で96条は改正すべきだ」と改めて意欲を示した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140204/plc14020413190016-n1.htm


集団的自衛権について、憲法96条についての安倍氏の発言です。
これらの発言に共通していることは、一般的前提を吹っ飛ばして、ありえない=都合のよい前提を設定している、ということです。
集団的自衛権について安倍氏は「北朝鮮アメリカを攻撃した場合、云々」と言っています。しかし、少し考えればこんなこと有り得ないということは直ちに理解できます。
己の地位を守るのに汲々としている金正恩氏が、アメリカを攻撃する=滅びる道を選ぶはずがありません。
憲法96条に関しては、「国民の6、7割がもし憲法改正を望んでいたとしても云々」と言っていますが、それはどのような状況を前提としているのか? それは仮定ではなく現実的に起こることなのか? 百歩譲って6、7割の国民が憲法改憲を望んでいたら、選挙でその意思は示されるでしょう。
「国会議員のたった3分の1で、国民の6、7割がもし憲法改正を望んでいたとしても、それを拒否するのがいいのか。そういう意味で96条は改正すべきだ」という安倍氏の発言をここにある文字だけで判断するならば、おっしゃる通りです。
しかし、この前提は無理がないでしょうか? 理由は先述の通りです。


これら二つの例からしても、安倍氏は前提を吹っ飛ばして自分の都合の良い位置から話を始めることが多いように感じます。大阪の橋本氏も同じですね。
簡単な言葉で言えば、誤魔化しです。欺瞞です。


僕は、設問の立て方が胡散臭い人を信じません。
自分に引き寄せた位置に設問を立てる人を疑います。
逆に言えば、人を信じるリトマス試験紙としています。
今後も「設問の立て方」に注意しながら、様々なものを見ていきたいと思います。