「保守と右翼」私考

1月28日トーハン調べ


1、 曽根綾子『人間にとって成熟とは何か』
2、 櫻井よしこ『迷わない。』
3、 室谷克実『呆韓論』
4、 佐藤優『人に強くなる極意』
5、 姜尚中『心の力』
6、 五木寛之『新老人の思想』
7、 阿川佐和子『聞く力』
8、 手嶋龍一・佐藤優『知の武装 救国のインテリジェンス』
9、 夏井睦『炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学』
10、 呉善花侮日論



日曜日の新聞に本のランキングが掲載されていました。
「1位、2位、3位とゴツイなあ」というのが最初の印象でした。
どれも読んだことないので、ゴツイと思った理由は、
著者と本のタイトルからです。
曽根綾子、櫻井よしこ、呆韓論。
これらの名詞のみで勝手に想像してしまうのでは失礼な話ですね。
実際『呆韓論』はともかく、曽根綾子『人間にとって成熟とは何か』、櫻井よしこ『迷わない。』は、「ゴツイ」という印象に含意の‘偏屈に強硬を好むこと’を主張する本ではなさそうです。彼女たちの「人生論」のようです。
やはり失礼な話のようです。
『人間にとって成熟とは何か』にしても、『迷わない。』にしても、恐らく素晴らしい本なのだと思います。だから多くの人が手にとっているのでしょう。
『人間にとって成熟とは何か』に関しては、テレビ番組で紹介されたという理由もあるようですが。
しかし、曽根綾子氏が1位で、櫻井よしこ氏が2位というランキングに‘現在’を感じてしまったことは確かです。


曽根綾子氏も、櫻井よしこ氏もいわゆる「保守」の思想をお持ちの方として知られています。しかし、僕は本来彼女たちを「保守」という言葉で表現したくはありません。「保守」と「右翼」は違うと僕は考えています。「保守」は存在であり、「右翼」は理念である、と考えています。


「私の生き方ないし考へ方の根本は保守的であるが、自分を保守主義者とは考へない。保守派はその態度によつて人を納得させるべきであつて、イデオロギーによつて承服させるべきではない。」


という福田恆存さんの言葉の受け売り的思考ですが。


曽根綾子氏も、櫻井よしこ氏も、この意味において「保守」ではなく、「右翼」であると、僕は彼女らの日頃の言動を見聞きしながら思っています。


「保守」は存在である、とは、「存在」というひどく惰性の強いものの上で初めて証明できるものこそ「保守」である、という意味です。
「存在」とは、人がそこにいる、という何の変哲もない状態そのものであり、変哲もない状態であるからこそ、一朝一夕ではどうにもならない有時間的なものです。それを確立するためには時間がかかります。どこかで覚えてきたようなそれらしい言葉を語ったところですぐに触れることのできないものです。時間がかかる理由は、「身体」という、疲れた、お腹減った、苦しいなど極めて限られざるを得ないものを基準にしているからであり、飛躍的な無理は不可能なのです。30mをジャンプすることは無理なわけです。「存在」に支えられている「保守」は、その身体的無理さを勘定にいれているため、一歩一歩進むしかなく時間がかかるのです。急旋回できるものではなく、惰性にならざるを得ません。その惰性の中で、徐々に確立されていくものなのです。
対して、「右翼」は理念である、と書きました。これは身体的無理さを考慮しない頭だけで想定を実行する態度を意味します。理念のみを頼りにすることで、30mをジャンプできることにしてしまう一発逆転の急旋回を実現できるものとして採用するような特性を持ちます。
飛行機ショーでも、サーカスでも何でも、動きのあるものは観ていて面白いものです。動物園で、ナマケモノより、日本猿の方が多くの人を集めるのは、動きのある、なしも大きな要因ではないでしょうか。人は「動き」に魅了されるものなのでしょう。
それは目に見えるものだけでなく、言葉にも対応するものだと思います。
「動き」のある言葉。
急旋回する言葉、といってもわかりにくいですが、つまりは、動いているように感じられる言葉です。例えば、強い言葉、断定的な言葉、勇ましい言葉、強硬な言葉など。感情に直接的にタッチしてくることを特徴としている言葉群で、気持ちが揺すぶられたような感覚を受けます。その揺さぶられたかのような感覚が「躍動感」に変換されることで、「動き」を感じるわけです。これらの言葉は、発せられた直後に「動き」を感じさせる無時間的なものです。「身体」というまどろっこしい、行動を限定してくるものを無視しているからこそ、その無時間は実現できるのです。理念のみで完結できるから、とも言えます。その方法を採用する人を僕は「右翼」と呼びたいです。


惰性と急旋回、身体と頭、有時間と無時間。
「保守」と「右翼」は真逆のものだと僕は思っています。
そして、曽根綾子氏も、櫻井よしこ氏。この二人は、「保守」ではなく、「右翼」である、
と僕は思っています。
勇ましいことを、強硬的に、強く発する彼女らの姿勢を見ていると、
そこにその結果起こるかもしれない自分の身体が棄損するという可能性を微塵も感じることができないからです。
それは理念のみで言葉を繰り出しているようにしか僕には思えません。
「身体」を基準にするという「保守」の態度とはかけ離れたものです。
安倍氏の急進的であり、身体=国の棄損を一向に考慮しない言葉の数々を見れば、彼が「保守」ではなく、「右翼」であることは一目瞭然です)


 曽根綾子氏、櫻井よしこ氏がうけている‘現在’は、時間のかかる「保守」が求められているのではなく、即自的な「右翼」が求められているタイミングなのだと、僕は感じています。
別にそんな‘現在’が悪い、といっているわけではありません。
そういう‘現在’なんだ、と思うだけです。
それを勘定にいれて物事を考えたい、と思うだけです。


ランキング3位の『呆韓論』。
これこそ分かりやすい「右翼」的言葉ですね。
誤解のしようもない韓国に対する誹謗中傷を込めた言葉の即効性と言ったら!
この本が売れているのは、極めて‘現在’的なことのように思えます。