今と過去を繋ぐ「日常感」


8月の終わりでしたが、東京新聞にとても気になる記事が掲載されていました。
以下がその記事です。ちょっと長いですが、全文引用。



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防衛省改革案 部隊運用 統幕に一元化


防衛省は三十日、背広組と呼ばれる文官の内局と、制服組と呼ばれる自衛官統合幕僚監部(統幕)にまたがる自衛隊の部隊運用業務を、統幕に一元化する改革案をまとめた。有事や災害で迅速に対応するため、意思決定を速やかにするのが狙いだが、背広組の役割は低下し、シビリアンコントロール文民統制)が弱まる懸念もある。


 改革案では二〇一五年度にも、内局の運用企画局を廃止し、部隊の運用業務を統幕に移管。運用企画局が担当していた自衛隊関連の法令の立案業務は内局に残すが、背広組より制服組の権限が増す。


 また、関係国との連携を強化するため、一四年度に次官級の「防衛審議官」を設置。内局や陸海空の自衛隊が、それぞれ行っている防衛装備品調達の業務を統合する「防衛装備庁(仮称)」の新設も検討する。


 自民党は以前から部隊の運用業務の一元化を求めていたが、民主党政権が白紙撤回。政権復帰後、省改革検討委で議論を再開した。


◆「知る権利」制限 陸海空の広報室廃止検討
 防衛省が「防衛省改革」の一環と称して陸海空の各幕僚監部にある広報室の廃止を検討していることが分かった。自衛隊への取材を制限し、防衛省にとって都合のよい情報発信に特化する狙いとみられる。イラク派遣の際、批判が噴出して撤回した陸海空各幕僚長の定例会見廃止も再浮上している。


 秋の臨時国会に政府が提出する秘密保全法案に合わせ、「秘密」ほどではない「注意」の文書が漏れた場合の罰則も検討し、漏出ルートの調査手法を確立する。いずれも国民の「知る権利」の制限につながる強硬策だ。


 防衛省の広報室は背広組の内局のほか、制服組の統合幕僚監部(統幕)と陸海空幕僚監部のそれぞれにある。統幕広報室は自衛隊の運用全般の広報を担い、陸海空各幕僚監部の広報室は各自衛隊への取材に対応している。


 防衛省は「戦略的で効果的な情報発信を行う」として大臣官房報道官、統幕報道官の二人を情報発信の要とし、二〇一五年度にも陸海空幕僚監部広報室を廃止する方針。廃止によって自衛隊取材や一般からの問い合わせ窓口が消える。


 さらに毎週一回の陸海空幕僚長の会見が廃止されれば、自衛隊トップの見解表明の場が失われ、自衛隊の実態が不透明になる。
 陸海空幕僚長の定例会見廃止は二〇〇四年のイラク派遣に際し、当時の防衛庁が報道統制の目的で打ち出したが、報道機関の強い反対で撤回。各幕の広報室廃止は、二〇〇七年の「防衛省改革」でも浮上したが、制服組と報道機関の反対で立ち消えになった。


 情報発信を絞り込む狙いについて、防衛省は「あたご事故のような混乱を避けるため」と説明する。〇八年イージス護衛艦「あたご」と漁船が衝突した海難事故で、当時の石破茂防衛相があたごの前当直士官を大臣室に呼びつけ、聞き出した内容を自民党の国防三部会で二日間にわたって報告した。この内容がいいかげんだったことから、事故原因をめぐり、国会は大混乱した。陸海空の広報室や幕僚長会見の問題ではなかった。  (編集委員・半田滋)



東京新聞 8/31朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013083102000123.html


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防衛省が広報を一元化する意向との内容です。
一元化の内容として、制服組の統合幕僚監部(統幕)のものにすることを意図しているようです。
制服組という言葉を聞くことがありますが、その意味をおさらいしておきます。


「制服組」
防衛省の特別職国家公務員である自衛隊員のうち、陸海空の三自衛隊において命令に服して隊務を行う自衛官の通称。いわゆる武官。制服の着用が義務づけられているため、この名がある。16階級で構成され、尉官以上を幹部自衛官と呼ぶ。制服組の最高位は統合幕僚長シビリアンコントロールの原則により、制服組は重要案件などの原案に関わることはできるが、決定は文民である国会議員が行う。現役制服組は、自衛隊の最高指揮官である内閣総理大臣や、内閣総理大臣のもとで隊務を管理統括する防衛大臣になることはできない。
http://kotobank.jp/word/制服組



対して、背広組があります。


「背広組」
防衛省の特別職国家公務員である自衛隊員のうち、防衛事務次官をはじめとする防衛省内部部局など事務方の防衛官僚らの通称。いわゆる文官。政策的・法律的見地から防衛大臣を補佐する。
http://kotobank.jp/word/背広組?dic=daijisen


端的にいうと、
制服組:武官  背広組:文官
となるようです。


引用の記事を要約すると、
「武官のみが防衛省の広報を司るようになり、シビリアンコントロールが弱まることが懸念される。自衛隊への取材を制限し、防衛省にとって都合のよい情報発信に特化する狙いとみられる。」
ということだと思います。
何だかすごいことが書かれています。



冒頭に
「とても気になる」と書きました。
それは、「秘密保全法案」や「防衛秘密」など個別のものに対して、
危機感を抱くといった、具体的なものではありませんでした。
「秘密保全法案」や「防衛秘密」などは後に調べて、その実体が分かったものです。
何が気になったかといえば、その対象は漠然としたものでした。
「なんか重大そうな動きのように思えるけど、それでもリアルタイムで見ていると、新聞の一画で淡々と伝えられ、世間でも特に話題に上ることなく、時間が経つと法案として成立するのかなあ」
という思いがその正体でした。
「ここが危険だ」といった具体的なものではありません。
何となくでした。
そして、その何となくがふと動きだし、頭の中に
1936年(昭和11年)の軍部大臣現役武官制復活が浮かんできました。


軍部大臣現役武官制
1900年に制定された、大日本帝国憲法において軍部大臣(陸軍大臣海軍大臣)の補任資格を現役の武官(軍人)に限る制度。
1913年に山本権兵衛内閣で廃止される
1936年に広田弘毅内閣で復活(〜1945年)


この軍部大臣現役武官制は、軍部の圧倒的権力(横暴)を担保した法律として、
悪法の名をほしいままにしている存在です。
広田弘毅氏が東京国際裁判で文官唯一のA級戦犯として絞首刑に処された
最大の理由が、この軍部大臣現役武官制復活だったともいわれています。
それは、この法律が日本を戦争に走らせた大きな要因の一つである、
という国際的な認識によるものでしょう。
実際、この法律により広田弘毅内閣は解散し、
次の宇垣一成氏もいわゆる‘流産内閣’の憂き目にあいます。
軍部が「現役の将校を大臣にだしません」と言えば、
内閣が組織できないので、内閣を組織するためには軍部の言い分を大幅に聞かねばならないわけです。
自然、軍部迎合内閣にならざるを得ないのです。
それが日本を戦争に引きずり込み、継続させた要因になった、
というのは国内的にも充分同意を得られる話だと思います。


どんなものか少し調べるだけでも、
何がその先に起こるのかが容易に想像できるような法律ですが、
当時の政治家、政党が例外的に頭が悪かったわけではありません。
この法律復活の意図は、その直前に起きた二二六事件で予備役にまわった
真崎甚三郎、荒木貞夫の両大将を大臣に就かせないようにするため、
という二二六事件の後始末的なものでもありました。
それは二二六事件を主導した陸軍内の派閥「皇道派」から権力を根こそぎ
剥ぎ取ろうとするもう一つの派閥「統制派」の策動でもあったわけですが、
それによって軍部を抑えることができる、
という政治家、政党の皮算用でもあったわけです。(どれくらいその皮算用を信じていたのか、ということは、とても興味ありますが)
結局その皮算用皮算用のままで終わったのは、
歴史が証明しているところです。


この法律が復活したのが、上記の通り1936年のことです。
この危険極まりないけど、「毒を食らわば皿まで」的な法律が復活する、した前後の世の中の雰囲気はどういうものだったのでしょうか。
新聞にはどのように報道されていたのでしょうか。
町内では話題になったのでしょうか。
現在の手持ちの情報では僕にはそれが分かりません。
ただ、僕の想像するところでは、
この法律が復活が制定されたその日も「普通に過ぎた」一日だったのだと思うのです。
ご飯食べて、お風呂行って、寝てという日常の中で、
この法律の復活はなされたのだと思います。
「おお、悪名高い法律が復活した!」といった記念日的な騒ぎではなく、
「危ないのかもしれないけど」という認識はあるにせよ、
「ふーん、復活したんだ。ところで今日の夕飯はなんだい?」
といった日常に消化されていったのではないかと僕は想像します。
後に「あの日」と言われ、全てが一つの出来事で染まっていたと錯覚されるような日であっても、実際の「あの日」の出来事は一日のほんの一コマとして存在しただけで、ご飯食べる、お風呂入る、働く、学校行く、裁縫するなどの日常が圧倒的な重さを持っていたのだろうと思うのです。


冒頭で引用した記事「防衛省改革案 部隊運用 統幕に一元化」。
これがどのような意味を持つのか、今の僕には分かりません。
危険な香りがします。
しかし、この記事を読んだ日、僕はご飯を食べ、本を読み、ラジオを聴き、お風呂に入り、テレビを観るという日常を送りました。
そして、「防衛省改革案 部隊運用 統幕に一元化」が仮になされる日がきても、その日は日常を送ることでしょう。


この「日常感」において、
防衛省改革案 部隊運用 統幕に一元化」と軍部大臣現役武官制の復活が、
頭の中でくっついたのだと思います。
後の世からすると、「防衛省改革案 部隊運用 統幕に一元化」はとんでもないものかもしれません。
「この改革案が制定された時、世の中は大変だったに違いない」
と、僕たちが軍部大臣現役武官制復活の日を思うように、
後の世の人は感じるかもしれません。
「いや、日常でしたよ」と実際にその時を生きた人間は、
口を揃えて言うでしょう。
恐らくそういうものです。


ただその日常の中に、戦争があり、国の権力を強める法律制定があり、
国民をしょっぴく法律立案があり、格差を拡大させる政策の閣議決定があり、
原発を未来永劫続けるためのプロパガンダがあったのもまた事実です。
日常という生活の中に、後々の世で制作される年表に記載される事項が
生まれているのです。
この瞬間も内閣は国民の権利を制限する法案を検討しているかもしれません。
自衛隊を軍隊にする方法を検討しているかもしれません。
憲法改憲の具体的方法を検討しているかもしれません。
それらはみな、僕らの日常の中で起こっています。



歴史は、日常の大事さと、日常の危うさを教えてくれます。
冒頭の引用記事を読み、それを改めて感じました。