敗戦記念日によせて


8月15日、68回目の敗戦記念日を迎えます。
下記の文章は、4年前の敗戦記念日に書いたものです。
内容が今考えていることとそう変わらないので、
そのまま再掲載します。

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64回目の終戦記念日でした。

毎年テレビやラジオなどで戦争関連の番組に触れます。

何度か今年は近年内では、それらが多かったように感じます。

毎年同じ熱量でチェックしているわけではないので、

実際はわかりませんが。

多かったと仮定しますと、

それは、年をおうごとに戦争を語れる方が少なくなっていくという現実の中、

語られる方がいるうちに番組を作って、伝えていこうという意思が制作側にあるのでは

ないかと思います。


今年はNHKをはじめ、戦時体験を語る番組が多かったように思います。

それは戦地に行かれた方をはじめ、旦那さんを送り出した女性や子ども、

満州朝鮮半島に移住された方など、様々な境遇の方々の話でした。

その話の内容はもちろん違うものです。

兵隊さんとして戦地に赴いた方は現地で食料、水が不足し、病気になり、

戦友が亡くなる惨状を語られます。

残された妻や子供は、お国のためと万歳で夫を送り出しながら、

内心では悲しくて、もう会えないのではないかと思ったという絶望を語られます。

満州朝鮮半島に移住された方々は、

1945年8月15日を境にした、中国人、ソ連人に対する恐怖を語ります。


それらは多種多様です。

境遇は同じでも、同じ体験はありません。

みなさん、みなさんの状況での体験が語られます。

ただ、個別なものでは多種多様でありながら、全てに共通していることがあります。

それは、全ての方々の体験の最大公約数が「悲惨」であるということです。

どんな境遇にあろうとあの時代を生きた日本人にとって、

あの戦争、戦争によって引き起こされた事象は「悲惨」だった、ということです。

(もちろん、日本人によって被害をもたらされた方々も同様です)

ですので、日本人が一瞬でも絡む戦争に関する番組は必ず「悲惨」を扱うものになります。

「悲惨」が語られます。

戦地でも「悲惨」、日本国土で空襲にあう「悲惨」、満州朝鮮半島での終戦後の「悲惨」。

もちろんより多くの、原爆や沖縄戦、特攻隊などの「悲惨」もあります。

他国の方々が蒙った「悲惨」ももちろんあります。

戦争を語る時、日本人は「悲惨」を通してそれをなすことが自然のものになっています。

その根底には「こんな悲惨な戦争を二度と起こしてはならない」という

痛切な思いが流れていると僕は思います。

それが毎年語られることで「二度と戦争は起こしてはならない」ということは

共通の正義の論理として、世の中に広まっていったと思います。


昨日も映画『蛍の墓』がテレビで放送されていました。

あの映画は、戦争は幼い子供をも栄養失調によって殺すもの、

戦争は親子を一瞬で引き離すもの、戦争は人間を変えてしまうもの

ということを語っていた映画だと僕はとらえています。

一言でいってしまえば、戦争は「悲惨」なものだ、ということです。

さらに、そんな悲惨な戦争を二度としてはいけない、という切実な思いです。

蛍の墓』が「悲惨」でないわけありません。

あんな幼いせっちゃんが、栄養失調という現代日本ではなかなか遭遇しない現象で

劣れて行く様はあまりに可哀想過ぎます。

元気に走り回っていたせっちゃんが、やせ細って横になることしかできず、

おはじきをドロップと思って舐めている様は、どうしようもなく「悲惨」なものです。

それは絶望的に「悲惨」なものです。

ただ、大変言いにくいことではありますが、

僕はその絶望的な「悲惨」に慣れてしまったのかもしれません。

毎年形は違ってもその「悲惨」にテレビやラジオで接することで

「悲惨」な事実は確認できても、その「悲惨」を自分のものとして体験することができなずらくなってきてしまいました。

と書きつつ、さらなる告白をすれば、最初から僕はテレビに映る「悲惨」に対して、

自分のものとしては感じていなかったと思います。

慣れるもなにも、最初から感じていなかったのではないか。

「悲惨」の事実を間違いなく感じてはいましたが、

その「悲惨」が自分のものとして思われたことはなかったかもしれません。

ただそこに後ろめたさを感じていたかといえばそうでもなかったと思います。

「悲惨」の事実を知るだけでも、戦争抑止には役立つだろうと思っていましたから。

それは、戦争体験者の方々がまだまだたくさんご存命だった、という事実によって

だったと思います。

それはある意味の甘えです。

「戦争は二度としてはいけない」というそのことは、戦争体験者の方々から

語られるのが通常だ、というのがそれです。

それを聞く方はその事実を知ることが大切だ、という受身で問題ないというのが続きます。

聞いて事実を知っていればよい、という授業を受けるかのような受身さ。

しかし、戦争体験者の方々が「悲惨」を語られる理由は、

「二度と戦争を起こしてはいけない」という想いからのはずです。

(身内、戦友が亡くなった悲しき話を他人にしたいわけありません)

その想いに応えるのに、ただ事実を知る、ということだけでいいのか。

「悲惨」の事実を知っていれば戦争は二度とおきないのか。

もしそうであれば「悲惨」を学ぶ学習を組織的に行えば戦争は二度とおきません。

ただ、その「悲惨」を個人のレベル、つまり殺人に置き換えた時、

人を殺すことの「悲惨」がいくら起こり、そして学んでも、

殺人がなくならないことを考えると、その事実を知るだけでは実は効果的な抑止には

ならないのではないかと思うようになりました。

仮にその「悲惨」を、事実を知る以上に自分のものとして感じ入ることができればどうでしょうか。

それは非常に効果的だと僕は思います。

ただあるものとしてではなく、自分のものとして感じ入るわけですから、

それに対する意識はより接近することは間違いないでしょう。

しかし、先ほど僕は

「「悲惨」の事実が間違いなく感じてはいましたが、

その「悲惨」が自分のものとして思われたことはなかったかもしれません。」

と書きました。

恥ずかしながらこれは事実です。

残念ながらこの傾向はどんどん拡大されるのではないかと思っています。

それは、自分の身内、関係する人からの戦争の記憶の喪失によってです。


今年で戦後64年を迎えました。

20年前だったら戦後44年です。当たり前です。

それと同様当たり前に、その20年間で自分の身内、関係する人から

戦争の「悲惨」を語る人が亡くなりました。20年分。

20年分、等しく全ての人に起こっています。

それは、20年分、「悲惨」を自分のこととして感じ入ることから、

事実として知ることにシフトされた、という意味と同義です。

例えば、自分のおじいちゃんの語る「悲惨」の中には、

自分のおとうさんやおかあさん、叔父さん叔母さん、大叔父、大叔母、近所の人など

自分の知っている人たちが登場してきます。

自分と直接関わっているその話を聞くとき、そこに深い感情が傾けられることは

避けられません。

もしその「悲惨」のうちに叔父さんが巻き込まれていたなら、

今の叔父さんはいないんだ。

もしその「悲惨」のうちに会ったことのない叔父さんが巻き込まれていなかったら、

今ごろどんな話をしていたんだろう。

いくらでも、その「悲惨」に纏わる自分を中心とした話を想起できるのではないでしょうか。

自分を中心とできることで、自分に関係したこととして感じることができるのです。


ただ返す返すですが、この機会は減っていっています。

時間が経てば経つほど戦争体験者の方々が亡くなっていくことは自然のことです。

これは決して避けることができず、将来的にその数は必ずゼロになります。

理屈的には、その時点で日本の誰もが、先の戦争を自分に関係したものとして

感じ入ることが極めて困難になります。(隔世的に話を聞くことで可能ではあります)

つまりは、現在のテレビやラジオなどの戦争の扱い方の論理の中では、僕たちは「悲惨」の事実でのみ先の戦争を知ることになり、「悲惨」の事実でのみ「戦争は二度としてはいけない」という想いを堅持していかなくてはならない状況が日に日に強くなっているのです。


先ほども書きましたが、「悲惨」の事実を知る、ということも戦争抑止にある程度の効果はあると思います。

空腹、のどの渇き、栄養失調、特攻、死・・・。様々な「悲惨」の話を聞く、映像を観ることでその「悲惨」はダイレクトに伝わってきます。そして、そんなことを二度と繰り返したくないと自然に思います。

ただ、自分とはまったく関係のない「悲惨」には、慣れてしまい、それによる拠り所の力の低下は残念ながら否めません。これは個人差はあれども、じわじわと社会に広がっていくものだと僕は思います。


そんな状況を踏まえての戦争抑止の効果的な考え方は一体どんなものだろうかと考えてしまいます。

結果を先に言ってしまえば、それは先の戦争を自分のものとして感じる新たな物語を創ること、だと僕は思います。

周囲に自分に関係のある戦争体験者の方々がいる状況が多かった際はその物語はありました。その物語の内容はさきほど書いたとおりです。

その物語と同じものではなく、新たな物語を創り出すことで、「戦争がいかに身近なものであり、それは決して二度と起こしてはいけないもの」という再度の結論を得ることができるのではないか。そんなことを思います。

新たな物語とは?

それは先の戦争と現代を繋ぐことから始めなければなりません。

その繋がりを発見する、という自然の道理に沿うやり方と、

その繋がりを創る、という人為的なやり方がありえます。

どちらの方がこの際有効なのか。

端的に指摘すれば、以前は「発見する」方が有効だったけど、

現代は「創る」方が有効である、と僕は思います。

そもそも「発見する」ことの限界が年月の経過で露呈されてきた中で

新たな物語の必要性を僕は感じているので、

それならば新たに「創る」しかない、という方向にゆかざるを得ないと思ってしまうのです。

それでは先の戦争と現代を繋ぐどんな物語を新たに創ることができるのか。

まず先の戦争の時代と現代の両方に共通している大きなものを挙げてみたいと思います。

天皇制は両方にありますがその形は全く変わりました。

兵力は自衛隊としてありますが、その形は戦争中のものとは全く変わりました。

先の戦争を象徴するこの二つは現代はありません。

ですので、これらを架け橋に新たな物語を創ることはできません。

ただもう一つ大きな共通したものがあります。

それは国民です。

日本国民は、戦争中も現代も変わらず存在しています。

その数に変更はありますが、変わらず存在しています。

その内容に、天皇制や軍隊と同じような変質はあっただろうか、と考えると

日本国民自体に変容などあるわけないな、と思ってしまいます。

なぜなら「日本国民とはこういうものだ」という規定などないから、

変わりようがないからです。

日本国民がどんな行動をしようと、「日本国民は変わった」などとは言えるわけもなく、

「日本国民ってこういう面もあるのか」とそれを日本国民の性質にカウントしていくしかできないのです。

状況で様々な行動を日本国民は取りますが、

その全てが日本国民の性質になるわけで、それは永遠に更新されていくものなのです。

(もちろん他国民も同様です)

日本国民は、先の戦争中も現代も変わることなく存在します。

僕はそれを架け橋に新たな物語を創ることが有効なのではないかと思うわけです。

日本国民を架け橋に先の戦争と現代を繋ぐにはどうしたらいいのか。

そのためには先の戦争時の日本国民を知らなければなりません。

テレビはラジオなどで接する当時の日本国民は圧倒的に「悲惨」な状況で描かれます。

それは決して間違ったものではないでしょう。

絶対的に正しい、と思います。否定するつもりは毛頭ありません。

ただ、もう一面の顔があったこともまた事実だと思います。

それは、戦争を賞賛しその遂行に協力的だった、という顔です。

一見相反するような顔ですが、間違いなくこの両状況は共存していました。

「悲惨」な状況で日本国民は国によって不幸を与えられた、ということは

度々伝えられていますが、

戦争に協力したという日本国民の顔はそれほど伝えられていません。

「国に抑圧された被害者としての日本国民」という構図に慣れていると、

意外なことに映るかもしれません。

しかしこの事実は忘れてはいけません。

積極的に戦争に協力した日本国民の性質を。

現代の日本国民が、その姿を見たらなんと思うでしょう?

恐らく「何で?何で??」という疑問を第一歩に、「愚かだ」や「馬鹿だ」などの感想を持つのではないでしょうか。

「昔の日本国民」というレッテルのもと他人事のようにそんなことを思いそうです。

しかし、さきほど書いたように日本国民に昔も今もありません。

全ての行動は日本国民の性質にカウントされるのです。

「あの時代の日本国民は愚かだったわけで、現代の日本国民はもっと賢いですよ」と

他人を見る目で昔の日本国民を見ることは不可能なわけです。

その性質は、日本国民が存在する限り永遠に負うべき責任です。

4年前の郵政選挙でその性質が大いに発揮されたことは記憶に新しいです。

状況により戦争に協力するという性質も日本国民のうちに宿る一面なのです。

言葉を換えれば、現代の日本国民も状況によって戦争に積極的に協力するのです。

この狂気が自分たちの中に宿っているという忌避したい性質を認めること。

これが僕が新たに創る物語そのものです。

自分達がいつ戦争を促進させる機能になるかわからない。

その可能性がある。

その重い物語を認識し、受け止めること。

自分の危険な顔を意識する人の方が、それを意識しない人よりもよっぽど安全です。

自分の危険性を意識していることでその危険性が顔をだすような状況に直面した時、

客観的に自分を見ることができ、抑えることも可能なのではないかと思うからです。

戦争に協力してしまうかもしれない性質を自分達日本国民の性質にカウントすることで、自分達の危険性を認識すること。

そしてその危険性を常に監視すること。

この物語でもって「二度と戦争はしてはいけない」という戦争体験者の方々の想いを継承し続けていくことを僕は考えていきたいです。

それが「悲惨」にかわる戦争抑止の大きな力になることを祈って。