今日の一作〜映画『風立ちぬ』

※ ネタバレあり。




先日2回目観にいってきました。
公開から3週間経っていましたが、ほぼ満席でした。
金曜日のレイトショーで安い&来やすいからかもですが(笑)。
実際、先週の映画興行ランキングでも以前1位でしたので、
全国的に観る方がまだまだ多いのだと思います。
客層がなかなか面白かったです。
男の子3人組や50代くらいの夫婦や若いカップルなど、
多種多様といった感じでした。
1回目に行った時(公開1週目)はそれほど「客層が面白いな」と思った記憶がないので、時間が経つにつれ様々な人に『風立ちぬ』の評判が届いているのかもしれません。



<あらすじ>
大正から昭和にかけての日本。戦争や大震災、世界恐慌による不景気により、世間は閉塞感に覆われていた。航空機の設計者である堀越二郎はイタリア人飛行機製作者カプローニを尊敬し、いつか美しい飛行機を作り上げたいという野心を抱いていた。関東大震災のさなか汽車で出会った菜穂子とある日再会。二人は恋に落ちるが、菜穂子が結核にかかってしまう。
(Yahoo!より)



「生きねば」
この映画のポスターにはでかでかとあります。


この映画で最も頻出する単語は(正確には知りませんが笑)、
「美しい」ではないでしょうか。
実際その回数は知りませんが、最も印象に残っている言葉であることは確かです。


二郎は子供の頃から飛行機に憧れていた少年です。
しかし、極度の近眼のため、飛行機乗りになることはできませんでした。
自分の夢の中でイタリア人飛行機製作者カプローニに出会い、
彼に「私は飛行機の操縦はできない、それは出来る者がすればいい。私の仕事は飛行機の設計だ」と言われ、二郎も飛行機の設計士を目指すことを決心しました。
二郎はそれから「美しい」飛行機を作りたいと願います。
そしてその願いを「美しい」夢である、と言います。
食べていた鯖の味噌煮の骨を見て「美しい」、
作りかけの飛行機を見て「美しい」、
ドイツに視察に行った際に見た飛行機に「美しい」。
「美しい」ものを願い、「美しい」ものに囲まれた人こそ、堀越二郎です。


しかし、二郎が生きた時代は、戦争の時代です。
二郎が「美しい」夢を実現するには、必然的に戦闘機を作らなければなりませんでした。
それについて二郎に葛藤はありません。
「美しい」夢を実現することにのみを見つめているかのように。
夢の中で会うイタリア人飛行機製作者カプローニも二郎に、
「美しい飛行機を作りたい。しかしそれは爆撃機にもなる」
という言葉を投げかけながら、それについて深い憂慮を見せることなく、
「創造的人生の持ち時間は10年間だ。がんばりたまえ」
と激励をします。
カプローニが二郎に対して言っているようですが、
考えてみるとこれは二郎の夢の中においてです。
すると、そのカプローニの言葉は二郎の願いであり、想いであると考えた方が自然だと思います。
つまり、二郎は自分の実現したい「美しい」夢が戦闘機になることは理解していても、それによって「美しい」夢を諦めることはなく、その実現を強く願っているわけです。
その結果、二郎は「美しい」夢を実現し、「美しい」飛行機=零戦を完成させます。
映画には、「美しい」飛行機が飛び回り、敵を撃墜するなどはありません。
ただ二郎の言葉で一言
「一機も帰ってこなかった」
とあるのみで映画は終了します。
二郎にとって、零戦が飛び回ることも、戦闘で勝利することも
それは飛行機乗りのやることであり、自分の「美しい」夢は、
「美しい」飛行機を作ることのみであったわけです。


「美しい」という言葉を辞書で調べてみます。


[形][文]うつく・し[シク]
1 色・形・音などの調和がとれていて快く感じられるさま。人の心や態度の好ましく理想的であるさまにもいう。
㋐きれいだ。あでやかだ。うるわしい。「若く―・い女性」「琴の音が―・く響く」
㋑きちんとして感じがよい。「―・い町並み」「―・い文章」
㋒清らかでまじりけがない。好ましい。「―・い友情」

2 妻子など、肉親をいとしく思うさま。また、小さなものを可憐に思うさま。かわいい。いとしい。愛すべきである。
  「妻子(めこ)見ればめぐし―・し」〈万・八〇〇〉

  「なにもなにも、小さきものはみな―・し」〈枕・一五一〉

3 りっぱである。見事だ。
  「かの木の道の匠(たくみ)の造れる、―・しきうつは物も」〈徒然・二二〉

4 (連用形を副詞的に用いる)きれいさっぱりとしている。
  「―・シウ果テタ」〈日葡〉

  「―・しくお暇(いとま)取り、二度(ふたたび)在所へ来るやうに」〈浄・歌念仏〉


http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/19706/m0u/


調べるまでもない言葉のようですが、
こう調べてみると「美しい」という言葉の奥行きに改めて感じ入ります。
美醜のみにとらわれない総合的な‘善きもの’こそ、
「美しい」の意味ではないでしょうか。


そんな「美しい」という言葉であり、概念は、
一般的には圧倒的‘善’として通用しています。
言葉の裏に疾しさを感じさせない稀有な言葉だと思います。
それを追い求めることもまた‘善’であることも、
また疑いを挟みづらいものではないでしょうか。
二郎の求めるものも、その圧倒的‘善’であったわけです。
そして、それを求める行為そのものも‘善’であったわけです。
しかし、その‘善’の達成により、敵兵を殺し、日本兵も死なせてしまいました。
「一機も帰ってこなかった」
二郎は、「美しい」夢を願い、「美しい」飛行機を作ることで、
自分の知らないところで多くの人間を殺し、死なせてしまったのです。
これは、先にも触れましたが、二郎の生きた時代を考える時、
必然のことです。
その時代、飛行機を作りたければ、戦闘機を作らざるを得なかったわけで、
それから逃れることができた人は世界中探してもいなかったのではないでしょうか。
その結果、二郎は「美しい」夢を実現したことで、
人を殺し、死なすこともまた現実のものとなってしまいました。
しかし、これは特異な時代の、特異な分野に限ったことなのでしょうか。
僕は、戦闘機という特異な分野だけでなく、どんな分野であっても、
「美しい」を追求することは、人は殺さないにせよ、結果的に悪い影響を与えるものなのではないだろうか、と思うのです。
つまりは、二郎の身に起こったことは、「美しい」に内蔵されている宿命なのではないだろうか、ということです。


宮崎駿監督のインタビューやエッセーを集めた
『折り返し点 1997〜2008年』
という本があります。
確かこの本にだったと思いますが、このような内容の記述がありました。
(現物紛失中笑)


「親御さんで「『となりのトトロ』を何度も子供に見せているんです。子供も喜んでいます」という人がいるんですけど、そんなもの何度も見せては駄目ですよ。一度で充分です。何度も見せてはいけません」


といった内容です。
どういう文脈で出て来たのか忘れてしまいましたが、
今でも強烈に印象に残っています。
決してその意味を「理解」したからではありません。
むしろ意味は分かりませんでした。
ただとても気になっていたので覚えていたのですが、
風立ちぬ』を観て、宮崎駿監督がおっしゃりたかったことが
やっと分かったような気がしました。


宮崎駿監督自身もそうでしょうし、僕たち観る側もそうですが、
となりのトトロ』は、かわいいし、面白いし、姉妹の助けあいもあるし、猫バスは不思議だし、自然の豊かさは綺麗だし、冒険も楽しいしで、
「美しい」作品です。
それらの要素により、何度も子供に観せたいくらいに親御さんも「美しい」ものと思っているし、子供も何度も観たいと思うくらいに「美しい」ものと思っても不思議ではありません。
その「美しさ」は宮崎駿監督ご自身も認めるところでしょう。
(自分の制作する作品を「美しい」と思わない人はいないだろと思います)
しかし、そんな「美しい」作品を
「何度も観てはいけない。1度でいい」
宮崎駿監督はおっしゃっているのです。


その意味を僕流に解釈すると、
「「美しい」ものであっても何度も何度も触れることで、
澱のようなものが沈殿し、それが悪い影響を及ぼすものだ。
それが何かはわからない。だけど、いつか、どこかでその影響が出てくる。
そしてそれは「美しい」作品を作りたい、という私の願いから発生しているのであり、その願いを達成することが、観る人に悪い影響を与えてしまうことになる恐れがある。「美しい」ものを追求し、作ることとは、それに触れる人に知らず知らずのうちに澱を蓄積させてしまうものなのだ」


という宮崎駿監督の想いなのではないだろうか、と想像します。



「美しい」ものを追求し、「美しい」ものを作り出すことは、
巡り巡って悪い影響を及ぼすものだ。
その想いを宮崎駿監督は、二郎の「美しい」夢の実現、そしてその結果に、
明確に、象徴的に表現されているのではないでしょうか。
「美しい」夢の実現が、何人もの人を殺し、死なせたという事実に。



しかし、宮崎駿監督はそんな身も蓋もないことを越えた先に眼差しを向けられているように思えます。
恐らく、その先とは、


「それでも生きねば」


ではないでしょうか。


人は生きるにあたって、「美しい」ものを求めることをやめることができない。
その結果、他の人、ものに影響があるかもしれないけど、
それでも人間は求めることをやめることはできないし、してはいけない。
どんなに「美しい」ものを実現しても、それはいつしか何かしらの悪い影響を与えるものだ。人間は罪深い生き物なのだ。
だけど、だけど、それでも生きねば。



爆撃機を作ってしまう「美しさ」を一心に求める二郎のその姿に対し、
人間讃歌の想いを込めたのではないでしょうか。
「それでも生きねば」を託して。



とても、とても素晴らしい映画でした。


折り返し点―1997~2008

折り返し点―1997~2008