今日の一作〜『終戦のエンペラー』


※ ネタバレあり
観る予定の方は読まない方がよいかもしれません。




先週末、『終戦のエンペラー』を観てきました。
太平洋戦争に敗れた日本に占領政策のため乗り込んできたD・マッカーサーによる、昭和天皇の戦争責任の有無の調査についての映画です。
wikiによると、制作はアメリカのようです。
監督も脚本もアメリカの方のようです。いわゆる「ハリウッド映画」なのですね。
以前ロシアで『太陽』という昭和天皇を主題とした映画が制作されました。(この時の昭和天皇役はイッセー尾形さん)
海外による昭和天皇、というと「どういう意図があるの??」と思わず考えてしまいますが、『終戦のエンペラー』も「なぜ、今作られたのか?」を想像せずにはいられません。
その答えは出ていないので、別のことを書きます(笑)。

<あらすじ>
1945年8月30日、GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサー(ジョーンズ)が日本に上陸し、アメリカによる本格的な日本統治が始まる。マッカーサー戦争犯罪人の一斉検挙とその戦争犯罪を裁くため、活動を開始するが、皇室、特に天皇(片岡)に対する戦争犯罪の有無の立証と、天皇が逮捕・処刑された際の、日本国民への影響を考慮していた。
マッカーサーの命を受け、知日家のフェラーズ准将(フォックス)は調査を開始するが、彼自身も開戦前、大学時代に知り合ったかっての恋人あや(初音)の安否を気に掛けていた。10日間という短い制約時間の中でフェラーズは、東条(日野)、近衛(中村)、木戸(伊武)、関屋(夏八木)ら容疑者、関係者から聴取を行い、開戦に至る隠された真実と終戦における天皇の役割を暴いていくが、天皇が戦争に関与していない証拠を得ることができない。
天皇への戦犯容疑を晴らしたいフェラーズだが、具体的証拠の無いまま最終調査報告書をマッカーサーに提出する。やがて、調査書を読んだマッカーサーは、天皇の人物像を見定めようと、フェラーズに天皇との面会を設定するよう命じる。
wikiより)



マッカーサー元帥の元で指揮権をもつフェラーズ准将が、まだアメリカで学生の頃に日本人女性・あやに出会います。二人は恋に落ちるのですが、その二人の会話に次のようなものがありました。(場所はアメリカの大学)


フェラーズ「異国に一人で来るなんてあやは勇敢な女性だ」
あや「私は、日本では変わってるの。なんていうか積極的というか・・・」
フェラーズ「それは良くないことなの?(笑)」


といった内容です。(正確な台詞ではありませんがこんな感じです)
映画の展開上さして重要ではないのですが、
何となく引っかかり続けていました。
何がひっかかったのか。


1、 積極的な女性は変わっている ⇒ 消極的、控え目が一般的
2、 アメリカ人からすれば積極的は良いことである。


という新発見とかいうものではなく、「そうだよね〜」という事実確認のようなものですが、何だか気になりました。
一般的に僕たちは戦前の日本女性は自由も権利も制限されていたという印象を持っていると思います。
実際そうだったのでしょう。選挙権はなく、20歳にもなれば適齢期で嫁に行き家に入るというのは多くの女性の既定路線だったのだろうと思います。
ただ男性もそれほど自由ではなかっただろうと思います。
一部都市を抜いて、日本のほとんどの地域では親の職業を継ぐ形で、
次男坊、三男坊などはどこかに修業にだされることが普通だったのではないかと思います。職業選択の自由はあってなかった人が多かったのではないでしょうか。
つまりは、男性も女性もその自由度の差はあったでしょうが、
両方とも「人生の型」があったという意味では同様だったのではないか、
と思うのです。
戦後それは「封建的」という言葉で忌み嫌われ、
昨今では「自分らしく」や「個性」という言葉によってさらに嫌われている状況だと思います。
(映画の寅さんでも「そんなふうけんてき(封建的)な考えじゃダメだよ」と揶揄されているのは戦後の象徴のような気がします)


この「人生の型」は何によって守られていたのだろうか、
と考えると、社会制度や産業構造などもちろんありながらも、
古くからの人の意識というものも大きかったのではないかと思います。
その意識こそ「消極的、控え目」だったのではないでしょうか。
劇中のあやとは逆の姿勢です。
あやは「積極的」にアメリカへ単身留学をします。
それが変わっていると自分で分かる程に日本社会は「消極的、控え目」が一般的だったわけです。


では、「消極的、控え目」を別の言葉で表してみるとどうでしょうか。
様々あるのでしょうが、僕は「役を演じる」という言葉で表してみたいと思います。
別に演劇をするわけではありません。人生の中での「役を演じる」という意味です。
女性で言えば、嫁であり、母であり、妻の役を演じる。
男性で言えば、夫であり、父であり、農民、会社員、職工、役人などの役を演じる。
それら与えられた「役に演じる」ということは、
自分が選択したものではないという意味で「消極的」なものです。
「役を演じる」ということは、自分の思いをいつも自由に表現できることではありません。時に自分の意に反することもしなくてはなりませんし、そのものにならなければいけないかもしれません。
したくないことし、したいことをしないこともあるはずです。
とても不自由であり、閉じ込められたと感じることもあるかもしれません。
しかしそのような状況で生きて行かなければならない時、人はどのようなことを考えるものでしょうか。
人それぞれ、と言ってしまえばそれまでですが、
恐らくほとんどの人に共通することは、「自分の状況を自分で納得させる」という作業ではないかと思います。
「今の状況はこうだけど、これは親から受け継いだものだから私の責任だ。(自分では他のことをしたかったけど)」
という自分の心の中での作業がその具体的なものであり、
それは「葛藤」そのものと言えます。
それは「役を演じる」中で、「自分の状況を自分で納得させる」必要性にかられた時、常に表れる、つまりは、いつも常に抱えているものだったのではないでしょうか。


戦前以前の日本人(相当遡れると思います)は、常に「葛藤」を抱えていた。


「役を演じる」ことを当たり前とされ、しかしその当たり前に対し、
時には疑問を持つこと=「葛藤」を常ものとしていた人々。
それを換言すれば、「常に知性を回転させていた」人々、というのはどうでしょうか。
ただ、いきなりの否定になりますが、全ての人がその「葛藤」=「知性の回転」をしていたわけではないことは確かでしょう。
何も考えずに受け入れていた人も多かっただろうと思います。
重要なことは、日本社会に「役を演じる」という基本を置くことで、
「葛藤」=「知性の回転」を組み入れたのではないか、ということです。
その社会設計です。
封建的な日本の社会は、知性を休ませない上に成り立った社会と言うのは大袈裟でしょうか。


しかし、1853年のペリー来航でその社会も変化を余儀なくされます。
「葛藤」の社会は時間がかかるものです。
「あれじゃない、これじゃない」を繰り返しながら、転びながら進むもどかしさがあるものです。
対して、ペリーが持って来た産業革命の色彩を濃厚に帯びた文化は、
いかに時間を短縮するかを最大の急所とするものでした。
時間がかかる文化の国に、それを善しとしない文化の国がやってきたわけです。
その後はご存知のとおり、開国し、西欧各国に追いつけ追い越せとばかりに、
彼らが決めたルールに則り経済活動をし、社会変革をし、
制度を作り、軍備を増強していきました。
それは「葛藤」という時間のかかるものを減らしていくことを意味したのではないかと僕は思います。
なので、正確に言えば、戦後に急に「役を演じるなんて封建的だ」と言い出したわけではなく、明治時代からそれは始まっていたのです。


井上寿一さんの「戦前昭和の社会1926―1945」(講談社新書)に、
「現在思われている以上に女性の社会進出が活発だった」
という内容の記述がありました。
それは「役を演じる」ことからの離脱とも言えます。
「20歳になったらお嫁に行くんだから、裁縫、料理、掃除、洗濯はしっかり覚えておきなさい」という親の言葉からの離脱です。
「そんなの嫌だ」と自分の意思を解放させたことによる決定です。
それは、『終戦のエンペラー』の中のあやが言う
「積極的」
と同種のものと言えます。
つまり「積極的」とは、自分の人生を自分の意思で決定することと言えます。


「やりたいことをやるんだ」
昨今の世の中をみれば、この意思は疑うことも許されないような「善」です。
「自分の好きなように好きなことをするのが人生さ」
そんなことを言う人が、「個性があって」「自分らしくて」「人生を楽しむ」達人のように扱われる世相です。
それは「自由」を得た成果の一つであり、喜ばしいことでもあります。
戦前では一般的だった「役を演じる」必要もなく、
自分の好きな職業を指向でき、好きな人と結婚することを希望でき、
好きな場所に住むことを考えられるわけですから。
好きなことをできる「自由」は、歴史の変遷の中で得た貴重な価値です。
それは僕も認めます。
ただ、一つ思うことがあります。
そこに「葛藤」はあるのか??
ということです。


戦前の「葛藤」を「自分の状況を自分で納得させる」と先ほど書きました。
素通りできない状況をどうにか自分が納得するように考える、ということです。
好きなことを好きなだけできる環境にこの「葛藤」は出現するのでしょうか?
または、好きなことを好きなだけすることが圧倒的「善」である世の中で、その「葛藤」は出現するのでしょうか?
戦前との相対で言えば、それは確実に減ると思います。
仮に「なんで自分はこんな状況にいるんだ?」という「葛藤」の芽が出て来たとしても、「結局自分で選んだからね」と、その経路が明確な場合、
その芽は瞬時に消えてしまいます。
答えが出てしまいますから。「葛藤」する必要がありません。


「そんなものいらないよ」と言ってしまえばそれまでですが、
僕が「葛藤」に拘る理由は、先に書いた
「葛藤」=「知性の回転」
だからです。
「葛藤」を失うことは「知性の回転」を失うことも意味している、
と僕は思っています。
先ほど、
「日本社会に「役を演じる」という基本を置くことで、
 「葛藤」=「知性の回転」を組み入れたのではないか」
と書きました。
これに習うなら、
現代日本は、「役を演じる」ことを封建的と嫌悪し、
 「葛藤」=「知の回転」を社会から外してしまったのではないか」
ということになります。
「自分は何者なんだ??」という引き裂かれそうな「葛藤」をすることによって起こる「知の回転」を、
「自分はこれを選んで、好きなようにやります」という何の「葛藤」も必要ない状況になることで抹殺してしまった、と言えます。
「知を回転」させる必要を失った状況。
それが現代社会と言えるかもしれません。


僕はそれをもって、まさか
現代日本はたるんどる、戦前に戻れ!」と言う気は毛頭ありません。
「日本を取り戻せ」とか「美しい日本を」とかも言いません(笑)。
僕が思うことは、「知の回転」を常に保つために「役を演じる」ということが
有効であり、必要なのではないか、ということです。
こんなことを考えたのは、
BLOGOSに掲載されていた高畑勲さんの文章を読んだからです。


【特集・憲法】60年の平和の大きさ - 高畑勲
http://blogos.com/article/67053/?axis=&p=1


この中に
「知性や理性を眠らせないですむ方法はあるのでしょうか。」
「この理想と現実の相剋があるからこそ、多くの人々の知性は目覚め続けざるをえなかったし、ずるずる行かないための大きな歯止めになってきたのではないでしょうか。」
という記述があります。
この中の「知性や理性を眠らせない」「知性は目覚め続けざるをえない」という言葉が眩しい程の輝きをもって目に飛び込んできました。
自分の欲望は他者、他物によって気付かされるものだと思いますが、
僕はこの文章によって僕の欲望を認識しました。
僕は「知性を目覚めさせ続ける」ことを欲望していたのです。
それ自体に、またそれをどのように実行するか。


この文章を読んだのは、『終戦のエンペラー』を観る前でした。
高畑さんの文章によって気付かされた欲望を自覚して映画を観たわけですが、当然、それと映画をくっつけようなどと思って観たのではありません。
無意識ではあったのかもしれませんが、自分がコントロールする意識の中ではそんなものはありませんでした。
しかし、冒頭で紹介したあやとフェラーズの会話の場面を観た時、
「知性を目覚めさせ続ける」ことと関係がある、とぼんやりですが、
思いました。
その思いをまとめたのが上記です。


国の状況、人の思いを前に戻すことはできません。
それらは常に更新され続けるものです。
「知性を目覚めさせ続ける」ためには、僕は「葛藤」が必要である、
と考え上記のような文章を書きました。
しかしそれは以前に戻せということではありません。
それは望んだとしても不可能です。(望んでいませんが)
現代社会、現代を生きる人にあったものでなくてはなりません。
どのように「知性を目覚めさせ続ける」ための「葛藤」を現代に甦らせるか。
それを考えていきたいと思います。


映画の感想を遠くに追いやってしまいましたが(笑)、
終戦のエンペラー』を観ての思ったことです。