「社会を変える」から「人間を変える」へ

「特集ワイド:続報真相 デモは社会を変えるか」
http://mainichi.jp/feature/news/20130719dde012040018000c.html
                      毎日新聞 7/19夕刊


が実に興味深かったです。
長いので全文は掲載しませんが、これについて少し書いてみたいと思います。


タイトルの通り、デモについての考察です。
記事中に反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんの言葉がありました。



 「デモで社会は変わらないのか」とこだわると、湯浅さんは「そもそも」と切り出した。「社会を変えるとは何か、何が変われば社会が変わったといえるのか、そこが問われているのではないですか。人はすぐに『結局社会は変わらなかった』と言いたがる。しかし民主党政権に『2030年代でゼロ』と決めさせたのはデモの成果の一つでしょ? 『社会は変わらない』と言う人には『何が変われば社会が変わったと認めるのか』と問いたい」



「社会を変える」という言葉は様々な場面で見聞きします。
今までそのありふれた言葉に対して疑問をもつことはありませんでした。
しかし、上記引用部分を読み、
「そもそも社会とは変わる、変わらないという類いのものではないのではないか??
 不可逆的に進むだけのものではないか??」
とふと思いました。
さらに思ったことは、
「変わる、変わらないは社会ではなく、人間なのではないか??」
です。
その「社会」に生きる「人間」が、変わる、変わらないで評価されるべきなのではないか。
「社会が変わらない」は、本来「人間が変わらない」という言葉で言うべきなのではないか。


そんな疑問とも考えともつかぬものが様々浮かんできました。
人間が変わらないことを、「社会が変わらない」という言葉で社会のせいにしてはいないか、
と社会さんに対して申し訳ない気もしてきました(笑)。
そう考えると少し光が見えてくる気もします。
「社会を変える」となると、とてつもなく大きな作業で、
その言葉を吐いた本人も「ほんと??」と思ってしまいそうですが、
「人間を変える」とすると、周囲の数人なら出来るのではないか、と
その可能性を感じることができそうです。
もちろん「人間を変える」ということは大それたことで、
実は「社会を変える」以上に難しいことかもしれませんが、
「人間の考え方の一部を変える」と書き換えれば、気が楽になります。


繰り返しますが、「社会」は変わる、変わらないといった類いのものではないのかもしれません。ただ時間のベルトコンベアーに乗って進むだけのものかもしれません。
ただずっと同じ形ではありません。
そこに生きる人間が形を創っていきます。
もし社会の形を変えたいと思ったら、そこに生きる人間を変えることでしかそれは達成できなさそうです。
社会は、「変えるもの」という目的ではなく、あくまで「変わったもの」という結果なのかもしれません。
変わった人間によって。


デモにそれを当てはめれば、
デモは「社会を変えるもの」ではなく、「人間を変えるもの」であると、より有効なものになるのかもしれません。