東電に対する‘言葉遣い’


もう1、2ヶ月前のことになりますが、
映画『相棒シリーズ X DAY』を観ました。
レインボーブリッジを封鎖したり、国際テロが絡んだりしない、
テレビサイズの「相棒」の趣きが良かったです。
話自体も面白く、「実は実際にあるんじゃない??」なんて、
想像できるあたりに切実感が漂っていて良かったです。


話の筋は書きませんが、劇中このような台詞がありました。
木村佳乃さん演じる政治家の言葉です。
「システム構築が甘いのよ」
正確な台詞ではありませんが、こんな感じでした。
外部より外務省のサーバーに侵入されたことについての台詞だったと思います。
特に変わった台詞でもなかったのですが、なんとなく引っかかっていました。
「甘い」の部分です。
「システム構築が甘いのよ」
言葉で気になったらとりあえずその言葉の意味にあたるようにしています。
「甘い」を辞書で調べてみます。


あま・い【甘い】
[形][文]あま・し[ク]

1 砂糖や蜜(みつ)のような味である。「あっちの水は苦(にが)いぞ、こっちの水は―・いぞ」→五味(ごみ)

2 塩けが少ない。辛くない。「味つけが幾分―・かったようだ」⇔辛い。

3 口当たりが穏やかで、刺激が少ない。酒の味などにいう。「―・いワイン」⇔辛い。

4 (味覚以外の感覚に転じて)
㋐蜜のようなにおいがする。「香水の―・い香り」
㋑話しぶりが巧みで、人をたぶらかすさま。うまい。「―・い言葉で誘う」
㋒耳に快い。「―・い声で囁(ささや)く」
㋓男女の仲がよく、幸せそうなさま。「―・い新婚生活」

5
㋐やさしすぎるさま。厳しさに欠けているさま。「―・い親」
㋑評価の基準が厳格でない。「―・い採点」⇔辛い。
㋒しっかりした心構えができていない。「そんな―・い考えでは世間は渡れない」

6 楽しく、快いさま。「酸いも―・いも噛(か)み分ける」

7 物事の機能が本来あるべき状態より衰えているさま。「このナイフの切れ味は少し―・い」「ねじが―・くなる」

8 株価の動きが鈍く低落気味だ。「―・い相場」

[派生]あまがる[動ラ五]あまさ[名]あまみ[名]


goo辞書 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/6146/m0u/



色々な意味がありますね。
今回の「システム構築が甘いのよ」にあたるものは、
5㋒の「しっかりした心構えができていない。」だと思います。
あてはめてみると、
「システム構築に対してしっかりした心構えができていないのよ」
となります。恐らくこの意味でしょう。
木村佳乃さん演じる政治家は、「システム構築に対して心構え不足があって、それ故落ち度があった」と言っているわけです。
特におかしくありません。おかしくないどころか、「心構えが不足していたから失敗した」というのは話の流れとして当然の帰結です。
おかしくはないけど、気付いたことが一つあります。
それは、失敗の原因が「心構えの不足」という担当者、担当組織の「怠慢、気の緩み」であった、ということです。
もっと言えば、「出来るということ」は前提=能力の問題ではなく、やる気や注意力が不足していたことを失敗の原因にしている、ということです。
「出来る能力はあるのに、怠慢、気の緩みなどでやらなかった」=「甘い」
なるほど、「甘い」とは、出来る、出来ないの問題ではなく、
やる気があるかないかの問題なのか。
こんな認識になると思い当たることがあります。
東京電力福島第一原子力発電所の処理に関することです。


現在、東京電力福島第一原子力発電所の事故処理を行っています。
先月起こった汚染水の処理問題が記憶に新しいですが、
当然廃炉に向けた作業を柱にして様々な処理がされています。
そんな中で汚染水処理の問題や、従業員の問題や、ネズミ侵入による(らしい)電源停止問題など、様々な問題が起こり続けています。
それに対して、国もメディアも国民も揃って「しっかりしろよ、東電!」と言います。イライラを募らせながら。
そして東電は「この度は申し訳ございません。しっかりやります」と定型句で応答します。その繰り返しで2年が過ぎました。
何度問題が起こっても、このやり取りに変化はありません。
「しっかりしろ」「しっかりやります」のやり取りで解決した問題も、
解決していない問題もそれぞれあるだろうと思います。
しかし、日を追う毎に福島原子力第一発電所の事故の影響、見通しが重いものになっていっている、ということは多くの人が感じていることでしょうし、実際に確かだろうと思います。
月日の流れとともに、問題は解決に向かうどころか、困難な方向に進んでいます。なぜにそうなるのか。当然僕にはそんなことわかるはずもありません。
想像で物を語るしかないのですが、一つだけ思い当たることがあります。
それは、「しっかりしろ」「しっかりやります」にあるのではないでしょうか。


「しっかりしろ」「しっかりやります」は、「甘い」と同系の言葉です。
先ほど、「甘い」を、
「出来る能力はあるのに、怠慢、気の緩みなどでやらなかった」
と書きました。
「しっかりしろ」「しっかりやります」も前提として、
「能力がある」ということを置いていはしないでしょうか。
日常の中で「しっかりしろ」を使う時、できない人に対してはあまり使いません。できない人に、やることを目的とした「しっかりしろ」というのは変です。もしそのような人に言葉をかける時は「こうやるんだから見ていろ」「それはこっちでやるからやらなくていいよ」など、「君はやらなくていいよ」といった方向になるのが自然です。できないのだから当然です。
「しっかりしろ」は期待の一種です。できるのだから、を含んだ言葉です。
「甘い」と同様、
「出来る能力はあるのに、怠慢、気の緩みなどでやらなかった。」
だから「しっかりしろ」です。
「ちゃんとやれ」「適切に処理しろ」なども、言い方は異なっても、
同系であることに違いはありません。


国、メディア、僕たち国民は「東電は処理する能力がある」と思っているから、
「しっかりしろ」と言っているのです。
「東電は処理する能力があるのに、しっかりしないから」イライラするのです。
経産省で4/26(金)に汚染水処理対策委員会(第一回)が行われたそうです。
http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/20130426_02.html経産省
そこの資料(資料2-4 汚染水処理の現状と今後の対応について)にこのような文言があります。

                • --------


「当面の課題と対応」という項目において、


東京電力の対策>
・ 1、2号地下貯水槽の汚染水は既存の鋼製タンクへ移送(4月中完了予定)
・ 3、6号地下貯水槽の汚染水は新規の鋼製タンクを設置して移送する計画(6月中目処)
・ 漏えいした汚染水のモニタリングの的確な実施(観測孔37箇所により地下水を監視)


原子力規制庁の対応>
東京電力に対して、地下貯水槽からの移送と移送先を早期に実施すること、海域など敷地外への漏えいがないように、漏えいした汚染水のモニタリングを的確に実施し、環境への影響を把握することを求め、その実施状況を現地の原子力保安検査官により厳格に確認する。
東京電力の汚染水の貯蔵・管理体制の堅牢性について、今後、原子力規制庁として確認を行っていくこととする。

                • --------


との記述があります。
汚染水処理に関する今後についてですが、これを読んでわかるように、
実際に処理するのは東電、原子力規制庁は確認するだけです。
経産省主宰の会合ですが、経産省に出番はないようです。
この会合、経産省が「東電にまかせておけん」といって作られたもののようですが、(http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1200Z_S3A410C1EB1000/ 日本経済新聞 4/12)資料を見る限り、実際に処理するのはやはり東電のようです。そのことに変わりはありません。
依然東電に対し「しっかりしろ」と叱咤激励することで処理を進める方向で進むようです。
「東電、君はやればできるんだ」という無言の前提で。
メディアも国民も差こそあれ、「東電、しっかりしろよ」と、その能力ではなく、やる気を問題として、原発処理を眺めています。
国、メディア、国民一緒になって眺めています。


でも本当にそれで良いのでしょうか??
「しっかりやれよ」「しっかりやります」という応答で時間を使っていいのでしょうか??
その応答の前提にある「能力はある」が東電に当てはまるのでしょうか??
東電に能力はあるのでしょうか??


技術的なこと、正確な状況は僕にはわかるはずもありませんが、
これまでの東電の対応を見ていると、能力について疑問を感じてしまいます。
気付いた時には、「できませんでした。申し訳ございません」という東電の言葉とともにエラいことになっている状況はありえないのでしょうか。


「汚染水問題「戦略見直すべきだ」 IAEA調査団長指摘」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130422/dst13042219500008-n1.htm  産經新聞 4/22


「福島第1原発の汚染水「最新の危機」「東電に戦略ない」 米紙」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130430/amr13043019090006-n1.htm  産經新聞 4/30


IAEAの視察結果についての記事と、NYタイムスが「こう言っている」という記事です。
この内容が正確なものかは僕にはわかりませんが、
対象としているのが「東電の能力」である、ということは確かです。
「東電に能力はないんじゃなかろうか」
僕はこの視点に立つべき時が来ているのではないかと思います。
「しっかりやれよ」という叱咤激励の言葉ではなく、「できるの?できないの?」といった能力を問う切羽詰まった言葉を使う時に来ているのではないでしょうか。
その問いの結果「できません」が東電の答えだったら、
それはそれで進みようがあります。
日本国内の他の電力会社かもしれないし、海外の専門家、電力会社かもしれない。この辺あてずっぽうですけど(笑)、他に協力できる組織と一緒に東電が処理にあたる方向だってあるかもしれません。
「しっかりやれよ」の結果の、どうにもならない状態での「できませんでした」よりも、早目の「できませんでした」の方がずっと危険が少ないと思います。
そのためには、「しっかりやれよ」「しっかりやります」という定型と化した応答ではない、能力の有無を前提とした応答をするよう心掛けた方がよいのではないかと思います。


能力があるのか、ないのか。
そこをも問う言葉遣いが必要なのではないでしょうか。
「しっかりしろよ」「しっかりします」の言葉遣いは、問題を先送りを促進させるだけのような気がします。