映画『リンカーン』と憲法96条改悪案について

※ ネタバレあり。



昨日、映画『リンカーン』を観にいきました。
金曜日夜のイオンシネマは、ポイント2倍で4ポイントもらえます。
(高崎だけ??)
10ポイントで1回観ることができますので、
3回金曜日夜に観にいけば1回無料で観ることができます。
すごいポイント率だと思うのです!
しかも、レイトショーは1,000円なので何だか悪い気がしてきます(笑)。



今週は『リンカーン』でした。
もちろんアメリカ第16代大統領のエイブラハム・リンカーンの話です。
ただリンカーンの一生といった偉人伝ではなく、
南北戦争奴隷制を否定する憲法修正第13条の議会通過にスポットをあてた
物語です。
生い立ちや若い頃のリンカーンの話は一切でてきませんし、
暗殺についても最後に少し触れる程度です。


アメリカという国は若いです。
1776年に独立を宣言後、現在まで247年しか経っていません。
若くてエネルギッシュなのかもしれませんが、
その若さは「歴史」のなさを証明するものです。
アメリカには「歴史」がない。
そんな国にとって、「歴史上の人物」は当然貴重なものになります。
「歴史」のなさは、絶対的にその数が少ないことに繋がるわけで、
相対的にその貴重度は増します。
そんな状況にある国で、リンカーンという「歴史上の人物」はどのように
捉えられているのか、というのが映画を観る前の僕の最大の関心事でした。
ちなみに、アメリカのヒーロー信仰は
「歴史」のなさによる「歴史上の人物」の少なさに裏返しの欲望なのではないか、と特に調べることもしないで当てずっぽうに想像しています(笑)。



映画が始まり、物語を追って行く中で、
なんかこの風景知っているなあ、と思いました。
映画の最初から最後まで、
奴隷制を否定する憲法修正第13条の議会通過を中心に話が進むのですが、
それが現在日本で盛んに取り上げられている憲法96条の修正の話と僕の中でリンクしました。
その二つの共通点は、「2/3」という数字です。
アメリカの憲法第五条には、


憲法修正には連邦議会による場合、上院と下院の投票があり、
定足数(全議員である必要はない)の2/3の賛成によって修正を提案できるようになる、その修正提案はその時の3/4以上の州によって批准されると有効になる」


という修正内容があるようです。(上記は原文訳ではありません)
これはリンカーンの時代も、現在も変更はありません。
映画の中でも、いかに下院で2/3を取るか、ということが軸になっていました。
当時もアメリカは共和党民主党の二大政党制だったようです。
リンカーン共和党奴隷制反対、民主党奴隷制賛成、
というのが大きな流れで、ただ共和党の中にも「奴隷制否定だけでは生温い。黒人にも参政権を!」といったその当時では極めて急進的な考えを持った人たちもいて、強固に一つになっていたわけではなかった、というところから、
リンカーン側がそれらの人たちの支持を取付けるまでが映画の前半、
後半は相手側民主党議員の切り崩しがメインになります。
180議席(だったかな??それくらい笑)中、100議席共和党は持っていました。180の2/3で、修正案を通すには120の賛成票が必要な中、
共和党全員の賛成を前提にして、あと20足りない状況。
共和党急進派を取り込んでも、敵側の20を切り崩さなければ廃案になってしまう状況で、リンカーン側は様々な切り崩し策を実行します。
役職を与えるとか、お金をあげるとか、所謂‘汚いこと’です。
それはロビイストを通じて行われていましたが、
その甲斐あって11人を取り込むことに成功します。
ただまだ足りない。それを補うため、
リンカーンが直接民主党議員に話をし、語りかけ、
「あとは君の心が決めることだ」みたいなかっこいい台詞を相手に投げかけたりします。(この辺、アメリカンヒーローです笑)
いざ投票になり、119票を集め奴隷制を否定する憲法修正第13条は無事通過しました。(棄権が複数あったため119票でもOKでした)
その後、南北戦争終結リンカーン暗殺と矢継ぎ早に続き、映画は終了しました。まさに、奴隷制を否定する憲法修正第13条の物語でした。



僕の筆力の問題も多いにありますが、こうして文字で書くととてもあっさりしています。
映画ではその辺実に濃密に、
そして実際においても当時「常識」に登録されていた黒人奴隷制度を廃止する、
ということは、今では想像もできないほどに困難なことだったろうと推測します。映画ではその困難さが再三表現されていました。
この映画を観終わってすぐの感想は、
リンカーンはすごい人だ!」とか
「起承転結がしっかりしていて面白い!」とかそういった類いのものではなく、
ちょっと疲れるくらいの「困難さ」という、およそ映画のそれではありませんでした。


人を説得し、時に利益をちらつかせ、時に恫喝する。
その過程がそのまま賛成票獲得の過程であるのですが、
映画内で行われていた賛成票獲得策が実際にあったのかどうかわかりません。
史実に基づいているのか、いないのか分かりませんが、
そこはさして重要ではありません。
重要なことは、憲法修正案がどんな「困難さ」を伴って下院を通過し、
実際に規定された憲法となったのか、
というその「困難さ」の存在の証明にあった、のだと思います。
先述の通り、アメリカでは、憲法修正案が議会を通過しても、
3/4以上の州の批准がなければ修正が完了しません。
その3/4という数字が意味するのは、
もちろん政治的な力や利権などの関係もあるでしょうが、
その修正案が多くの人から見て「正当」だ、と認められるかの
判断となる数字である、というところにあるのではないでしょうか。
議会における2/3以上の賛成票、州における3/4以上の批准をもって
憲法は修正できる、という事実は、
その過程において多大なる「困難さ」があることを多くの人が想像するのを
容易にさせるものだと思います。
その「困難さ」を克服してきたからこそ、その修正案を(渋々であっても)受け入れることができる=「正当」であると認めることができる。
憲法は国が個人の基本的人権を侵さないように監視する装置であるとともに、
「こういう国になります」という国の方向性を表した理念です。
その理念という形のないものが力を持つには、
それを頂く国民がその理念に敬意をもつことが必要です。
それによって理念は活き活きと躍動し、国を包み込む大きな光となるのです。国民の敬意を得るには、その理念が成立するまでの「困難さ」が、
誰にも想像できるような形で存在しなくてはなりません。
簡単にすいすい通ってきたものに人は価値を感じません。
価値はそのものにではなく、その過程によって醸成さるものです。
例えば、昨今話題になっている現在の日本国憲法96条


「第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」


において、2/3以上の賛成 ⇒ 1/2以上の賛成に変更されたらどうでしょうか。
1/2といえば、過半数です。
選挙があればどこかの党が必ず獲得するような、
言わば「当たり前」のものです。
その「当たり前」の1/2の賛成によって憲法修正提案が可能になったら、
国民はそこに価値を感じる=「正当」だと認めることができるでしょうか。
換言すれば
「そんな簡単な方法で通過した憲法修正案に正当性はあるの??」
といった感じです。
もちろん、衆参議院を通過したあとに国民投票があります。
そこで1/2以上の賛成票をとれば、憲法修正が実際になされるわけですが、
例えば、提出された憲法修正案に反対している立場の人にとって、
議会においての1/2以上、国民投票においての1/2以上で憲法が修正される、という事実は受け入れることができるでしょうか。
「しょうがない」と思えるポイントはあるでしょうか。
1/2以上という「当たり前」の法律変更と同じレベルの数字に対して、
「しょうがない」の前に、「半分反対しても通るじゃないか」という感情が
先に立つように思えてなりません。
そんな人にとってその憲法修正案は「正当」ではありません。
敬意をもつことができません。
どこかに「僕は反対だけど、これだけの人が賛成しているならしょうがない」
というポイントを作っておく必要があり、それが多くの人が「正当性」を感じることを担保する装置になるのです。
「困難さ」の存在を明確にしておくことによって、それがなされるのです。
その意味において、日本国憲法96条の
2/3以上を、1/2以上に変更しようとする自民党の修正案は愚である、
というのが僕の考えです。
2/3以上という「困難さ」は残さなくてはならない。
憲法は一部の国民が納得すれば良い、といった類いのものではありません。
多くの国民が、全面的になのか、渋々なのか、その程度の差はあっても、
一定の「納得」の基で存在するものでなくてはならないのです。
憲法憲法であるための「困難さ」を取り除こうとする自民党案は、
憲法の息の根を止める行為です。


映画『リンカーン』において1/2以上の賛成で憲法修正案が議会を通過できたとしたら、
奴隷制を否定する憲法修正第13条はどのように扱われていたでしょうか。
想像でしかありませんが、こんな感じだったのかもしれません。
「たかだか半分ちょいの議員の賛成で通過したんだろ。そんな数で修正された憲法なんかクソ喰らえだ」
修正された憲法を憎む人、恨む人が実際よりもたくさん出たのではないでしょうか。
「自分は反対だけど、そんなに多くの人が賛成するならしょうがねえや」
そう思える手続きの「困難さ」をもつ憲法によって、
憲法自身、国民から敬意を集めることができるのです。
簡単に変更がなされる憲法に対し、国の理念を任せることができるとは
僕は思いません。