一昨日買った本


唯幻論大全

唯幻論大全


唯幻論がなになのかはまったく分かりません。
この本を目にするまで、その言葉すら知りませんでした。
岸田秀さんはかろうじてお名前だけ知っていました。
内田樹さん経由で。
以前、内田さんが岸田さん著「ものぐさ精神分析」をオススメしていたのを覚えていました。
岸田さんに対する知識はそんなもの、というか無いに等しい、と言ってもよいくらいです。
そんな僕が「岸田精神分析40年の集大成」を買うなんていうのは、
ちゃんちゃら可笑しいですね。40年どころか、1秒も知らないのに!
でも買ってしまいました。


装丁の良さと、紙の具合と、本のほどよい厚み。
僕にとって完璧でした。
そういう本に出会った時、買わなければならない、と思ってしまいます。
完璧であるこの本に対する僕の愛着は一入です。中身は何も知りませんが(笑)。
でも、その愛着が中身を豊かにする、ということを僕は経験的に知っています。
愛着の力は絶大です。
なぜなら、愛着をもったものは、「良いもの」にしなくてはならないからです。
愛着をもったものは、悪いものどころか、普通であってもなりません。
「良いもの」でなければ!
「良いもの」というのは自分の判断の前に絶対的に存在するものではない、
と僕は思っています。
自分が「良いもの」にするのだと思っています。
こねくりまわして「良いもの」とするのです。
愛着をもったものが「良いもの」でないのは、哀しいことですから。
「作られた良いもの」なんか価値がない!という考え方もあるかも
しれませんが、どっこいそんなものからでも、実り多きものを得ることができたりします。
なぜなら、自分がそれを「良いもの」としているからです。
「良いものなんだから、得るものがある」という当然の理路の中に
自分をぶちこめば、何かを得ようと思うのは当然だろうと思います。
そうすれば実際になかなかのものを得ることができます。
僕の経験からですが。


愛着と「良いもの」は密接な繋がりをもっています。
大切なことは、その中身ではなく、それが提示される方法です。
本で言えば、装丁から紙、厚さなど、また出会い方です。


だから良い本に出会うためには、愛着を持てる本を見つけられる状況に自分を置くことが大切だと僕は思っています。
それは人それぞれなのでしょうが、
僕にとっては本屋さんにいくことです。
紙質、厚み、重さ、装丁、匂いなどなどを感じることができ、
また「目の前にある膨大な本のうちからなぜこの本を手に取ったのか」
という‘運命の出会い’を感じることができる本屋さんが、
僕にとってのその場です。


愛着を持てるもの、思わず愛着が湧いてしまうもの。
そんな本を求めて本屋に僕はいきます。
ネット通販で、それらを見つけることは、僕にとっては難しいです。



二・二六事件蹶起将校 最後の手記

二・二六事件蹶起将校 最後の手記


この本を見つけて、何気なく手に取って中身を見たら、
びっくりしました。
著者の山本又さん、ニ・ニ六事件に実際に参加した将校だったのです。
ニ・ニ六事件については松本清張さんの「昭和史発掘」を読んで、
だいたいの流れ、登場人物は把握していたつもりでしたが、
山本又さんの名はまったく記憶にありませんでした。
「そんな人がいたのか!」という驚きだったのですが、
少し読み進めるとさらにびっくり。
山本又さん、捕まることなく、脱出していたのです。
ニ・ニ六事件の終結は、叛乱将校たちの投降によってなされますが、
その際、山本又さんは脱出しました。
その4日後に自首をして、
他の事件首謀者たちと同じ小菅刑務所に収監されました。
逃げるのが目的ではなく、日蓮宗の熱心な信者だったために、
その総本山である身延山で、事件の犠牲者となった高橋是清さんをはじめとする3人の主要者と、その警護をしていた6人の警官の冥福を祈るのが目的だったようです。
事件首謀者はことごとく銃殺の刑に処せられましたが、
山本又さんは禁錮10年の刑に処せられました。(実際は、大赦により5年で出獄)


この話だけでも一つの物語になりますね。
本のタイトルのとおり、これは山本又さんの手記によるものです。
事件首謀者の一人である、安藤輝三さんに「二・二六日本革命史を書いてくれ」と頼まれ、その返答としての手記とのことです。
2008年に遺族により発見されたそうです。



松本清張さんの「日本発掘史」を読んで以来、
二・二六事件は、僕の中でのメイントピックスの1つです。
それは「日本人ってなんだ??」という僕の中の大元のトピックに連なる枝葉のような
感じです。
「日本人ってなんだ??」を考える時、
二・二六事件は大きな道具になるのではないか、と踏んでいます。
そんな感じで二・二六事件がずっと気になっているのですが、
最近その想いがより強くなってきています。
それは、幕末維新騒乱期と二・二六事件のつながりを感じるようになってきたからです。



「幕末維新騒乱期は、対話ではなく、暴力の時期だったのではないか」
というアイデアがパッと浮かびました。
幕末だ、維新だ、というと、
「日本を海外列強から救った英雄たちの物語」
といったイメージが前提なしに語られている感がありますが、
それは本当だったのか??
とふと思いました。
なぜにそう思ったかと言えば、幕末維新騒乱期の「時間」です。
どこからを幕末というのかは諸説あるのでしょうが、
ペリー来航からとしても、1853〜1867年の15年間です。
大老井伊直弼暗殺からですと、1860〜1867年の8年間です。
「たった」の印象です。
一国の体制が抜本的に変わってしまう期間の最初から最後まで、
と考えると短い様な気がしてなりません。
しかも、その当時は移動に莫大な時間がかかります。
実際に事を成していた(対話をしたり、施策をすりあわせたり、議論をしたり)時間は、15年間、または8年間の中でも半分くらいだったのではないでしょうか。(要検討)
その短い時間で果たして、「英雄」たちは巧く立ち回れたのだろうか、
いう疑問が、
「幕末維新騒乱期は、対話ではなく、暴力の時期だったのではないか」
というアイデアに繋がったわけです。
「英雄」がやっていたことは、
ただの「俺のいうことを聞かない奴は殺しちゃおう」という
節操のない暴力だったのではなかろうか??
これは深く考えたわけでもない、ただのアイデアなので、
これから考察をしなければなりませんが、
その「俺のいうことを聞かない奴は殺しちゃおう」が、
二・二六事件を実行した青年将校と呼ばれる人たちに重なって見えてくるのです。
その行動様式において、
幕末維新騒乱期の「英雄」と二・二六事件首謀者たちは同様だったのではないか。



幕末維新騒乱期も当然、
「日本人ってなんだ??」
の大きな鍵になると思っています。
幕末維新騒乱期と二・二六事件
その関連性、共通性に思いを巡らす今、
二・二六事件関連の本を手にするのは自然のことだったのだろうと思います。