「読書」について


以前知り合いの方の冊子に寄稿した
「読書」について
の文章です。


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 私が人生において、長い時間つきあっている「読書について」書きたいと思います。



<初めての読書体験>


 私の最初の読書体験、といって思い出すのが、小学五年生の頃のことです。本の題名は忘れてしまったのですが、「はだしのゲン」などで著名な漫画家・中沢啓治さんの作品でした。題名を覚えていない、漫画であった、と大変心細いのですが、「ああ、本を読んだ」という感覚を持ったのはそれが最初でした。それまでも絵本などは好きでしたし、「ドラゴンボール」や「キン肉マン」など漫画はよく読んでいました。「少年ジャンプ」は毎週読んでいました。ただそれらを読んで「ああ、本を読んだ」とは感じたことはありませんでした。
 ではなぜ中沢啓治さんの作品を読んで読書をしたという感覚を得たのか。中沢啓治さんは「はだしのゲン」に代表されるように、大東亜戦争に関連した内容の作品を数多く発表していますので、その内容のシビアさがそう思わせた、と言うとカッコイイところですが、理由はとても単純で「その本が厚かった」からです。(なにせ、題名も覚えていないんですから笑)ハードカバーで500ページくらいあったと思います。ズシンとくる重み、ページをめくった回数、読むのにかかった時間など。それらの経験・記憶が「ああ、本を読んだ」という満足感、達成感を私に与えてくれたのだと思います。その後私は本の良さにはまり、本を読むことが日常になっていきました。太宰治作品、司馬遼太郎作品などを好んで読み、大学も終わりかけた頃に、「たくさんの読書の恵みを受けとったなあ」と実感するに至りました。


 
<読書の恵み>


 私が読書から受けた恵みは、楽しい時間を過ごせた、未知のことを知ることができた、などはさることながら、言葉を獲得できた、ということも大きなものです。言葉を獲得する、ということは、難しい新たな言葉の意味を知る、ということではありません。時に簡単な言葉、文章でさえあります。自分の中でモヤモヤしていた感情や気持ちや言葉にうまくできないアイデアなどを説明できる言葉や文章を獲得する、ということです。例えば、医師であり作家でもある福岡伸一さんは「今でも覚えているのがこの「ふるまい」という言葉なのである。(中略)それ以降、この言葉は私の引き出しに大切にしまわれた。」(『生物と無生物のあいだ』P53)と語っており、精神医の春日武彦さんは「その番組が好きだということ、いかに好きかということを、うまく表現することができないでいたんですね。(中略)そして、「何しろあの番組は、飛行機的だからね」って言うんで、そうかぁって感動してね。ことばというのは、こんなにすごいものなんだっていうことを体験したわけです。」(『健全な肉体に狂気は宿る』P109)と語っています。どちらも「ふるまい」と「飛行機的」という難しい言葉ではなく、ごく普通の言葉です。ただそのありふれた言葉でお二人は、それまで自分の中にモヤモヤしていたものを説明できるようになったわけです。



<言葉の獲得>


 読書はこの‘言葉の獲得’に大きな力を発揮します。人間は、言葉で話し、言葉で書き、言葉で考えます。言葉なしには何もできません。それらをより深いレベルにするには言葉を獲得する方法以外あり得ません。
 私は現在‘言葉の獲得’を主眼においた小さな読書会を主宰しています。①参加者が興味あるけど詳しくないもの。②正しい、間違っているを話すのではなく、参加者の本についての考えと考えを積み重ね、新たな考えを共有する。の2点をルールにしています。本を読み、違う考えを持った人と話すことで、自分の思いも寄らない言葉を獲得する機会を創りたく始めたものです。
言葉を獲得するとは、返す返すですが、自分の考え、物事の状況などを、より深いレベルで表現することに直結します。私の経験則ですが、言葉の獲得を絶えずしている人は穏やかな雰囲気に包まれていることが多いです。それは、自分の考え、状況を相手が誤解しないように説明できる、というテクニカルな要素に加え、言葉を獲得する過程で軋轢がいかに無駄なものであるかと知るからではないか、と推測します。そういう人間が増えれば住みやすい社会になるなあ、と単純に思い読書会を主宰したのですが、これを地元でもやってみたいと考えています。形を少し変えて、子どもや高齢者の方も巻き込んだ形に魅力を感じています。読書は何歳からでも始められます。早い、遅いなどありません。きっかけを掴んだ時がその人のタイミングです。そのきっかけになるような場を創れれば、と考えています。



<読書でつなぐ今後の社会>


 これまでの社会は、行政やそれまでの伝統・習わしによって守られてきた側面が大きいと私は考えています。しかし今後を考えるとどうでしょうか。どこもかしこも財政難で縮み行く行政、日々失われつつある伝統や習わし。現在はその過渡期にあります。まだその影響は顕在化していませんが、近い将来必ずその影響が出てくることは容易に想像できます。その時のためにいかに備えるか。それについて、幅広い世代の人が参加し、行政に頼らないコミュニティを数多く作ること、伝統や習わしを若い世代や子どもたちに伝える流れを作ることから始めるのが効果的だと私は考えています。その大元になるのは、言葉です。いかに自分の考え、状況をしっくりくる形で伝えることができるか、それが社会を安定的に継続させる大きな要素になる、と私は信じています。その方法となる読書は社会を作るのに大きな力を発揮するのではないでしょうか。私はそんな風に思います。


 「自分しかやれないこと」という昨今流行の‘自分らしさ’や‘個性がある’などと極めて親和性の高いことには、私は興味がありません。「自分しかやらないこと」という、例えるなら誰かがやらないと困る雪かき掃除のようなことに、自分のエネルギーを使っていきたいです。読書を使って、その道を探り探り進み、狭い範囲ですが地域社会の一助になれればと考えている次第です。



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「言葉の獲得」それによる「思考」
についてより深く書いてみるのが課題です。