今日の一作 〜 映画『かいじゅうたちのいるところ』

群馬初レイトショーで観てきました。
絵本が原作ということで楽しみにしていました。
最近、絵本だとかファンタジーだとかにワクワクします。


さらにスパイク・ジョーンズ監督というのもグッときます。
スパイクさん作、Weezerの「Island In The Sun」という曲のPVがめちゃくちゃステキだったので。


僕は最近映画を観る時、
登場人物の描かれ方に注意しながら観るようにしていますが、
この映画はその観点ですこぶる上等だと思いました。
登場人物自体が少ないので、一人の人物に時間を割くことができる、
という物理的な理由もありますが、
そんな可視的な理由のみでない巧みさがありました。


その巧みさとは、端的に言えば、画面には表れないその人物の背景を醸す、です。
実際に映画の中でその人物が語った言葉以上に、
「この人だったら映画で描かれている前の時間、後の時間で
 こういうことを言うんだろう、やるんだろうなあ。」
ということを観るものに‘想像させる’こと。


登場人物に台詞で「私はこうこうです」ということを語らせることは
創る側からしても簡単で、観る側からしても単純なことで分かりやすいけど、
そういった断定的な行為は、観る者から想像力を奪うのではないかと思います。
断定的ではなく、暗示的に提示すること。
そんな一見不完全な‘隙間’を作れるか、どうか。
その‘隙間’が観る者の想像力を起動させるのではないでしょうか。
芸術の役目の一つが「触れる者の想像力を起動させる」ことだとすれば、
この‘隙間’は芸術の要諦だといえます。


かいじゅうたちのいるところ』は、そんな‘隙間’のある映画でした。
創り手の丁寧さ、誠実さが、その‘隙間’を創りだしたのだと思います。
「観る人の想像力を奪わないですよ、どうぞ楽しんでくださいね」
という創り手の声が聞こえてくるようで、
観終わった後にとても清清しい気分になりました。


ふと、それが「絵本の肝」なんじゃないか、と思いました。