国母さん

「母国」と間違えてしまうのは修行が足りないのですね、きっと。



この話の大元が何日か前に取り上げられていたときに
「気分が悪いなあ」と思いました。
ニュースについてではなく、
国母さんに対してです。
(それからニュース自体も気分悪くなるのは常ですが)


別に彼の服装に、ではありません。
彼の服装が正しいか、そうじゃないか、みたいな
アホな質問を渋谷の若者(って誰だ?)にした結果のニュースが
ありましたが、
http://www.sanspo.com/vancouver2010/news/100213/oaf1002132004008-n1.htm
そんなことはどうでもよろしい、と僕は思います。
服装に間違いなんかあるわけないし。
ご自由に、としか言えません。


それでは何に僕は気分を悪くしたのかを考えてみると、
多分、こんな感じです。


 主語が「他者が」になるべき場所で、
 彼は主語を「自分が」にした。


ということではないかと思います。


オリンピックに出場するため、
日本選手公式の服を着て、
オリンピック開催国の空港に降り立つ。


これを公的か、私的かという観点で見ると、
公的なものではないでしょうか。少なくとも僕には。
公的、が何を意味するかは、
自分以外の他者が関わっていること、
そして、他者への比重の方が、自分より高い
ということです。


ところで、日本のオリンピック選手にとって他者とは、JOCはもちろん、
日本国民をも含むだろうと僕は思います。
それは国と国の間で争うわれる、
というそもそもなところから、
100年以上行われている歴史によるものです。


問題となった「公式の場所」空港。
国母さん(もちろん日本選手、関係者全員)は、
「自分がこうしたい」ではなく、
「他者がこうしてほしい」をするべきだったのではないでしょうか。
主語を取り間違えています。


僕が気分が悪くなった、その理由は
他者である国民(もちろん僕も含まれます)を無視した行為だった、
と感じたからだと思います。
(国母さんが無視したかどうかではなく、
 他者が無視されたと感じるかどうか)
自分が相手にされる場面で唐突に無視されたら、
その他者は怒るのか、ふてくされるのか、立ち去るのか、
その反応は様々ですが、共通することは、
気分が悪い
ことだろうと想像します。
それは子供じみたことかもしれません。
無視されたと感じたに気分を悪くする、
と言ってるのですから。
大人気ないことかもしれないけど、
ただ、無視されていると感じることは、
きっと、永遠に良いベクトルには向かないだろうと僕は思います。


国母さんの行為に対して
「税金を使ってるくせに!」「日本の恥だ」
なんていう‘大人気ある’理由で怒っている人が新聞に載ってましたが、
本当は
「無視されたと感じたことに気分を悪くしている」
という‘大人気ない’理由なんじゃないのー?
と訝しがってしまいます。


まあ、どっちらでもいいのですけど、
場所によって主語を間違えちゃいけんなあ、と思う次第です。



ついでに。
上のサンスポのニュース内に


>「ちょいワルオヤジ」の生みの親で、現在はウェブマガジンなどを手掛ける岸田一郎さんは「スノボはストリート系ファッションと密接に結びついたスポーツで、国母選手にとっては自然な着こなしだったと思う」と擁護。


というのがありますが、
そういうことではないのではないでしょうか、岸田さん
ととりあえずツッコんでおきます。
さすが「ちょいワルオヤジ」ですね。