テレビのテロップ

知らぬ間にあった、という感じがしますが、もう10年くらい(それ以上??)前からよく見かけるようになったのでしょうか、テレビのテロップ。
めちゃイケ」が一番最初だった、というなことを聞いたことがあるような、ないようなですが、今ではバラエティ番組のみならず、ニュース番組でも情報番組でも、ドキュメンタリー番組でも、どんな番組でもよく使われています。
つまりはテレビを見ていれば必ず目にするわけですが、
これが与える影響について以前より考えていました。

僕はテレビのテロップは極力読まないようにしています。
ニュース番組やドキュメンタリー番組でよくある情報の補足的な場合、内容をよく理解したい場合は読みますが、しゃべられたことがそのままで表示されるテロップは読みません。
と書きつつ油断をしていると、上記の見ない類のテロップを読んでしまっていることがあります。
気づくと「いけない、いけない」と視線を画面上方に移します。
「意識しないと見てしまうんだなあ」とそんな時は思います。
「意識しないでも見てしまう」ということは、「魅力的なものなんだなあ」ということです。
確かに魅力があります。
画面内での会話を聞いていなくてもテロップを見れば内容を理解できるし、
バラエティ番組だったら面白さが増幅されたりします。
何かプラスの効果があるものには無意識的に意識してしまうのは、おそらく人間の性なので、「そういうものなんだなあ」と思うわけです。
だから油断していると見てしまいます。

僕は何かを判断する時には対象物の想像できうるプラス面、マイナス面を取り上げてみて、
それを採用するか、しないか判断します。
テレビのテロップの場合はどうか、と考えると、
上記のプラス面は認めつつも、乗り越えがたいマイナス面があります。(あくまで僕にとってですが)
それは「耳の能力が低下する」というマイナス面です。
耳が聞こえにくくなる、とかいう意味ではなく、人の話を聞き取る能力が低下するという意味です。
人の話を聞き取る、ということは意外になのか、当然なのか、難しいものです。
難しい単語を使われる、早口だ、論理展開がよくわからん、などなどの特異性のある話でなくても、通常の話でも聞き取るという行為は難しいものです。
普段はあまりそれを意識しないですが、それは「分かっているつもり」になっているからです。
人の話を聞いても自分の都合にあわせて、必要な部分、重要な部分などを無意識に取り上げて、自分のうちに入れていきます。
(あくまで「自分の都合」なので、必要な部分などが客観的に「必要」なのかどうかは別問題です。逆に自分が「必要ない」と判断した部分も客観的には「必要」な場合もありえます)
これは「自分の都合」で処理しているので、それほど難しくは感じないかもしれません。
「分かっているつもり」になっているくらいですから。
しかし、「自分の都合」を無視した状態=人の話をそのまま聞き取ることは、実は非常に難しいことなのです。

それは以前書いた単語の意味、という観点からの理由もありますが、
出てきた言葉を瞬時に判断して意味を繋いでいくこと自体が根本的に困難だ、という身も蓋もない理由なのですが。
「自分の都合の内」で生きていこう、という人には、そんな困難さに直面する必要性はないかもしれませんが、
他者と共同して何かをしよう、他者と仲良くなろう、他者に何かお願いしよう、など他者を絡めた生き方をしたい人にはその困難さに真剣に向き合わざるを得ないのではないかと思います。
なにせ他者は「自分の都合の外」にいますから。
「自分の都合」で他者の話を聞いていたら、
他者の言わんとしていることを理解することは絶望的な状況になります。
(奇跡的に合致するかもしれませんが。。)
それでは「他者の都合」で話を聞けばよいのか、というと、それがベストなのかもしれませんが、やはり他者は他者なので、その他者に同化することは、これまた絶望的に困難かと思います。
残る方法は、他者の話を話のまま聞く、という至極単純なことです。
自分のフィルターを通さずに、話をそのまま聞く。
他者の言うことを理解するためには、まずこの方法を取らざるを得ないのではないでしょうか。

ここで必要な能力は「話を話のまま聞く能力」です。
テレビのテロップは、この「話を話のまま聞く能力」を低下させるのではないかと僕は思っています。
目で見て理解すること、と、聞いて理解すること、では、目で、の方が易しいです。
テロップは「目で」を助長し、「耳で」を回避させます。
それが継続的に続くことで「話を話のまま聞く能力」が低下するのは至極自然のことです。
テロップが通常になって10年かそこら経つ現在、あまりその功罪について語られることはないけど、すでにそれは表面化していることなのではないかと僕は思います。
巷で言うコミュニケーション能力の低下の原因もここにあると僕は勝手に確信しています。
耳の能力の低下は、生きていく中で思っている以上に不利に働くことがありそうなので、
気をつけたいと僕は思うわけです。
ホントか知らないけど。。