「最後のパレード」という本
amazonより
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東京ディズニーランドのキャストだけが知っている涙が止まらない物語
東京ディズニーランドの開業に携わり、当パークのスーパーバイザーを約15年間つとめた著者が、すべてのキャストたちへ丁寧に語り伝えていた「ディズニーランドの心温まる出来事」を33篇収録。
この本は、決して、小説のようにドラマティックな物語ではありません。またディズニーランドの裏側に迫るようなビジネスに役立つ本でもありません。ただ「夢」や「希望」といった言葉のすばらしさを確かめながら、ゆっくりと温かい気持ちになっていく、そんな一冊です。
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という内容の本のようです。
今日本屋さんでこの本の広告を見ました。
そこには「読んだ人の97%が泣いた!」とありました。
瞬間的に「絶対3%のほうでありたい」と感じました。
なぜ僕は97%のほうではなく、3%のほうになりたいのだろうかと考えてみました。
1.生来の天邪鬼が働いて。
これは絶対あるかと思います。子供のころから、今まで変わらない性質です。
これはもう性質なので深追いしないことにします。
2.97%の軽率さによって。
97%ということはかなりの高確率です。
100人のうち97人なんて、残り3%に入ったら怒られそうな威圧感を発する数です。
本でも、映画でも、ドラマでも、音楽でも何でもいいのですが、100人のうち97人が感動する作品ってどんな作品なんだろう。
単純にいえることは、良い作品なんだと思います。どんな内容であれ、100人のうち97人が感動するのだから良い作品であることは間違いありません。
しかし、良い作品、というところで留めてはいけない何かがあるような気がしてなりません。
というか、引っかかります。気持ち悪いので考えてみたところ、わかりました。
一言で言えば、軽率、なのです。
100人いれば、当然のことですが、100人の嗜好があります。
音楽でいえば、ロックが好きな人、ヒップホップが好きな人、クラシックが好きな人、テクノが好きな人。洋楽が好きな人、邦楽が好きな人。女性ヴォーカルが好きな人、男性ヴォーカルが好きな人、バンドが好きな人。あげればキリがありません。
本で言えば、小説が好きな人、エッセーが好きな人、論文が好きな人、ビジネス本が好きな人。SF小説が好きな人、純文学が好きな人、官能小説が好きな人などなど、こちらもキリがありません。
十人十色の嗜好の特性はキリがないこと、と今日からしておきます。
キリがない嗜好のはずなのに、100人のうち97人が感動しちゃったら、キリがあっちゃいます。キリがあってはならないものに、キリがあるっていうのは何だか不気味です。
、と思ったのですが、嗜好にキリがあってもおかしくない状況がありました。
対象物(この場合「最後のパレード」)が薄っぺらな表層のみをなぞる内容だったら100人のうち97人という数字はありえるのではないでしょうか。
つまり、嗜好という個人個人の深い部分に到達するずっと前の、好きとか嫌いとか、感動するとかしないとか、いう第一感情しか反応しないような内容だったら、100人に聞いて97人が「感動した!」という何の工夫もない答えをするのではないか、ということです。
逆に表層を打ち破って、少し深部まで扱った内容のものだったら、「感動した!」という言葉だけでは語ることができない、というか、そんな言葉だけでは語りたくない個人の欲求=嗜好が表れてきて、100人のうち97人なんていうファシズムは生まれるはずがありません。
「最後のパレード」が表層だけなぞる軽薄な内容だからこそ、100人のうち97人という結果になるのだと思います。
僕が3%のほうになりたい、と思ったのは、その軽率さに巻き込まれたくないと感じたからです。
ですが、困ったことに、というか作者の方に大変申しわけないことに本はまったく読んでいません。中村克さん、本当にすみません。
読んだら97%のほうになったりして。。