単語の意味

日本語にはコミュニケーションに対応する単語がありません。

「意思疎通」という単語があてられていることが度々あります。
ただそれは、何となく、の範囲を超えているとは言えないのではないでしょうか。
「コミュニケーション」=「意思疎通」という社会的合意がなされていないと僕は考えるからです。
gooの辞書で「コミュニケーション」と「意思疎通」を調べてみます。

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「コミュニケーション」
人間が互いに意思・感情・思考を伝達し合うこと。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える身振り・表情・声などの手段によって行う。

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「意思疎通」
意思・考えが相手に通ずること

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一見同じように思えますが、よく読むと決定的な違いがこの二つにはあります。
「コミュニケーション」:〜〜伝達し合うこと
「意思疎通」     :〜〜相手に通ずること
という箇所が大きな違いです。

登場人物は両方とも二人(以上)で同じですが、その行動がどこまで責任を持つかに差異があります。
「意思疎通」は、自分の考えが相手に行き届いた時点で終了するのに対して、「コミュニケーション」の方は、自分の考えが相手に行き届き、さらに相手から相手の考えが自分に届いた時点で終了となります。
簡単に言えば「意思疎通」は網に向かってボールを投げることで、「コミュニケーション」は捕手に向かってボールを投げることだと思います。
この二つの意味は同じようで、実は全く違うものであるということがわかります。

「コミュニケーション」とは元来外国語です。英英辞典で「communication」を調べてみます。

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1. Transmit information

2. Transmit thoughts or feelings

3. Transfer to another

4. Join or connect

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「コミュニケーション」の意味をみると、これらを和訳したのだろうということがわかります。
ただ率直な感想として、何だか訳しきれていない、と僕は感じます。
それは

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4. Join or connect

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の部分が「コミュニケーション」の意味に反映されていない、ということによります。

「join」と「connect」の意味をそれぞれ調べてみます。

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「join」
1. Become part of; become a member of a group or organization
2. Cause to become joined or linked.
3. Come into the company of
4. Make contact or come together

(英和辞典)
1. 〜に加わる〜と一緒{いっしょ}になる
2. 〔二つ以上の物をじかに〕つなぎ合わせる、結び付ける、結合{けつごう}する

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「connect」
1. Connect, fasten, or put together two or more pieces
2. Make a logical or causal connection
3. Be or become joined or united or linked
4. Join by means of communication equipment
5. Land on or hit solidly
6. Join for the purpose of communication

(英和辞典)
1. つながる、接続する、連絡する
2. 乗り換える
3. 関連する
4. 〈米俗〉気持ちが通じる、互いに理解し合う

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双方似たような意味で「つながる、一緒になる」ということを基本にしているのがわかります。
ただ、その行為のみで完結しているのか否かについては慎重に考えなければなりません。英和辞典の方の意味で見ると完結しているように思えるのですが、本来の英英辞典の意味でみると完結していないのではないか、と思えてしまいます。

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「join」
1. Become part of; become a member of a group or organization

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に注目してみます。
「一部分になる、あるグループや組織の会員になる」といった意味になりますが、確かにこの言葉の字面だけだと「つながる、一緒になる」のみで完結しているように見えます。しかし、「join」=「会員になる」という部分にもう一つ先があるのではないかと僕は考えます。元来の「join」=「会員になる」ということは、その組織の一部になって、その組織内で他の人と関わって活動をし何かしらを生み出す、という奥行きのある言葉だと想像できるからです。「join」には会員になるという行為のみならず、その後の活動・生産までを含むということです。
「join」の意味も含む「communication」にはこの「その後の活動・生産」という奥行きの概念も含まれるものと考えられます。
それを踏まえて「communication」の意味を考えると、「人間が互いに意思・感情・思考を伝達し合い、そこから何かしらのものを生産する」といった感じになるのではないでしょうか。「コミュニケーション」には「そこから何かしらのものを生産する」という部分が欠けています。

まとめると

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「コミュニケーション」
人間が互いに意思・感情・思考を伝達し合うこと。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える身振り・表情・声などの手段によって行う。

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「意思疎通」
意思・考えが相手に通ずること

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「communication」
人間が互いに意思・感情・思考を伝達し合い、そこから何かしらのものを生産する

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となり、全ての意味が違うものであるということがわかります。

簡単にみただけでコミュニケーションには3種類もの意味が存在し得るという事実はけっこう驚きです。(もっと多くの意味があるのは確実です)
この事実は、例えばコミュニケーションについての議論をしている時に、ある人は「コミュニケーション」の意味で発言し、ある人は「意思疎通」の意味で発言し、ある人は「communication」の意味で発言するということを示唆しています。(もちろんそれ以外の意味で発言する人もいるでしょう)
このことによって何が起こるかと言えば、不毛な議論だったという徒労を感じることであり、何だかしっくりしない一応の結論を得ることです。あまり良いことは起きません。
「コミュニケーション」「意思疎通」「communication」という何だか似た意味でそれぞれの差が例えば1mmであったとしても、議論が進む中でその差はどんどん広がっていくことは容易に想像できます。議論の最終地点では、1mmだった差が1mになっていても何ら不思議ではありません。結果良いことが起きないわけです。

以前より使っている単語だから、といってその単語の意味をみなが共有しているとは限りません。何となくみなは共有しているけど、細部の共有は何となくではできません。その細部の違いが結果として大きな誤解や過ちを生み出すことがあります。
コミュニケーションを例にしてみましたが、他にもそんな単語は山ほどあります。全ての単語がそうである、といっても過言ではありません。
特に外来語にその傾向が強いということは自然なことです。ビジネス雑誌や取引先の外人さんから仕入れた外来語を何となく使ってみて、それを聞いた人が何となくその意味を想像して、それを他の場所で何となく使って、それを・・・。
何となくから始まって、何となくを経由して、何となくを再生産していく。
そしていつしかその何となくの感覚が薄れて、確実な意味を自分は知っているし、みんなも自分と同じ意味で使っている、と思い込み単語を使っていく。
実際はみんなは自分と同じ意味で使っているとは限りません。
そのことを決して忘れてはいけないと思います。
全ての単語の意味をその都度共有することは果てしない労力を使い、物理的に不可能だと思います。
重要なことは、みなは自分と同じ意味でこの単語を使っていないんじゃないか、と常に意識することです。そのことで細部の差異の違いの結果としての誤解、過ちの被害を避ける、最小限に留めることができると思います。
それは議論の場だけでなく、日常の人間関係の中でも有効だと思います。



というような内容のことを、村上龍さんと片岡義男さんが言われていました。
外来語を多用している人間は信用ならん、ということを付け加えておきます。外来語を自分の中で消化し、それを周りと共有することはとても時間と労力を使うことであり、それはなかなか数多くはできることではありません。ですので多用している人はその作業をしていない人であり、みなは自分と同じ意味でこの単語を使っていないんじゃないか、という意識が欠如している人だと僕は思います。
そういう人は、傲慢で、軽薄で、見栄っ張りな感じがします。
頭が悪い、という単語咄嗟に思いつきましたが、そうか僕にとって「頭が悪い」ということは傲慢で軽薄で見栄っ張りということなんだ!
この意味ではなかなか共有できないかもしれません(笑)。