分けられるはずないじゃないか

今年のフジロックでSEALDsの奥田愛基さんが出演することが発表されてから、「音楽に政治を持ち込むな」とか何とか話題になっているようです。
詳細は以下の朝日デジタルより。

音楽に政治を持ち込むな――。今年のフジロック・フェスティバルに学生団体「SEALDs(シールズ)」の奥田愛基(あき)さんの出演が決まると、こんな言葉がネット上にあふれた。何が問題なのだろう?


 7月22日から3日間、新潟県湯沢町の苗場スキー場で開催されるフジロック。17日に主催者が追加アーティストとして安保関連法に反対する活動で注目されたシールズの奥田さんを発表すると、たちまち、「音楽の政治利用だ」「思想の持ち込みは勘弁」「最近フジロックが妙に政治色をおびている」などとSNS上で反発の声が並んだ。ツイッターでも「#音楽に政治を持ち込むなよ」という共通の話題をつなぐハッシュタグ(検索ワード)ができ、批判が相次いだ。


 これらに対し、ミュージシャンらからは反論の声が上がった。ロックバンド「アジアン・カンフー・ジェネレーション」の後藤正文さんはツイッターで「フジロックのこと知らない人が言ってるよね」とした上で、「これまでいくつものNGOやアーティストがさまざまな主張をステージで繰り返してきたわけだし」。脳科学者の茂木健一郎さんも「フジロックで、政治を持ち込むな、というニュースを見たけど、政治的な主張を含む音楽はかつてもあったし、今後もあるだろうから、自由でいいんじゃない?」とつぶやいた。


 ログイン前の続きフジロックの始まりは1997年。いま各地で開かれる大規模音楽イベントの先駆け的な存在で、昨年の観客動員は延べ約11万5千人。20回目の今年はこれまでに195組のアーティストらの出演が発表されている。大小約15のステージがあり、来場者は思い思いにライブやトークショーを楽しめる。2011年以降、反核脱原発を訴える「アトミックカフェ」を設け、反戦原発問題に関するイベントもしてきた。そのアトミックカフェで、奥田さんはジャーナリストの津田大介さんらと「参院選を振り返る。安保法制、沖縄、憲法原発」をテーマに対談する予定だ。


 津田さんは12年から毎年アトミックカフェの司会役を務めているが、昨年まで批判の声はほぼ見当たらなかった。音楽家に限らず、反原発キャラクター「もんじゅ君」や、ジャーナリストの田原総一朗さんが出演したこともある。津田さんは「僕らが出演するアヴァロンというステージには、昔から音楽と社会問題を結びつけるトークプログラムがあるんです。それを知らない人が多い印象」と分析する。「音楽家でもないのに、と誤解してたたいている人すらいる。現政権に批判的な立場の人間がフジロックのような有名なイベントに出ることを面白く思わない層が、『音楽に政治を持ち込むな』という理屈を付けてたたいているのかもしれない」と話した。


 ネット上には「純粋に音楽を楽しみたいだけ」との声も上がり、日常から離れる娯楽イベントとして足を運ぶ人も少なくない。


 ただ、1969年夏、米国で約40万人が参加し、野外フェスの「原点」とも言われる「ウッドストック」は、ベトナム戦争に反対する若者のカウンターカルチャーの象徴とされた。同じ年に岐阜県で開かれた「全日本フォークジャンボリー」でも、フォーク歌手らが平和や反戦を歌い上げ、日本全国から若者が集まった。フジロックに計7回出演し「フジの顔」とも言われた故・忌野清志郎さんは反原発ソング「サマータイム・ブルース」などで、政治的なメッセージを発信してきた。


 今回の騒動について、音楽評論家の萩原健太さんは「音楽に限らず大衆文化というものは、映画であれ小説であれ、すべて反骨精神のもとに、権力に対するアンチテーゼという側面を持って成り立っているとも考える」と語る。


 ラジオのDJでもあるピーター・バラカンさんは、フジロックで政治的・社会的な事柄を扱うことに、「大いにやるべきだと思う。アトミックカフェは毎年やっているから目くじら立てることもない」と言う。自身も、ラジオで世間で起こっていることに関する曲や映画を紹介すると文句を言われた体験がある。「今の日本の社会の息苦しさは、健全なことではない」と話す。(小峰健二、藤崎昭子)



朝日デジタル 6/22
http://digital.asahi.com/articles/ASJ6Q55WPJ6QUCLV00W.html?rm=550


僕は基本的にこの記事中のみなさんのコメントと同じ思いをもちます。
「音楽に政治を持ち込むな」
なんていう言葉には、「何を言っているのだろうか?」といった感じです。


ただそれは「昔から音楽は政治を歌ってきた」とか、「フジロックはこれまでも政治的なものも取り上げてきた」とか、そういった直接的なことのみが理由ではありません。
もっとシンプルに、
「音楽と政治は可分なはずないじゃないか」
ということです。
個人が生きるにあたって、自分の趣味趣向、心地よい考え、嫌いな考え、好きな環境、嫌な態度、、、、、、、、そんな無数の「好き」「嫌い」を基準にして物事を選択しています。
それがあくまで基準です。
それを元に、こういう音楽が好き、こういう本が好き、こういう人が好き、こういう家が好き、こういう映画が好きとこれまた無数の選択があるわけです。そしてその中に当然政治についての選択もあるわけです。こういう考えが好き、嫌い、こういう政策が好き、嫌い、といった形で。
それらは「The Beatlesは好きだけど、Bob Dylanは嫌い」と何ら変わることのない一つの選択です。(僕は両方好きですけど笑)
ただそれだけです。
個人がいて、個人を中心とすれば、音楽と政治が結びつかないはずがない。
それは個人の選択の一つ一つとして当然存在しているものだからです。

ことさら、音楽と政治、フジロックと政治の直接的な関係を語るまでもなく、個人として生きていればそれらが繋がっているのは当然なことです。

最期にこのことを端的に表現した言葉で締めたいと思います。

「音楽に政治を持ち込むな」と主張している人たちは、あらゆる人間の営為(恋愛、友情、祈り、嘆き、感謝、生活、歓喜、憎悪、怒り、皮肉、政治、旅などなど)を包摂する芸術である音楽から、特定の要素だけを排除できると考えている点でアタマがおかしいと思うんだが。
小田嶋隆 ‏@tako_ashi · 6月19日  ツイッターより
https://twitter.com/tako_ashi/status/744557165407408128

(久しぶりの更新で画像のUPがよくわからなくなったのでベタうちで笑)