政府・与党に自覚はあるのか

昨日『シリーズ戦後70年 戦争孤児たちの遺言』というドキュメンタリー番組をテレビで観ました。
日本テレビの番組です。
下記に内容を紹介します。(番組ホームページより)

NNN ドキュメント‘15 『シリーズ戦後70年 戦争孤児たちの遺言』
3/22放送(再放送 3/29日 11:00〜BS日テレ


戦災孤児」―70年前、空襲の焼け野原に何万人もの子どもたちが放り出された時代があった。昭和20年3月10日の東京大空襲は、一夜にして10万人以上の市民を殺した。空襲で両親を亡くした「戦災孤児」たちは、その後、国からの援助もなく、過酷な生活を強いられた。終戦は、孤児たちにとって生きるための戦争の始まりだった。自らも孤児である金田茉莉さん(79)は一人奮起し、同じ境遇にさらされた孤児たちがその後どんな人生を送ったのか、約30年調査を続けている。番組では、金田さんの調査活動の足跡をたどりながら、戦災孤児たちの悲劇を明らかにする。戦後70年を迎える今、多くの孤児たちが重い口を開いた。あの時代の暗部を生きた孤児の言葉は、哀しみと怒りに満ちていた。


http://www.ntv.co.jp/document/


番組動画(Dailymotion)
http://www.dailymotion.com/video/x2kaid7_nnn-sensoukojitachinoyuigon-jigokuwoikita70nen_news


太平洋戦争における戦争孤児がどのように生き残ったか、どのような生き方をしたのか、そのことにスポットをあてた番組でした。
何人もの戦争孤児だった人が自分の物語を語っていました。
両親が亡くなり、生きる術を失った子供たち。
その子供たちの行き先の多くは、親戚の家だったようです。敗戦間際のタイミング(3月10日以後も東京には空襲がありました)において、とりあえず身内を頼ることは自然のことだと思われます。
映画にもなった『火垂の墓』にも兄妹が親戚の家に身を寄せた場面がありました。
そこでも描かれていたように、親戚の家で邪険に扱われていたというケースもまた多かったようです。
この番組で物語っていた人たちのほとんどが、戦争孤児となったあとに親戚の家に身を寄せ、邪険に扱われていたことを告白していました。
(それをもって、「戦争孤児が身を寄せた親戚はおしなべて不親切であった」などということは当然できません。戦争孤児を大切にした親戚の人もいたでしょうから。)
親戚からの仕打ち体験を憎々しそうに語る一方、国への不満も述べている人も多かったです。
「国からなんの支援も受けることはなかった」と、親戚への憎々しい感情とはまた別の感情で語られているようでした。それは、「国の責任を放棄していたのではないか」という権利を主張する市民としての感情から発せられているのだと感じました。
実際、東京大空襲に限らず、日本中で行われた空襲に対して、被害者が起こしている被害に対する補償を求めた裁判では全て原告が敗訴しています。つまり、空襲によって受けた被害に対して国はこれまでなんの補償もしていないということです。
(2014年9月11付けの最高裁での判決では、上告棄却として大阪空襲訴訟原告の敗訴が確定しましたが、それまで通例だった「戦争損害受忍論」(昭和62年の最高裁判決(名古屋大空襲訴訟)における「戦争損害は、国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民ひとしく受忍しなければならない」という考え方)は採用されなかったそうです。http://osakanet.web.fc2.com/osaka-kusyu/ ちなみに、軍人、軍属は補償され、その額は平成23年現在で50兆円を超えているそうです。http://www.zenkuren.com/aboutus_q3.html


国は戦争孤児救済として、親戚などの身内に斡旋すること、養子縁組を斡旋すること、孤児学寮を作ることなどをしたそうです。
ですが、戦争孤児も空襲被害者です。それも相当条件が悪くなった空襲被害者です。
自分で生きる術を知らず、その方法もない社会的弱者の状態で外に放り出された空襲被害者です。
空襲被害者に何の補償もなかったように、戦災孤児にも上記の救済以外にはなかったわけです。
番組で告白していた元戦争孤児のほとんどの人はその体験を「最悪のものだった」といった旨のことを語っていました。(一人だけ、「文部省はよくやったと思うよ」と話していました)


空襲被害者、戦争孤児に対する国の姿勢をみていると、国の責任を放棄していると思うとともに、より卑近な言い方をすれば、冷たいのではないかと思ってしまいます。
さらに親戚に代表される社会もそれにならってか、冷たいものとして存在していたのではないかと思ってしまいます。
そしてそれは現在でも同じようなものなのではないか、とも思います。


社会的弱者は現在にも存在しています。
様々な形で存在していますが、シングルマザーもそのひとつでしょう。

シングルマザーの貧困が深刻化 ひとり親世帯の54.6%が年収122万円未満


政府統計によると、「ひとり親世帯の54.6%が貧困」(2012年)だ。つまりひとり親世帯の半分以上は年収が122万に満たない貧困家庭なのだ。統計を見ると、このひとり親世帯の貧困が半数以上となる傾向は、じつは1985年以降、ずっと続いている。つまり、法制度的サポートが得られない状態が続いているということになる。

 ひとり親世帯の多くは、シングルマザー家庭だ。総務省が2010年に行った国勢調査によると、シングルマザー全体の数は約108万人(そのうち未婚者は13%で132,000人)。シングルマザーの数は、今後も増加する傾向にあると考えられている。


ダ・ヴィンチニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/9734163/

「全国母子世帯等調査」(厚生労働省)によると、母子家庭の平均年収は全世帯の平均所得の37.8%しかありません。

暮らし向きは、「大変苦しい」(52.8%)と「やや苦しい」(27%)を合わせて、8割近い母子家庭世帯は「生活が苦しい」と答えています。

さらに、母子世帯の預貯金額は、「50万円未満」が48%、「100万〜200万円未満」が8%、「50万〜100万円未満」が7%となっています(残り21%は「不詳」)。
現代の母子家庭世帯の生活は、大変な困窮状態にあるのです。


NPO法人リトルワンズ
http://www.npolittleones.com/trouble/



この数字をみてもシングルマザー家庭が際立って経済状況が悪いことが分かります。
この状況をみれば社会的弱者と言わざるを得ません。


僕がここで考えたいことは、今後日本で「組織的」にシングルマザーが生まれる状況になるのかもしれない、ということです。そしてその政策は、シングルマザーの状況を全く考慮していない、冷たいものなのではないか、ということです。
その「組織的」にシングルマザーを生む政策とは、様々な意味での広範囲な自衛隊の海外派遣です。


先日自民党公明党で安保法制の合意をしたそうです。

自公が安保法制の骨格に正式合意、日米防衛指針に反映へ


自衛隊の活動が際限なく広がることを懸念する公明党の主張を取り入れ、1)国際法上の正当性があること、2)国会の関与など民主的な統制が確保されていること、3)隊員の安全を確保する措置を取ること──の3原則を法案に反映させるとしている。
その上で、1)平時でも有事でもない「グレーゾーン事態」への対処、2)直接の攻撃ではないが、日本の安全保障に関わる事態が発生した場合の後方支援、3)多国籍軍による軍事作戦など、国際社会の安全保障に関わる活動への後方支援、4)集団的自衛権の行使、5)国連平和維持活動(PKO)などでの武器使用権限と任務の拡大、6)邦人救出と船舶検査──に関して法案の方向性を示している。


ロイター 3/20
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0MG0OH20150320


明らかに現在に比べ自衛隊の活動範囲も、活動内容も広くなります。
それは当然、自衛隊員の危険が増すことになります。
そしてそれは必然的といっていいでしょう、自衛隊員に死者がでることも意味します。
その結果、シングルマザーが生み出されることもまた必然のことです。
自衛隊員が任務中に死亡した際の補償について調べてみましたが詳細を発見できませんでした。
ただ何かしらのものはあるのだと思います。
その補償はかなりのものかもしれませんから、先ほど引用した記事にあったようなシングルマザーとは状況は違うかもしれません。
しかしシングルマザーであることに違いはありません。
国がどれほどの補償をするのかわかりませんが、母親が仕事をしなくても生活していけるものなのか。
仕事をすれば生活に不自由しない経済状態になるのか。また、どれほどの仕事でそのような状態になるのか。
さらに、公的な補償とは別の問題として、社会での生活においての不自由さ、大変さなどはいかばかりなものなのか。ただお金をやればいいではなく、そのようなシングルマザーの状況に対するフォローを政府は考えているのだろうか。自分たちの政策によって、シングルマザーが増えるかもしれないという可能性において。


現在政府や与党で語られている「戦争」は、法や国際貢献、解釈、文言などの上でのものです。
そこには自衛隊員の血も、葛藤も、負傷も、精神的負担も、そして死もない。
ただ机上の言葉があるだけです。
自衛隊員の「顔」がそこにはない。自衛隊員の家族の「顔」もそこにはない。
浮ついた言葉で語られる「戦争」にとって、それらはまるで不要だと言うように。
冒頭で紹介した戦争孤児のテレビ番組をみたとき、「国に無視された人々」の姿を見た思いがしました。
それらの人々の姿が、「戦争」法案において全く勘定にいれられていない自衛隊員、そしてその家族の姿にだぶって見えました。
「夫である自衛隊員が戦闘行為で亡くなったら、その人の家族はどうなるのだろう?」
と思いました。お金の補償と時代状況によっては社会的賞賛を受けるのかもしれない。
しかし、夫を失った妻の、父親を失ったこどもの、息子を失った両親の気持ちであり、生活はそんなものによって満たされることはないかもしれません。(気持ちは絶対にない)
政府・与党は、自分たちが作っている法案によって、そんな人々を生むことを自覚しなくてはならない。
その自覚なくして、「戦争」法案を作ってはならない。
シングルマザーを、父親のいない子供を生むことに自覚的でなくてはならない。
その自覚後においてもまだ法案を作り、法制化したいのなら、その自覚を語り、それでも法が必要なことを話さなくてはならない。
そんな覚悟もなしに、一言も触れずに法制化するのはあまりに冷たすぎる。
現在において、政府・与党がそのことに触れたという報道を聞いたことがない。
その姿勢において、仮に自衛隊員が戦地で亡くなったとき、政府は温かく遺族を癒すことができるのだろうか。僕はできないと思う。
命を張る人間、その関係者に対して敬意も示さない人間たちが作る法案がまともなものであるはずない。
僕はそのように思います。