「誤解されている」という意識


イスラム国」による日本人人質事件が湯川氏、後藤氏の殺害という結果に終わったあと、安倍首相は談話を発表しました。

シリア邦人拘束事案に関する新たな内閣総理大臣声明


1、湯川遥菜さんに続いて,後藤健二さんが殺害されたと見られる動画が公開されました。
  御親族の御心痛を思えば,言葉もありません。政府として,全力を挙げて対応してまいりました。誠   に無念,痛恨の極みであります。


2、非道,卑劣極まりないテロ行為に,強い怒りを覚えます。許しがたい暴挙を,断固,非難します。
  テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせるために,国際社会と連携してまいります。


3、日本が,テロに屈することは,決してありません。
  中東への食糧,医療などの人道支援を,更に拡充してまいります。
  テロと闘う国際社会において,日本としての責任を,毅然として,果たしてまいります。


4、このテロ行為に対して,強い連帯を示し,解放に向けて協力してくれた,世界の指導者,日本の友人たちに,心から感謝の意を表します。


5、今後とも,国内外における国民の安全に万全を期してまいります。


外務省HP
http://www.mofa.go.jp/mofaj/ca/tp/page4_000947.html


これについてのニューヨークタイムズの記事が下記のものです。
一部を抜粋した拙訳です。(記事冒頭部分)

ニューヨークタイムズ記事


イスラム国」が週末にかけて日本のジャーナリストの殺害ビデオを投稿し、それについて安倍首相は怒りをにじませて「テロリストに代償を払わせる」と約束した。


西欧諸国の首脳たちが、極めて残虐的な暴力に対してこのような応報の誓いを表明することは珍しいことではないが、日本がこのようなことを言うのはこれまでなかったことである。ジャーナリストである後藤謙次氏ともうひとりの人質である湯川陽菜氏が殺害されたあと、復讐に値すると話した首相は軍隊の設立さえもちらつかせ大きな驚きを引き起こした。そして、長い間平和であったこの国にとって今回の危機が分岐点になったのかもしれないという認識が大きくなってきていると付け加えた。
(抜粋)


The New York Times 2/1
http://www.nytimes.com/2015/02/02/world/departing-from-countrys-pacifism-japanese-premier-vows-revenge-for-killings.html?ref=topics&_r=0


この部分は、安倍首相談話の2の箇所
「2、非道,卑劣極まりないテロ行為に,強い怒りを覚えます。許しがたい暴挙を,断固,非難します。
  テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせるために,国際社会と連携してまいります。」
についてのものになります。
この「罪を償わせる」という箇所を、ニューヨークタイムズは「revenge」という言葉で伝えています。
「revenge」を訳せば「復讐する」が一般的ですが、英英辞典で意味を調べてみます。

【revenge】
something you do in order to punish someone who has harmed or offended you
http://www.ldoceonline.com/dictionary/revenge_1


訳せば、「あなたを害したり、怒らせたりした人を罰するためにすること」といった感じでしょうか。
「復讐」という意味で間違いなさそうです。


ニューヨークタイムズは、安倍首相の
「その罪を償わせるために,国際社会と連携してまいります。」
という言葉を、「復讐する」と受け取ったようです。
さらに上記の拙訳でも明らかなように、その「復讐する」を「軍事的な復讐」の意味で解釈を試みています。
拙訳中の「軍隊の設立」とは、日本国憲法の9条改憲について安倍首相が言及したことを意味するのでしょう。


一方、下記は外務省による安倍首相談話の英訳です。

外務省安倍談話英文


1、A video purporting to show that Mr. Kenji Goto was murdered was uploaded on line, following Mr. Haruna Yukawa. When I think about the unbearable pain and sorrow that his family must be feeling, I am rendered simply speechless. As a government, we have pursued every possible means to save their lives. We feel greatest sorrow and profound grief.

2、I am infuriated by these inhumane and despicable acts of terrorism, and resolutely condemn these impermissible and outrageous acts.
I will never forgive these terrorists. I will work with the international community to hold them responsible for their deplorable acts.

3、Japan will never give in to terrorism.
We will further expand our humanitarian assistance in the Middle East in areas such as food and medical care.
Japan will steadfastly fulfill its responsibility in the international community combatting terrorism.


4、 I wish to express my heart-felt gratitude to the world leaders, our friends, who have kindly extended their strong solidarity against these acts of terrorism and cooperation toward the release of the hostages.


5、We will continue to take all possible measures to ensure the safety of Japanese nationals at home and abroad.


外務省HP
http://www.mofa.go.jp/ca/tp/page4e_000183.html


「2」の部分を訳してみます。

私はテロリズムの非人間的で卑劣な行為に対して強い怒りを覚えます。そして断固としてこれらの決して容認できない無法な行為を非難します。
私は決してこれらのテロリズムを許しません。私は彼らの哀れな行為に対する責任を彼らに取らせるため国際社会と協力していきます。


といった感じでしょうか。
安倍首相の言葉とは雰囲気が違うことにまず気づきます。後半部分ですね。


安倍首相談話
「テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせるために,国際社会と連携してまいります。」
外務省
「私は決してこれらのテロリズムを許しません。私は彼らの哀れな行為に対する責任を彼らに取らせるため国際社会と協力していきます。」


「罪を償わせる」の部分を外務省が柔らかい雰囲気に置き換えていることが伺われます。
(まさか「to hold responsible them」を「罪を償わせる」とは訳せないと思います)
外務省の苦心の英訳でしょうか。
ここから安倍首相の談話が彼と彼周辺(=官邸)の意向が大きく働いたものであることが推測できます。
そしてその安倍首相の意向が大きく反映された内容の一部を、外務省は「そのままの言葉で伝えたら危険」と判断していることも推測でき、それに外務省は口を出せない状態であることも推測できます。
つまり、官邸と外務省の連携は取れていなく、外交自体が官邸主体で行われている。
これが安倍談話から推測される第一のことです。



第二のことは、ニューヨークタイムズは外務省の英訳ではなく、安倍首相の言葉を直接訳しているということです。
上記の拙訳は明らかに、安倍首相の言葉から書かれた内容です。
外務省の英訳からは記事のような内容にはならないでしょう。
なぜニューヨークタイムズが外務省の英訳を参考にせず、安倍首相の言葉に注目したのかそのはっきりした理由は分かりません。が、ニューヨークタイムズのこれまでの安倍首相に対する記事を考えると、彼らが安倍首相をだいぶ「マーク」していることは確かだと思います。
そのような人物の言葉は自分たちの納得できる形で報道したいという意欲なのか、安倍首相に限らずこれまでの首相の言葉も外務省の英訳を参考にしていなかったのか。
この辺はっきりしませんが、ニューヨークタイムズが外務省の英訳ではなく、安倍首相の言葉を重視したことだけは確かなことです。
これが何を意味するのか、今の僕にはその先が想像できませんが、「ひっかかること」ではあります。



第三のことというか、これは談話からの推測ではなく、安倍首相の言葉がどのような影響を今後もたらすか、ということについてです。
この首相談話について池上彰さんがテレビ番組で取り上げていたのを観ました。
タレント何人かを前に講義するようなタイプのものでした。
そこで池上さんは何度も何度も、
「安倍首相の「罪を償わせる」という言葉は、日本の憲法や法律を考えれば軍事的なものでないことは明らかなことです。ニューヨークタイムズなどは軍事的な意味あいで報じていましたが、それは誤解であることは日本人からすればはっきりしています」
と言っていました。
ほんとうに何度もいっていたのです。
それを聞いてて池上さんの意思は、(僕の想像ですが)誤解ということを強調することで、
「日本が軍事的行動をするはずがない。そんなことをできるわけがない」
ということを伝えたかったのではないかと思いました。
それは安倍首相が意欲をみせる軍事的行動を可能にするであろう憲法9条改憲に対する牽制だったように感じました。
しかし、恐らく視聴者は「海外は日本を誤解している」ということの方に意識がいったのではないかと思いました。スタジオにいたタレントもそんな反応を示していました。


「誤解されている」という意識が何を生み出すのかを想像すると、あまり良いことにいきあたりません。
個人で考えたとき、人に誤解されていると分かると、その人に対してどのような感情をもつでしょうか。
最初は弁明するかもしれません、「誤解ですよ」と。
しかしそれが何度もつづき、相手が撤回しようとしなかったとしたら、その時その人は「敵」と意識するようになることが考えられます。
そのような人が周囲に複数いると感じれば、自分は「敵」に囲まれていると。
その意味で日本はすでに三つの「敵」を意識しているといってもいいと思います。
(官邸とその支持者は間違いなくそのように意識しているでしょう)
中国、韓国、北朝鮮です。
本屋さんで嫌中、嫌韓本がたくさん並べられていたり、ネットでもその種の情報がたくさんUPされていたり、Yahoo!ニュースの海外ニュースのアクセスランキングをみると、大抵中国、韓国関連のニュースが上位を占めています。それもほぼ「中国、韓国はひどい」という内容のものです。
嫌中、嫌韓本やネットでの嫌中、嫌韓情報がなぜそんなに多いのかを考えると、
「中国や韓国が嫌いだから」が最初のきっかけではないのではないかと思います。
想像するに、「中国がいちゃもんをつける」「韓国が批判する」から「嫌い」という経路だと思われ、
その背景には、「中国、韓国は日本のことを誤解している。だからいちゃもんをつけるし、批判もする」という思いが存在しているように思います。
「誤解なんだから正確なことではない。だから日本悪くない、中国、韓国の思い違いだ。誤解をしてるあいつらが悪いんだ」
という思いが、一方的な中国批判、韓国批判=嫌中、嫌韓につながっているのだと思います。
中国、韓国が100%悪いといったスタンスの嫌中、嫌韓を考えると、そのように考えるのが妥当です。


「誤解されている」という意識は「敵」をつくり、さらにこちらには一切非のない相手が100%悪い「敵」です。
安倍首相の談話は「誤解」を生む恐れが多いにあります。それを普通に訳せば、ニューヨークタイムズのように「revenge」になります。しかし、安倍首相も「軍事行動は全く考えていない」とその後表明していますし、日本人も現在の憲法ではそれができないことを理解しているでしょう。海外では「日本は軍事行動をするのか?」と思われる一方、日本国内ではそんなこと考えていない。
日本人からすれば、「そんなことしませんよ。何誤解してるのですか?」です。
特に中国、韓国、北朝鮮に対しては、「何過剰に誤解してるんだよ」とさらなる「嫌」につながります。
しかし、欧米諸国による「誤解」も積み重なれば、彼らに対して中国や韓国へ現在抱いているような「嫌」の思いを向けないとは言えないと思います。


「誤解されている」ことで真っ先に思い出すことは、1933年(昭和8)の日本の国際連盟脱退です。
この要因一つは、「日本は各国に誤解されている」という思いによる被害者意識だったと僕は考えています。
「誤解」が行き着くとここまで行きます。
これをもって、現在の日本が戦前の状態になる、と単純には思いません。
しかし、日本がかつて「誤解されている」という意識により、世界で孤立し戦争に行き着いたという道を辿ったということは忘れてはいけません。


「誤解されている」という意識がどこから生まれるかといえば、今回の件では安倍談話の「罪を償わせる」という言葉に要因があります。海外には訳されて伝わるという意識の欠如と、日本の事情を海外が全て了解しているという思い過ごしがその根底にはあるのではないでしょうか。
それは(僕の嫌いな言葉ですが)「内向き」というやつではないでしょうか。
内部にだけ伝わる言葉を使うことも「内向き」の範疇だと思います。
グローバルなんとかを大々的にやるのなら、まず官邸の言葉をそのようなものにすればいい。
「世界に通用する」という言葉があらゆる分野にでてきますが、
その意識を官邸の言葉にも反映させればいい。
官邸にその意識が欠如していることを今回の件は如実に物語っています。
その結果、日本人の中に「海外に誤解されてる」という意識が生まれたなら、それこそ彼らがよく使う「国益」を損なうことに直結するのではないでしょうか。
「どいつもこいつも誤解しやがって」と日本人が先鋭化していかないか。
今回の件がその一歩にならないか。
僕はそのことを不安を感じます。