気になるニュース 2015/2/8


2本のニュースと1つのツイートを取り上げてみたいと思います。

イスラム国」:交換目前で交渉決裂か 後藤さんと死刑囚


イスラム過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)による人質事件で、フリージャーナリストの後藤健二さん(47)救出に向けた動きの一端が関係者への取材で明らかになり始めた。ISが釈放を要求していた前身組織のメンバーでヨルダンに収監中だったサジダ・リシャウィ死刑囚との交換交渉が1月28日ごろに成立目前だった可能性が浮上。後藤さんの妻に対する身代金要求メールを受けたIS側との交渉には、英国の危機管理コンサルタント会社が関与していた。秘匿されている事件のプロセスが判明した。
(記事抜粋)


毎日新聞 2/8
http://mainichi.jp/select/news/20150208k0000e030124000c.html


毎日新聞の記事ですが、これは素晴らしい。
そう思うのは、しっかり「取材」をしているからです。
この記事の柱は、政府や省庁など関係者からの話ではありません。
「ISの動向に詳しいラッカ在住の貿易商」や「検問所付近で密貿易に携わり、日常的にIS側との間を往復する複数のシリア人」、「治安関係者にパイプを持つヨルダンのアモン通信のアルファイズ記者」の話を元に構成されています。
「政府関係者に取材したが、明確な言葉がなく政府の秘密体質のために事件解明が難しい状況だ」
というPCの前に座っていても書けそうな記事とは根本的に違います。(そのような記事にも意味はあると思いますが)
「政府関係者に聴いて分からないなら、それを知っていそうな人に聴く」という、シンプルですがすこぶるまっとうな思考がこの記事を形作らせています。
その「知っていそうな人」が、密貿易者やシリア人、ヨルダンの記者だったわけです。
これぞ、「取材」ではないでしょうか。
「知りたい」⇒「知りたいことを知っているそうな人に聴く」
ということを、人脈、礼節、行動力、知恵、知識、思考力、分析力などを使って記事にするのが、記者と呼ばれる人の本分だと、僕は考えています。
そしてそのような人が行うものを「取材」といいたい。
この記事はその意味でまぎれもなく「取材」に基づいて構成されたものだと思います。
素晴らしいと思います。
特定秘密保護法により今後ますます政府関係者や省庁より情報が出てきにくい状況になることが予想されます。
そのような状況で、「特定秘密保護法により政府や省庁は情報を出さなくなった。報道の自由、知る権利を侵害する行為だ」ということももちろん必要なことだとは思いますが、「それなら情報を得られるところにいって話を聴いて記事にする」という行為もまた必要なことのはずです。
正直前者に関しては´多くの記者´のやることですので、後者をできる記者に僕は価値をより感じる次第です。


「砂漠戦を自衛隊に指導」米陸軍公式サイト


陸上自衛隊が昨年、中東を模した米国の砂漠地帯の演習場で対テロ戦闘訓練をしていた問題で、共同訓練をした米陸軍側が、公式サイトで「イラクアフガニスタンに多くの派遣経験がある米軍部隊」が「砂漠での戦闘隊形や戦車演習について自衛隊を指導した」などと説明していることが分かった。国土を守る専守防衛自衛隊が、中東を連想させる演習場で戦闘訓練をしたことに、識者からは疑問の声が出ている。


訓練を現地取材した軍事フォトジャーナリストの菊池雅之氏によると、アラビア文字の交通標識やモスクもあり、中東風の集落が点在。訓練期間中は、アラブ系俳優が住民に扮(ふん)して生活しテロリスト役もいた。演習は、アトロピア国とドローピア国という架空の国同士の間で国境紛争が起き、日米などの有志国連合が平和維持活動としてドローピア国軍やテロリストを制圧するシナリオだと当時、米側から説明されたという。
(記事抜粋)


西日本新聞 2/5
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/143907


訓練自体は昨年に実施されたようですが、今回の人質事件に関連してか、2月5日に報道されていました。
米軍と自衛隊の共同訓練は実施自体報道されることが多いですが、その内容が一般に報道されることはそれほどないように思います。それ自体に報道機関が価値を感じないからなのか、情報が外に出ないからなのか、また他の理由からなのかわかりませんが。


ちょっと驚くような内容です。
自衛隊と米軍が、中東と思われる場所・状況(アラビア文字の交通標識、モスク、アラブ系俳優が住民に扮したテロリスト役など)で共同訓練を実施した、というものです。
記事中の伊藤真弁護士も言及していますが、専守防衛を旨とする日本が中東風の場所・状況で戦闘行為をするということは有り得ない設定です。日本国内にそのような場所も状況もありません。
これは明らかに集団的自衛権による武力行使に関する訓練であることが分かります。
法で制御されるべき自衛隊が(別に自衛隊だけではありませんが)、法制定の前にすでに「その後」に関係する行動をしている、というのは、日本国の在り方としてかなり大きな問題だと思います。
自衛隊が法によって制御されていない状況でありますし、他の組織や機関でも法を超えて活動をしているものがあるのではないか、という疑念にもつながります。


当然、自衛隊の米軍との訓練は政府関係者も認識しているはずです。
つまりこの訓練は政府も了解しているはずで、それは政府自体が「法を超えてOK」と言っているわけです。
このことに僕は深刻な事態を感じます。
別に政府が法を無視して何でもやる、と思っているわけではありません。
そんな漫画的な専制体制につっこみをいれてもさして意味はないし、ピントがずれてしまう恐れもあります。
そんな馬鹿な真似を政府がするはずもない。


僕が深刻と感じることは、この訓練を許した、命じた政府が自分たちの意思により法を超える判断をすることがある、という事実をみたことによる、政府への疑念の発生です。
この疑念は、政府のとる政策が良いか悪いか、という判断以前の政府の存在自体に対するものです。
好き嫌いとか、良し悪しとかその判断を下すには、少なくとも信頼が前提として必要です。
僕は安倍政権の一つひとつの政策単位で反対意見をもつことが多々あります。
それでも「ルールの中でやる」という前提があると信じているので、安倍政権の政策について無い知恵を絞ってその可否を考えるわけです。
しかし、「ルールの中でやる」という前提が崩れるような事態が引用記事のような内容によって立ち現れたとき、真正面から安倍政権の政策について考えることに徒労感を抱いてしまうのです。
(その徒労感は、昨年7月の集団的自衛権行使容認に関する閣議決定において既に心身に襲ってきたという経験をもっているわけですが)
「裏道を使ってるんじゃない?」という疑念がそのことを誘発します。
裏道は、全てをひっくり返す力を時にもちます。
そんなものを前提に話をしていくことも、関係をきずくこともできるはずがない。
ひっくり返す力があることを知っていて、真面目に一歩一歩関係を築いていこうとは思えません。
その努力が一瞬で変わってしまうことの可能性をいつも感じているのですから。


裏道を時に使うことも厭わない政権に付き合うのは疲れます。その徒労感を国民に常に持たせたいのかもしれません。
しかし、裏道を使うような政権の存在を許してはいけない、とこの記事を読み、考えることで改めて思います。
政策の可否という次元ではなく、日本国民として、民主主義国家の国民として存在自体を認めてはいけない政権であると、強く感じています。


高橋源一郎さんツイート「人質」問題について


「人質」問題について、頭から離れなかったことを少しツイートします。5つです。政府の方針や「自己責任」をめぐってではありません。ぼくは、いま、そのことにそれほど関心はありません。いわゆる「イスラム国」、ISILもしくはISISといわれる人たちのことについてです。


1. パイロット焼殺動画を(少しだけ)見た。ある映画監督は彼らの動画に「ハリウッド映画の文法がある」と思えると言った。ぼくにも、そこにある種の「審美眼」あるいは美意識さえあるように思えた。彼らを、人間の心を持たない獣だと非難できたら簡単だったろう。だが、美意識は人間だけがもてるのだ。


2. アウシュビッツで「死の天使」といわれた医師メンゲレは、クラシック音楽の愛好家で、到着したユダヤ人たちをガス室に送るか選別する時、それから人体実験をする時、オペラのアリアを口ずさんだ。彼にも美意識はあったのだろう。非人間的な残虐さは恐ろしい。だが、人間的な残虐さもっと恐ろしい。


3. 彼らの動画や行動を見ながら、彼らは「死」そのものに惹かれているのではないかと思った。あらゆる宗教の奥底に、彼岸を憧れる余り死に強く惹かれる部分がある。彼らを否定し非難し憎んでも無駄なのかもしれない。それこそが喜びだから。彼らが嫌がる唯一の反撃は生の側から理解しようとすることだ。


4. 彼らを理解することは「テロリズム」を理解することだ。「テロリズム」は絶望から生まれる。希望がないから破壊にすがるしかないのだ。だから、いくら滅ぼしても、希望がない場所では「テロリズム」は再生する。この世界が生きるに値する場所だと信じさせることしか、彼らを真に滅ぼす方法はないのだ


5. 彼らの最大の特徴は「他者への人間的共感の完璧な欠如」だ。だが、これは「テロリズム」の形をとらずに、ぼくたちの周りにも広がっている。いちばん恐ろしいのはそのことだ。死を産み出す「深淵」は、実はぼくたちの近くにある。呑み込まれてはならない。その時、ぼくたちの未来はなくなるだろうから


高橋源一郎さんツイート 2/7
https://twitter.com/takagengen


ニュース記事ではないのですが、とても気になった高橋源一郎さんのツイートです。
後藤氏、湯川氏の人質殺害事件に関するものです。
高橋さんのことを僕は信頼しています。
それはある事柄について「正解」を知っているからではありません。
「正解を知らない」というスタンスから常に事を話し始めるからです。
この人はある事柄を考えるとき、そのことについて知ろうとすることから始めます。
例えば、小沢一郎氏について考えるときは小沢一郎氏の著作をまず読みます。NHKと政権の関係性を考えるときは長谷川三千子氏や百田尚樹氏の著作をまず読みます。今回の人質事件に関して考えるときは後藤氏の著作を読み、湯川氏がどのような人間か調べたそうです。
予断をもたずに、とりあえずこれから自分が考える事柄に関係する人の著作などを読んだり、調べたりする、という基本から始めるのが高橋さんの方法です。
これはなかなか出来ることではありません。安倍氏を批判する人の中でどれだけの人が彼の著作を読んでいるでしょうか? 日本国憲法を批判し改憲を望む人の中でどれだけの人が奥平康弘氏や樋口陽一氏の著作を読んでいるでしょうか? 集団的自衛権行使に反対する人の中でどれだけの人が石破氏や森本敏氏など推進派の人の著作を読んでいるでしょうか?
高橋さんはそれを厭いません。自分の主義主張はとりあえず置いておいて、まず知ることから始めます。
それは「正解を知らない」というスタンスから始めているからだと思います。
この姿勢は常々学ばなくてはならないと思っています。


人間は見たくないものを見ない、とよく言われます。自分にあてはめてみてもそのことを実感することはそう難しいことではありません。
しかしその「人間の性質」に皆が従い続ける世界とは一体どのようなものになるでしょうか。
それは、他人と分かり合おうという慈しみの失われた世界、です。
自分の見たいもの=自分の考えにあったものばかりに触れることで、その人の考えは先鋭化されていきます。蛸壺の底へ底へと潜っていきます。
蛸壺の奥底まで潜ってしまった人は最早蛸壺の外のことを理解しようとはしません。
ただ、「まわりで(自分の考えとはあわない)バカなことをいっている」と思うのみで。
その状況は自分と異なる考えに耳を傾けようという思いに至る経路を全て閉ざしてしまいます。
それは「敵」と「味方」の世界です。


高橋さんはそんな世界が嫌なのだと思います。
「世界を分断させないためにはどうすればいいのか?」
そのために「人間の性質」を自覚しそれを忌避する方法として、まず「知ること」に徹するわけです。
その方法は時間をかけて着実に進まざるを得ないために、その分体力豊富な思考が生み出されます。
引用したツイートも「知ること」から生まれ、他のものに依らない高橋さん独自の思考です。
(「独自」であることは、体力が豊富であることの一つの要素です)
このような視点で人質殺害事件を語る人を僕は高橋さん以外で知りません。
イスラム国」の思惑や政府の対応などを語る人はたくさんいますが、「イスラム国」に住む、従属する人そのものについて語る人。
小説家であり、文学史、文学に詳しい高橋さんだけあって、このアプローチの仕方は極めて「文学的」です。
「人をいかに詳細に描くか」が文学の要諦の一つであると僕は信じていますが、それでもって人質殺人事件を考えるわけですから。
「文学的」アプローチでテロリズムを語ることを通して、「他者への人間的共感の完璧な欠如」を引き出し分断の危機を語っています。


世界を分断させないようにするためには、まず自分を分断体質にしないこと。
蛸壺の奥底に入って他者との共感能力を失わないこと。


高橋さんは、「正解を知らない」というスタンスから始めること、そして人を語る「文学的」アプローチで世界を表現することで、融和的な世界になってほしいという希望をどんな場面においても思う人なのではないかと思うのです。
僕がこの人を信頼する所以です。


自戒の意を込めて取り上げました。