「資格」をもつ国

安倍首相演説に猛反発=日本を十字軍扱い―「イスラム国」


 【エルサレム時事】過激組織「イスラム国」とされる組織が20日公表した日本人2人の殺害を警告したビデオ声明は、安倍晋三首相が17日にカイロで行った中東政策に関する演説で過激主義を封じ込めるために「中庸が最善」と訴えたことに激しい反発を示した。警告は演説への報復として表明された形だ。
 声明は、日本が「十字軍」に加わろうとしていると指摘した。十字軍は、イスラム過激派がキリスト教徒中心の欧米諸国を批判する際に使用する表現で、日本を欧米と同様の「主敵」と位置付けようとしている。


時事通信 1/20
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150120-00000132-jij-m_est



イスラム国」を名乗る組織の声明全文


日本の首相よ。
お前は「イスラム国」から8500キロ以上も離れた所にいるのに、イスラム国に対する十字軍に進んで参加した。我々の女や子供を殺し、イスラム教徒の家を破壊するために誇らしげに1億ドルを提供したのだ。(後藤さんとみられる人にナイフを向けながら)よってこの日本人の命は1億ドルだ。さらにイスラム国の拡大を防ぐことを目的に、イスラム教を捨てた者たちの訓練費用に1億ドルを提供した。(湯川さんとみられる人にナイフを向けながら)よってこちらの日本人の命も1億ドルだ。
 日本国民よ。日本政府はイスラム国に対する戦いに2億ドルを支払うという愚かな決断をした。この2人の国民を救うために2億ドル(の身代金)を支払う賢い選択を政府にさせるよう、日本国民が政府に圧力をかける猶予は72時間だ。さもなければ、このナイフがお前たちの悪夢となるだろう。


読売新聞 1/20
http://www.yomiuri.co.jp/world/20150120-OYT1T50115.html?from=ytop_main2


イスラム国」を名乗る組織の声明全文を読むと、身代金目当てのものではない印象を受けます。
要求している2億ドルの根拠を明確にしていることに、極めて政治的な意図を感じます。
この2億ドルという金額は、安倍首相がカイロで行ったスピーチにあるもので、イスラム国対策としてのイラクレバノンなどへの支援です。
産経新聞  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150118-00000051-san-pol
この2億ドルに対して、安倍首相は、
「2億ドルの支援は、避難民となっている方々にとって最も必要としている支援と言える。避難民の方々が命をつなぐための支援と言ってもいい。避難民の方々が必要とする医療、食料のサービスをしっかりと提供していく(ことが)、日本の責任だと思っている。」
時事通信  http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015012000903
と述べています。


「あなたたちがイスラム国を潰す目的で出そうとしている2億ドルをそのまま身代金にする」


というのはやはり政治的です。
その2億ドル支援をもって、「十字軍に進んで参加した」という評価を下しており、その評価のもと人質二人を72時間後に殺害する、としています。
「十字軍に進んで参加した」というのは、換言すれば、「私たちの敵である」ということでしょう。
これは逆にいえば、「日本は十字軍に参加するまで=2億ドル支援表明をするまで敵ではなかった」ということです。
これは極めて重要なことだと思います。
日本という国がアメリカの言いなりであることは、世界的にも太陽が東から昇ることと同じくらいの常識であると、僕は考えていますが、そんな日本も「敵」ではなかったということなのですから。
イスラム国の敵判断の基準は今回の件で「分かりやすいものである」ということがはっきりしました。
要は、イスラム国の不利益になることを「実際に」した、ということが敵判断の基準だと。
これが果たしてイスラム国だけでなく、例えばテロ組織として認識されているアルカイダボコ・ハラムなどにも共通することか分かりませんが、彼らの絶対的なプリンシプルがイスラム教であることを考えるとその認識の共通性はあるのではないか、と思ったりもします。


ここで考えることは、日本の集団的自衛権です。
これは既に政府からも発表されているように、アメリカとの軍事行動を可能にするものです。
(今後は「密接な関係にある他国」としてオーストラリア、フィリピンなどが増えていくのでしょうか)
「地球の裏側までいくことはない」などの言葉も出ていましたが、
安倍首相は中東ホルムズ海峡での戦闘中の機雷除去の必要性を強調しています。
直接の戦闘をすることはない、とも言っていますが、戦闘中の機雷除去という軍事行動はすると。
そして、恐らく、この間接的な軍事行動は機雷除去だけではないでしょう。
それに類するもの、戦闘地域での後方支援も想定されていることが昨年末に判明しました。

他国軍の後方支援に恒久法 自衛隊派遣容易に 政権検討


政権は7月の閣議決定で、集団的自衛権の行使を認めるとともに、海外で自衛隊が米軍などを後方支援する活動範囲の拡大も決めた。派遣期間中に戦闘が起きないと見込まれる「非戦闘地域」以外でも、派遣時に戦闘がなければ、自衛隊を派遣できる内容だ。これに沿って、他国軍への物資の補給や輸送など直接の武力行使を行わない後方支援活動を随時できるようにする新法を整備する。
(抜粋)


朝日デジタル 12/29
http://www.asahi.com/articles/ASGDX5JMSGDXUTFK005.html


これを現在の具体的な状況に当てはめれば、中東以外ありません。
この法案と集団的自衛権の関連法案が国会を通れば、中東でのアメリカ支援的軍事行動が可能になるわけです。そして、アメリカの要請で中東に後方支援的軍事行動で向かったら、、、
その瞬間、アメリカと戦闘状態にあるイスラム国と日本は絶対的な敵対関係に入ることになるのです。
アメリカにまとわりついているのはいい。しかし、実際に行動を起こしたら敵とみなす」
という今回の事件から発せられたイスラム国のメッセージはそんな判断をくだすことを示しています。
実際の軍事行動は、金銭支援どころではないでしょう。
より強烈な敵愾心でもって、それこそ絶対的な敵となるのです。
それは、イスラム国にとって日本がテロ対象国になることを意味します。
先日のフランスでの風刺画テロ事件のような事態への覚悟を、否応無しに日本人は求められるようになります。
そしてそれは決して日本だけの損失ではない、と僕は考えます。
世界の損失といってもよいと思います。
日本は戦後70年、一度も(表向きは)軍事行動をしたことはなく(イラクでの航空自衛隊による武装した米兵を輸送したことが憲法9条1項に反する、という判決が名古屋高裁で出ています)、それによる殺人行為もしていない極めて例外的な国です。それも先進国という立場で。
これが、いくらアメリカの金魚の糞であっても、それだけで敵とみなされない要因の一つであろうと思います。
国際NGOスタッフとしてアフリカ各地で活動後、東ティモール、シェラレオネ、 アフガニスタンで紛争処理を指揮した´武装解除人´・伊勢崎賢治さん(東京外国語大学教授)も実際に紛争処理を部族間で行うにあたり日本の戦後の歩みが大いに役立った、と様々なところで語っています。
「日本人の言うことだから聞く」と。
それは日本、日本人に特別に「能力」があったからではありません。「資格」があったからです。
停戦を呼びかける「資格」があったからです。
それは戦後一度も軍事行動をしたことのない日本の歩みによってはじめて担保されるものです。
「あなたの話なら聞く」と思わせるのは、「能力」ではなく、「資格」の問題です。
日本が集団的自衛権行使を可能にするということは、その「資格」を失うことを意味します。
そしてそれは、世界が「仲介国」の一つを地球上から失うことも意味します。



先日、「NNNドキュメントシカとスズ 勝者なき原発の町」というテレビ番組を観ました。
「石川県の能登半島には、長年「原発」と向き合ってきた2つの自治体がある。原発の誘致により、巨額の交付金などを得てきたものの、福島第一原発の事故などの影響で運転停止状態が長期化している志賀町(しかまち)。もう1つは、建設計画をめぐって住民同士が長年対立した末に、原発ができなかった珠洲市(すずし)だ。原発と地域のあり方や人々の心の有り様を見つめ、立地地域と建設候補地にもたらした原発の功罪を検証する。」
といった内容のものでした。


珠洲市は結局原発誘致を断念し、現在も原発がありません。
1975年に誘致運動がはじまり、2003年に電力会社が断念を判断するまで28年間、住民同士が反対派と賛成派にわかれて争っていたことが克明に取材されていました。
反対派の人が経営する店には、賛成派の人が買い物に一切こない。挨拶もしない。
そんな姿がありありと映し出されていました。
そして、その対立は2003年の決着後も、今でも続いているそうです。
恐らく、その姿は珠洲市だけのものではありません。原発を建設した場所、断念した場所に関わらず、原発誘致に動いたところではどこでも起こっているもののように思います。
なぜそのような事態になってしまうのか? ということを考えると、それは「仲介者」がいなかったからではないでしょうか。
「仲介者」とは、どっちの側にも足をつっこめる人のことです。
どっちの側の会合にも参加できる。どっちの側のお店にも買い物にいける。挨拶ができる。
その意識をもった人がいなく、誰もが必ずどっちかに所属するという「分かりやすい」形が、決着後10年以上経ってもいまだ手打ちできない状況を作ったのだと思います。
「仲介者」なき世の中はかくも深き断絶を味わう。



安倍首相もご自身でいったではないですか。

「伝統を大切にし、中庸を重んじる点で、日本と中東には生き方の根本に脈々と通じるものがある」


産経新聞 1/17
http://www.sankei.com/politics/news/150117/plt1501170021-n2.html


「中庸」とは、
1 かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。「―を得た意見」「―な(の)精神」
アリストテレス倫理学で、徳の中心になる概念。過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/143730/m0u/


それはどちら側にも話ができる存在でありたいという意味ではないのですか。
集団的自衛権を行使などしたら、中庸でいることが不可能になるではないですか。
日本は地球上で数少ない中庸でいることが許されている国です。
現在のところその「資格」がある国です。
それを失うことは、日本の損失のみならず、世界の損失でもあります。
「積極的平和主義」という安倍首相の言葉、それ自体には僕は賛同します。
しかし、彼と僕とでは違う意味です。
「仲介者」として世界の平和に資すること、それが僕が考える積極的平和主義です。



僕が集団的自衛権行使に反対する理由の一つです。