壊されていく民主主義


追記あり。地方議会における「討論」について(9/21)
追記あり大阪市寝屋川市での同様の件について(9/26)

渋谷区議会制限 少数会派は反発 議案への意見表明、1人年間20分


 東京都渋谷区の議会運営委員会は十九日、本会議で議案などへの賛否の意見を述べる「討論」を、議員一人当たり年間二十分以内に制限することを決めた。こうした制限は、少なくとも東京二十三区議会では初めて。これまで時間は無制限だったため、少数会派の議員は「発言権が制限される」と反発している。


 議会事務局によると、六〜七月の区議会定例会で、一部議員から「議題と関係なかったり、風聞や伝聞に基づく討論が行われている」などの意見が出た。区議会は今月、各会派の代表者でつくる「議場での討論のあり方検討会」を設置。議員一人あたりの討論時間を二十分とすることを議長に答申した。この日の議会運営委員会で自民、公明などの会派の賛成と、共産や民主などの反対が同数となり、最後は木村正義委員長(自民)が時間制限の導入を決定した。


 無所属の堀切稔仁(ねんじん)区議は「形式的でなく、緻密な議論を重ねることこそ今の地方議会の改革に求められている。それなのに、討論の時間を短くするとは自分たち議会の存在を自ら否定するようなもの。時代に逆行している」と批判した。
 他の東京特別区には、討論一回当たりの制限時間を「五分」「十分」などにしている区はあるが、年間の制限時間は設けていない。江東区中央区は、討論は委員会で行うが、本会議では行っていないという。都議会も規則などでの時間制限はしていない。


◆あり得ないルール
<広瀬克哉・法政大教授(地方自治)の話> 一回あたりの時間制限なら理解できなくもないが、年間制限はそぐわない。一年間にどんな議案が出るか予測できないのだから、持ち時間を使い切ったあとに重要な議案が出たら、賛成、反対の意思を議場で表明して議事録に残すという、議員の大切な仕事ができなくなってしまう。あり得ない議会ルールだ。


東京新聞 9月20日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014092002000139.html


かなり衝撃的な内容です。
俄かに信じられない内容で、数回読み返してしまいました。
議会での1年間の討論時間を制限する??
「ここまで来たか」というのが率直な感想です。
議会という民主主義を表現する場所で、それを制限、というか拒否するような決議がまさかされるとは。いや、議会でそのようなことがまさか取り上げられるとは。
民主主義を後生大事に永遠の価値として抱きしめるものとは思っていませんが、
少なくとも現在の日本で政治の制度として共有されている民主主義を真っ向から否定するような行為を、それを最も守るべき、それが機能していることを最も表現すべき議会が否定するようなことが許されるはずがありません。


制限する理由は、
「議題と関係なかったり、風聞や伝聞に基づく討論が行われている」
からだそうです。
これと討論の時間を制限することがどんな関係があるのか?
それが分からないから、今回の決議がなされたのでしょうが、全く関係ない。
意味不明な質問がされて「こいつ何を質問しているんだ?」というのは、特に地方議会においては実際にあるようです。以前、群馬県太田市長と話す機会があって聴いたのですが、「質問の意味が全くわからない人は確かにいる」といったことを話していました。
群馬県議会や高崎市議会の報告書が毎月送られてきますが、それを読んでても「こんなことやってるの?」といった内容も確かにあります。
しかし、それがあるから討論自体の時間を制限していいわけではありません。
なぜなら、見当違いな討論をするのは個人であって、その人を教育なり、指導なりすれば済む話であるからです。一人だか、数人の見当違いな討論をする人のために、議会全体を規制するというのは、話が違うのではないでしょうか。
議員はいつしか辞める有期的な存在です。それに対して、議会は(政治体制が変わるまでは)あり続ける無期的な存在です。それを同一で考えること自体間違えています。


見当違いな討論をする人に対する対応方法が、討論時間の制限というのはあまりに幼稚するぎるし、的外れもいいとこです。
その結果、民主主義を否定する行為に走る議会があっていいわけがない。
その裏には、今回この決議に賛成した自民党公明党議員に、
「議会なんか多数決の場でしょ。話し合いなんかしても意味はない」
という認識があることは間違いありません。
それは、「私たちは話し合いで意見を変えることはありません」
という、言わば「聞く耳を持ちません」宣言でもあります。
なんのことはない、安倍内閣の姿勢を見習っているだけではないですか。
渋谷区議会の自民党公明党議員にとっては、親方がやっていることを少し形を変えてやっているだけです、くらいの意識しかないのでしょうから、それがおかしいことなどとは思っていないでしょう。むしろ、褒めてほしいくらいに思っているかもしれません。
民主主義の肝は、「自分も誤る可能性がある」という謙虚さであり、自分への疑いだと僕は考えています。
それがあるからこそ、人の話を聞く動機が生まれ、話し合いを実行できるようになります。
「自分への絶対の信頼」を持つ人は話し合いの必要性を感じません。
なにせ自分が間違えることはないと思っているのですから、話し合ったところで新たな知見が生まれるはずはないと信じているわけですから。
そういう人を世の中では「傲慢」といいます。
「自分たちの方が数が多く多数決で勝てるから、相手の意見など聞く必要がない」
という低知能とあわせれば、渋谷区議会の自民党公明党議員は、
「頭の悪い傲慢」
という称号がピッタリだと思いますが、いかがでしょうか。


話し合いこそ、民主主義の基本姿勢だと僕は考えます。
渋谷区議会の自民党公明党議員は、話し合いの意思がないと取られてもしょうがないと思います。それは、彼らが民主主義を否定している、と思われることでもあります。


あまり大きくは報道されていませんでしたが、この件は日本政治史の中でも極めて重大なことだと思うのでブログで取り上げてみました。
(僕が見た限りでは、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞産経新聞日経新聞にはありませんでした)



【参考】 渋谷区議員 笹本由紀子さんブログ
http://blog.goo.ne.jp/sasayuki-news/e/a015a04d3049eb7cb28fa0ce63231275


<追記> 9/21
地方議会における「討論」について
http://www.city.seki.lg.jp/0000001749.html


Q3.議案に対する討論のとき、なぜ国会のように活発な議論が交わされないの?


A3.
 議会の最も大切な仕事として、議案の審議があります。そのおおまかな流れは、市長が議案を提案(上程・提案説明)した後、議員の質問に市長が答え(議案質疑・答弁)、議員が賛成反対の意思を表明(討論)して、最後に可・否を決める(採決)となっています。市議会の討論とは、お互いに議論を交わし合うことではなく、賛否の理由を述べることにより自分の意見に賛成・同調することを他の議員に求めることなのです。国会でいう党首討論などとは根本的に異なります。


Q4.討論は議案に反対の意見の人ばかりが発言するの?


A4.
 議案に対し賛成か反対か、自分の意見を表明するのが討論です。会派制をとっている多くの地方議会では、討論は会派の代表者が行っているところがほとんどです。また反対意見がない場合、賛成のみの討論は省略して行わない議会もたくさんあります。しかし、どの会派や議員がどんな考えをもって採決の意思表示をするかを知るためにも討論は活発に行われるべきです。関市議会では各会派の賛否とその理由が明らかになるよう討論を積極的に行うことを議員の間で申し合わせています。



<追記> 9/26


大阪市寝屋川でも同じように、議会の「一般質問の時間制限回数制限の廃止」について、議題にあがったことがあったそうです。
http://www.nijitomidori.org/news/news27.pdf
結果的に撤回されたそうです。
その要因として、反対議員のがんばりとともに、市民の反対も大きかったようです。
こんなアホなことがまかり通らせることは、住民が民主主義を自ら捨てることと同義だと思います。