TIME誌 ― 安倍晋三に関する記事訳その2


The Rising Son


日本はアジアにおいて最古の民主主義国家としての誇りをもっているかもしれないが、日本の権力構造は家系がものをいっている。著名な先祖をもたない者が総理大臣になることはほとんどない。安倍自身、外務大臣であった父と総理大臣であった祖父をもつ。彼は父である安倍晋太郎のことを語っている。「癌に侵されながらもソ連との平和条約に邁進した父の姿は、公務の重要性を私に教えてくれ、歴史的なものごとを遂行するには自分の命をもかけて臨むものだ、ということも教えてくれた。」安倍晋三の父型の祖父である安倍寛は、戦時の総理大臣・東条英機を批判し、アメリカとの戦争に反対した希な政治家であった。


しかし、日本の歴史上大きな足跡を ―不気味に― 残したのは母型の祖父の方であった。岸信介。彼は戦時下の内閣に軍需産業のリーダーとして地位をもち、満州の産業を指揮した。(満州=日本が傀儡政権を作った中国北部地域)満州は日本皇軍の最悪の犯罪である強制労働や化学兵器の実験などが行われた核心地であった。戦後、岸信介は3年間拘留されたが、罪に問われることはついにはなかった。そして10年後、日米安保条約を強固にした‘西洋の総理大臣’として彼自身を決定的なものとした。彼の復帰は7年間日本を占領したアメリカによって承認されたものだった。多くの戦時期の政治家のように。


安倍晋三は、彼の家系に関わらず、ある点において国を立て直すのにふさわしい人物ではない。1982年、彼は少々の鉄鋼会社勤務のあと、外務大臣であった父安倍晋太郎の秘書になった。彼はすぐに自分にしっくりくる政治的な信念を確信した。それは、保守の原則である明晰さのうちにあるサッチャーレーガンによるタカ派的な確信である。自民党は多種多様なイデオロギーをもつ党だった。そしてそれは、選挙民の気分が変化した戦後数年以外、日本を支配するのに大いに役立つものだった。しかし安倍は、戦時における日本の残虐行為を小さく見積もったり、否定するといった論調を顕著にする自民党の右派という立場を明らかにした。


第一次政権時、安倍は日本史上最も若い総理大臣だった。有権者の最大の関心事は経済であったが、その時の安倍は彼の政治家としたの本丸である国家主義的施策、例えば学校における愛国心の誇示=君が代斉唱の義務化などに邁進した。一年の在任後、彼は病気のため総理大事の座を辞したがその後、自民党が、そして日本全体が安倍の政治信条に徐々に近づいていく動きを見せた。その一つのきっかけは、経済的政策の失敗と内部抗争で三年間の政権期間を浪費した、左傾的とみられた民主党の不適格さという国内的なことであった。2012年の12月の選挙において民主党は多くの批判票によって自民党に敗れた。そして、自民党アベノミクスを未来への道であると推進した。「我々はデフレマインドに硬化してしまった」と、安倍の経済アドバイザーである本田悦郎は語る。彼は日本経済は伸るか反るかの瀬戸際にあると考えている。「安倍総理は、前代未聞の試みにのりだした。…そしてそれは失敗してはいけない試みだ」


その1
http://d.hatena.ne.jp/narumasa_2929/20140502/1398961827