この国のかたちの変更

集団的自衛権、事後承認での行使を検討 安倍内閣
朝日新聞デジタル 2014年4月22日08時50分



 安倍内閣は、集団的自衛権行使について、国会の事前承認がない場合でも可能にする方向で調整に入った。事前を原則とするが、政府が「緊急」と判断すれば事後でも構わない、というもので、個別的自衛権と同じ仕組みだ。だが集団的自衛権は、他国防衛の性格を持つだけに、国会のチェックをより厳しくすべきだとの指摘が出そうだ。


 安倍内閣はこうした集団的自衛権の行使をめぐる考え方を5月中にも政府方針としてまとめ、与党に提示する。その上で、秋の臨時国会で必要な法改正を行う意向だ。しかし、連立を組む公明党は行使容認に慎重で、自衛隊を動かす手続きに厳格さを求めているだけに、調整が難航する可能性もある。


 集団的自衛権は、自国と密接な関係にある他国が攻撃されたときに行使するものだ。政府関係者によると、集団的自衛権を行使する際には、原則として事前の国会承認を義務づける。ただし、政府が「特に緊急の必要があり、事前に国会の承認を得るいとまがない」と判断した場合、国会の事後承認を可能にする方向で調整している。こうした国会承認の手続きは、自衛隊法で定める個別的自衛権を発動する時と同じ仕組みだ。


 ただ、個別的自衛権の行使に事後承認が認められているのは、日本が直接攻撃を受けたにもかかわらず、国会承認が得られないことを理由に敵に反撃できなければ、国家が重大な危機に陥ってしまうからだ。

 一方、集団的自衛権の行使は他国を防衛するためのもので、他国から救援の要請が来た場合、その内容が妥当かどうかを慎重に判断する必要がある。自国が直接攻撃をされたわけでもないため、個別的自衛権に比べて「緊急」の度合いも低いので、政治判断をする時間的なゆとりも出てくる。


 政府が「緊急」と判断し、国会承認を後回しにしても、国会が事後に不承認とすれば、自衛隊は撤収しなくてはならない。ただ、戦線が拡大し、同盟国と一緒に戦闘行為を行っている段階で、日本単独で自衛隊を引く判断は難しくなる、との指摘もある。


 そのため、政府内にも「集団的自衛権の行使は、個別的自衛権よりも、国会のチェックを強め、すべて事前承認にすべきだ」(関係者)との指摘がある。また、政府の判断が妥当かどうかをチェックするために、政府が国会に対し、どのような仕組みで、どの程度情報を開示するのかも議論になりそうだ。(園田耕司)


http://digital.asahi.com/articles/ASG4P5GZNG4PUTFK00D.html?_requesturl=articles%2FASG4P5GZNG4PUTFK00D.htmlamp


安倍政権はこれまで「権利は所有しているが、憲法上行使は不可能」としてきた集団的自衛権を解釈変更で容認する意思を明確に示しています。
上記の朝日新聞デジタルの記事によると、
5月中に政府方針として与党に提示し、秋の臨時国会で関連法の改正をする計画のようです。
これは国内的にも、国外的にも戦後日本の重大事項であると思います。
戦後約69年の間、一度たりとも戦闘することもなく、一兵も殺すことなかった日本が、
「同盟国や友好国のためなら戦闘をしますよ。敵兵も殺しますよ」
と宣言するのですから。
同盟国や友好国というのは具体的にはアメリカを想定しているのでしょう。
アメリカのためなら戦闘しますよ」
というわけです。
そこには「戦前の軍国主義を復活させる」なんていう極端な思想はないでしょう。
単に日米同盟の維持・強化が目的なのではないでしょうか。
安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会座長」北岡伸一氏も東京新聞のインタビューで語っています。

「中国の軍事費が急増し、米国が相対的に弱まっている。日米安全保障条約を米国が破棄と言ったらおしまいで、同盟を維持しなければならない。北朝鮮が米軍を攻撃したら日本も攻撃されるので個別的自衛権の問題と主張する人がいるが、そうならないかもしれない。安全保障は常に最悪を想定しておかなければならない」


http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11828966148.html


現実的にアメリカが攻撃されることなど現状有り得ないでしょう。
度々登場するアメリカを攻撃する国家として想定されているのが、北朝鮮だそうです。
北朝鮮アメリカを攻撃??
しきりにその危険性を喧伝して集団的自衛権の必要性を自民党容認論者は説いていますいが、そんなことは現実的でないことは彼らもわかっているのではないでしょうか。
北朝鮮という国家の最大の意思は「金体制の存続」だと僕は考えています。
それに決定的な打撃を与えるアメリカへの攻撃など北朝鮮がするはずない。
そんなフィクションを口実にしているあたりをみると、
集団的自衛権を容認している人も戦争が現実的に起こるなどとは思っていないのでしょう。


ただ現実はどうであれ、集団的自衛権を容認するということは、
「日本は同盟国・友好国が攻撃されたら戦争しますよ」
という「戦争をできる国」であることの宣言になります。
厳密に言えば、個別的自衛権の権利を持ち行使できる現在の日本も「戦争をできる国」です。しかし、個別的自衛権は侵すことのできない当然の権利として誰もが認めるところです。中国や韓国でさえ日本のそれを認めているでしょう。
その宣言は世界における日本の形を変更する力があります。
「自分が攻撃されない限り戦争しませんよ」と言っていた国が、
「仲の良い人が攻撃されたら一緒になって戦争しますよ」と言う国になるわけです。
日本をそういう国としてみるようになるのです。
当然、それを反映した外交方針をとってくるようになります。
それは国によって違うものになるでしょう。
良い、悪いなんていうのは分かりません。
ある国にとっては歓迎して高待遇をするかもしれませんし、
ある国にとっては不評で冷遇をするかもしれません。
自民党などにとってはアメリカにさえ高待遇してもらえれば良いのかもしれませんが(笑)。


「国の形を変える」ということは一大事です。
できなかったことをできるようにする、というのは方針が真逆になることです。
それは革命的である、と言えます。
たった数カ月で戦後長い間の保ってきた方針とは真逆のものを打ち立ててしまうのです。後年歴史の教科書にこのことが掲載されていたら、それを読む人は「革命だ」と思っても不思議ではありません。
そんな革命が、閣議決定などという時の内閣の意思のみで決められてしまうのです。
なんという恐ろしいことか!
その恐怖を持つのは日本国民だけではないでしょう。海外諸国も、です。
海外諸国がもつ恐怖とは、
「国の形が時の内閣次第で真逆のものになってしまう」
という予測不能性ではないでしょうか。
仮に次の内閣が「集団的自衛権は容認できない」となれば、
たちまち閣議決定でその意思が決定されることでしょう。
そんな簡単に国の形に関わることが変更できてしまう、そのことが恐怖なのです。
そしてそれは「日本は憲法を無視して運営されている国」という印象をも植え付けます。
解釈で変更できる憲法などは憲法ではない、と思っても不思議ではありません。
憲法の元に国は運営される」というのは、もしかしたら現在世界中で最も共有されている概念かもしれません。
それを無視する国、という印象はどれほど日本の不利益になることでしょうか。
それを数字的に表すことは僕にはできませんが、多分、かなりの不利益になります。
閣議決定という極めて限られた人数による解釈変更で国の形を変えてしまうことの
重大性はもっともっと語られるべきことだと思います。
極めて重大なことだと僕は思います。
先日の来日時に、オバマ大統領が「日本の集団的自衛権容認を歓迎する」と言ったと政府は喜んでいましたが、そんなアメリカでも革命的な方法で国の形が変わる日本を不気味に思っているのではないでしょうか。


閣議決定による集団的自衛権容認、憲法解釈変更。
国益を損なう極めて重大な罪だと思います。