清沢洌と特定秘密保護法

日本人はいって聞かせさえすれば分る国民ではないだろうか。正しい方に自然につく素質を持っているのではないだろうか。正しい方に赴くことの恐さから、官僚は耳をふさぐことばかり考えているのではないだろうか。したがって言論自由が行われれば日本はよくなるのではないか。来るべき秩序においては、言論自由だけは確保しなくてはならぬ。
『暗黒日記 1942―1945』(岩波文庫)p270



特定秘密保護法が狙うところの一つは、言論を封鎖することにあると思います。
直接の抑えつけではない封鎖。
情報を与えないことで、言論が沸き起こらない状態を作ることでの封鎖。
清沢洌さん等が文字通り抑えつけられていた戦中の言論封鎖の状況と、特定秘密保護法による言論封鎖のそれは、その方法により異なるものかもしれません。
しかし、結果である言論封鎖そのことに関しては同一のものだと思います。
そう、
「官僚は耳をふさぐことばかり考えているのではないだろうか。」
です。
その方法が直接か、間接かが違うだけで、目的は戦中も現在も変わらない。
官僚は国民の耳を塞ぎたがっている、のです。


特定秘密保護法は、官僚の官僚による官僚のための法案だと僕は解釈しています。
11/24 (日)の東京新聞に、そのことを端的に示す記事がありました。
「新聞を読んで」という東京新聞に限らず、各紙を対象にした一週間の新聞記事について書かれるものです。週毎に執筆者が変わります。
この日の執筆者は、ジャーナリストの二木啓孝さん。
お題は「秘密保護 歴史の検証も」です。
その中の記述に、



元外交官・小池政行氏の証言「外務省には世界各国の大使館から膨大な公電が来る。それに‘秘’とか‘秘 無期限’とか押すのは現場の職員。特定秘密を決める外務大臣が一枚一枚チェックするのは物理的に不可能だ」



という箇所があります。
そのものずばり「法を運用するのは政治家ではなく官僚ですよ」と。
特定秘密が保護される期間と言われる30年だか、60年だかを、
指定されるところから解除される(と言われている)までずっと見続けられる個人はそうはいないでしょう。
個人は死にます。
しかし、機構は生き続けます。


太平洋戦争敗戦後、官僚機構は何も変わらず生き残りました。
新官僚」などともてはやされ、軍部にくっついて戦争を邁進させた官僚も何喰わぬ顔で生き残り、敗戦後も業務に当たり続けました。
変わったのは省庁の名前くらいなものです。
それはドイツも同じです。
1951年に発足した西ドイツ外務省では公務員の3分の2が元ナチス党員で占められていたそうです。
官僚が厚顔無恥だっただけでなく、実際に実務に当たる事ができる人が、
官僚しかいなかったためです。
背に腹はかえられないとはまさにこのこと、国家をとんでもない方向に導こうとも、国家を衰弱させようとも、何をしても国を継続させるための「実務」の必要性において、官僚機構はずっと生き残ります。
それを断ち切るのは、革命、でしょうか。
その革命も実務においての行き詰まりを回避することはできませんから、
実際のところわかりませんが。


日本の官僚制度は明治時代に始まった、と一般的に考えられているように思います。僕もそんな風に考えていました。
そんな僕に『明治維新の遺産』(テツオ・ナジタさん/坂野潤治さん訳 講談社学芸文庫)は衝撃的でした。
この本には、
「現在の日本の官僚機構は江戸時代・武士による。武士こそ官僚である」
といった内容の記述がありました。
江戸時代の武士などというと、武士道をしっかり守って清廉潔白、といったイメージがありますが、現代に通じる官僚機構を作ったお役人である、と。
それが明治維新を挟んでも、「実務」の必要性から引き続き業務にあたり、形も引き継がれたわけです。ここでも名前が朝廷風に変わっただけです。
江戸時代と違うところは、その官僚機構の影響力・行使力が藩という単位ではなく、日本という単位に変わったことです。
明治時代は官僚機構の権力が全国的になった時代と言えます。
それが力の増幅を続け、軍部とくっつき戦争を引き起こし、拡大させていき敗戦を迎えた。なおも生き続け現在に至ります。
(そう考えると、実際の日本の官僚機構は江戸時代前にすでに形はできていたのではないかとも思えます。それは全く調べてもいないので触れませんが、今後勉強してみたい部分ですが、その前に江戸期の官僚機構をしっかり勉強してみたいと思います。)



古くから続く官僚機構が熟し切った結果が、十五年戦争の開始、敗戦であったのだろうと思います。
その状況において、当代の最高峰の知識人である清沢洌さんは
「官僚は耳をふさぐことばかり考えているのではないだろうか。」
という言葉を残しました。
その時と何も変わらなく継続された官僚機構です。
戦中、彼らが懐に忍ばせたナイフは極めて鋭利なものだっただろうと思います。
そして、現在彼らの懐で光るナイフも、また鋭利です。
特定秘密保護法の鋭さを忘れてはなりません。
人々の耳を削ぐ鋭利なナイフなのです。


暗黒日記―1942‐1945 (岩波文庫)

暗黒日記―1942‐1945 (岩波文庫)

明治維新の遺産 (講談社学術文庫)

明治維新の遺産 (講談社学術文庫)