山本太郎さんの園遊会の件について考える

10/31(木)の園遊会山本太郎さんが天皇陛下に手紙を渡した件は、大きく報道されるところとなりました。
現在でも


園遊会手紙問題>山本太郎議員に進退確認へ 参院議運委
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131105-00000048-mai-pol


のような続報があり、依然注目されているようです。


10/31(木)だったでしょうか、テレビでこの件についての報道を観ました。
最初から観ていたのですが、この件に関する導入部が、
「あなたは山本太郎氏の行動に賛成ですか?反対ですか?」
といった道行く人へのインタビューでした。
賛成の人もいれば、反対の人もいました。
「失礼なのかもしれないけど、福島の実情を考えると良いと思います」
「言語道断だと思います。政治利用にも繋がるのでは」
などなど、様々な意見でした。
その内容とは関係ないのですが、天皇陛下に対して敬語を使わない言葉が報道にのることはそれほどないので、聴きながらスリルに似た感覚を覚えました(笑)。それはそれで稀な体験でした。
その後、スタジオのコメンテーターが「あーだ、こーだ」言って次のニュースに移っていきました。


このニュースの率直な感想として、
「何が言いたかったのかわからない」
でした。
基本、テレビで報道されるニュースに対しては、当たり障りのないことを言っている、くらいに思ってるので、そこから思考を刺激するようなものを得ることを僕は考えていません。事実の一端を知るくらいの構えで。
だから、「何が言いたいのかわからない」はさほど問題ではありません。
それくらいのもんだと思っています。
ただ、なぜ「何が言いたいのかわからない」と自分が思ったのか、
を考えることはなかなかに有意義なことだと思っていますので、
そちらに思考を傾けるようにしました。


「なぜ僕はこのニュースが何を言いたいのかわからないのか??」


それは僕の理解力に問題がある可能性は大いにありますが、
ここではそれは置いておきます(笑)。
僕がそもそもこのニュースに対して違和感をもったことは、
最初に「賛成?反対?」という二択から始めたことです。
恐らくこのニュースを作った方は、老若男女に意見を聴くことで幅広い反応があることを伝えたかったのだろうと推測します。
それはニュースの一つの基本姿勢かもしれません。
しかし、「賛成?反対?」という二択は、言葉を換えれば「対立」でしかないような気がするのです。意見の幅広さというよりも。
「対立」から話を始めることの意義を見いだすことが苦手な僕にとって、
そこから始まる道は突き当たりしか想像できません。
その突き当たりを最初から提示されてしまったようで、僕の頭がこのニュースを理解することを拒否してしまったことが、「何が言いたいのかわからない」に繋がったのかもしれません。


「賛成?反対?」という二択から始める方法は、ディベートというものが日本に持ち込まれた結果なのでしょうか??
ディベートを辞書で引くと、


ディベート【debate】
一定のテーマについて、賛否二つのグループに分かれて行われる討論。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/150386/m0u/


とあるので、「賛成?反対?」はディベートのマナーなんですね。
そう考えると、僕が観たテレビのニュースもこのマナーに則ったものだと言えそうです。
かといって、そのニュースでディベートをやろうとしたわけではありません。
普通の街角インタビューでしたから。
ディベートではないけど、マナーとしてディベートのものを採用しただけです。
「賛成?反対?」とディベートの服だけ着ただけなので、そのニュース内では特にその結果は回収されることなく、垂れ流されるのみでした。
それも「何が言いたいのかわからない」の一つの原因だったのだと思います。


以上のような理由が、「何が言いたいのかわからない」と僕が思った理由ですが、
そもそも僕は物事を考える際、「賛成?反対?」といった二択から入ることが嫌いです。
だから、ディベートというものは苦手です。
そういう場に居たくないです(笑)。
その理由は、目的が反対意見をもつ相手を言い負かすことになるからです。
そこでは「対象となる物事を理解するよう努める」という真っ当な知性の使い方が二の次にされてしまいます。
それは時に対象となる物事の本質を見誤ることにも繋がる恐れがあります。
そんなものより、相手を言い負かすことが優先されるからです。
僕は相手を言い負かすことよりも、「対象となる物事を理解するよう努める」ことの方が、圧倒的に価値のあることだと思っているので、人とある物事について話す時には、協力してそれに当りたいと思っています。
そして、理解を深めたいと思っています。


そんなわけで「賛成?反対?」の二択から始まったニュースには、最初から失望していたわけです。そのニュースは、ただ「対立」が存在していることだけを伝えていました。
それはそれで価値のあることなのかもしれませんが。
他のニュース報道も多くが「賛成?反対?」をメインにしたものでした。
そして多くが「山本太郎はけしからん!」といった流れでした。
結果、いまやこの件は「「山本太郎がけしからん件」になってしまいました。
この流れは、「賛成?反対?」の二択方式=ディベートマナーを源流とするものであり、その結果が「山本太郎はけしからん!」という矮小化されたものとなってしまったわけです。
ここに
山本太郎さんが天皇陛下園遊会で手紙を渡したけど、これはどういうこと?」
という根本的な疑問はすでにありません。
山本太郎氏が、どう‘悪い’か」
山本太郎氏が、どう処分されるか」
という段階にひとっ飛びされてしまいました。
そんな流れに乗るのもしゃくに障るので(笑)、
自分なりにこの件に関して「賛成?反対?」の前に疑問に思ったことを書きたいと思います。
(長い前ふり!笑)



1、 山本太郎さんは、天皇陛下に何を求めたのか??


これはこの件を知った時に真っ先に思ったことです。
「平成の田中正造だ」といった言説を見聞きしましたが、山本太郎さんはそれを意識したのでしょうか??
僕の考えでは、田中正造さんと山本太郎さんの行動は形は似ていますが、
全く別ものです。
それは二つの国の状況を考えれば分かります。憲法です。
田中正造さんが明治天皇に直訴した時は、大日本帝国憲法です。
山本太郎さんが手紙を天皇陛下に渡した現在は当然、日本国憲法です。
これを端的に言えば、
大日本帝国憲法下では、天皇陛下が問題解決に関与することは(憲法上)可能だったが、日本国憲法下において、天皇陛下にそれは不可能である」
であり、つまりは、田中正造さんの直訴は問題解決に対する方法としては(憲法上可能という意味で。現実にそれが出来たかは置いといて)理に適っていたのに対し、山本太郎さんの手紙渡しは問題解決に対して全くの無意味だったわけであり、そこは大きく違う部分です。
日本国憲法下にあって、天皇陛下は象徴であり政治的実行権力は有していません。
そのことについて山本太郎さんはどのように考えていたのかは大変興味があります。
そこがまず疑問に思ったところです。




2、 なぜに山本太郎さんはここまで嫌われるのか?


FNNニュース(11/01 18:32)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00257036.html


下村文科相は「議員辞職ものだと思います。まさに政治利用そのもの」


古屋国家公安委員長は「許されざる行為だと、こういうふうに多くの方が、怒りを込めて思っているんじゃないでしょうか」


野田聖子総務会長は「ご自身の政治パフォーマンスに、わたしたちの天皇陛下を利用した事実ではなかろうかと。自身が責任を取るべきだと思います」


民主党の松原国対委員長は、「到底、許されるものではないし、あってはならないこと」


共産党の志位委員長は「憲法を知らない者の行う行動だと言わざるを得ないと。憲法上の天皇の地位というのは、国政に関する機能を有さないと」




などなど、多くの議員から否定的な言葉が寄せられています。
これを「嫌われる」と表現するのはあまり上等ではありませんね(笑)。
自民党から共産党まで幅広い批判があるようです。
大きく分けて、純粋の手紙を渡した件について批判を加えている人と、
この件を利用して山本太郎さんを排除しようとしている人の二つがあると
感じています。
誰がどっち、という明確なものは分かりませんが、
これは注意深く見なければいけない点のような気がしています。
正しいかは分かりませんが、
「政治利用」「議員辞職」という言葉を連呼する人は、
「この件を利用して山本太郎さんを排除しようとしている人」
と僕は判断しています。
議員辞職」というのはその言葉の通りで「出て行け」と言ってるので分かり易いですが、問題は「政治利用」の方です。
「政治利用」という言葉は明確な定義があるわけではありません。
自民党が行った主権回復の日の天皇皇后招待や、IOC総会への高円宮妃久子さまのご出席などは、僕は「政治利用」だと思いますが、自民党は「はい、そうです」とは言いませんし、人によって意見の分かれるところです。
ふわっとした言葉であるわけです。
このふわっとした言葉=誰からもその明確な意味を求められない言葉でもって人を責め立てるところに、手紙渡しそのものよりも、「どう責任を取るんだよ??」に力点が置かれているように思えてなりません。
つまりは、「政治利用」は「議員辞めろよ」を目的にした人にとっては極めて使い勝手が良い言葉なのではないかと思うのです。


その目的をもった人たちが、なぜ山本太郎さんに議員辞職という議員にとって極めて重い責任負担を求めるかと言えば、それは山本太郎さんの活動を見れば一目瞭然の感があります。
山本太郎さんといえば原発についてですね。最近では特定秘密保全法もありますが。あとは、今までの議員では予想もつかないような動きをしそうな予想不可能性でしょうか。
これらを良しと思わない人たちが、山本太郎さんの辞職を強く求めている人たちだという見立てを僕はしています。
逆に言えば、そういう人が
原発を推進したい」人であり、「特定秘密保全法を求める」人であり、
「異物を嫌う」人である、ということです。
それが誰なのか、この件に関するニュースを追ってチェックし続けたいと思います。
あわせて報道機関もチェックしたいと思います。



賛否というのを一旦置いておいて、物事について「これは何??」ということを考えることで1mmでも深く考察できればいいなあ、と思っています。