予め立ち位置を設定する卑怯さについて

10月8日(火)に石破自民党幹事長がTPPに関しての記者会見を開きました。
その中で、西川TPP対策委員長「聖域関税撤廃」発言に対する言葉がありました。


「それぞれの品目を、党の会議で一つ一つ俎上(そじょう)に上げることは想定しにくい」と述べ、関税撤廃・削減の対象は一部にとどまるとの見通しを示した。その上で「ていねいに説明し、誤解や感情的反発がないように努める」と強調した。
http://mainichi.jp/select/news/20131008k0000e010208000c.html


だそうです。
このニュースを読んで、何だか嫌な気分になりました。
「ていねいに説明し、誤解や感情的反発がないように努める」
という部分です。
ここで石破氏は、自分とそれに対する他人の立ち位置を既に決め、
そこからスタートすることを宣言しています。
「ていねいに説明する」自分と、「誤解や感情的反発をする」他人
という立ち位置です。
この立ち位置からスタートすることで、


「ていねいに説明する」=自分=理知的
「誤解や感情的反発をする」=自分に対する他人=感情的


という前提を作り上げています。
そして結果として、
「自分に対する他人は感情的である」
という認識を当然のものとして共有することを促します。
いわば、レッテル張り作業を事前に終わらせた形で、石破氏は事も無げにレッテル張りをこのコメントでやっているわけです。
「これより関税撤廃に反対する人は‘感情的’である」
という認識が世間に広がることを願って。



これは安冨歩さんの著作『原発危機と 「東大話法」』に書かれていた
「立場を先に決めて話をする方法」
そのものです。
安冨歩さんはその姿勢を厳しく批判していますが、
僕も同様に思います。
とても卑怯な方法です。
自分の意見に反対した途端
「この人は感情的でかなわないですね」
と冷笑を決め込む立ち位置を先取りして設定しているのですから。
自分の意見と異なる他人の意見を聞こうとしないのですから。
その人を喰ったような姿勢、他人の意見を考えることなく「感情的」と切り捨てる知的怠慢を恥ずかしいとも思わない姿勢に僕は嫌悪感を持ちます。



先日、といっても9月の話ですが、
‘観察映画’と称される『選挙』や『演劇』などを撮られた想田和弘監督と、
ライブドア社長の堀江貴文氏とのツイッター上のやり取りが少し話題になりました。
それは7月に二人がツイッター上で議論した原発についての話を受けてのものでした。


【7月の二人の原発議論のまとめページ
http://togetter.com/li/538858


7月の原発の話は読んでいても興味深く感じるものでした。
お互いに相手の意見を聞いて、会話が成り立っているものです。
それが9月に行われた議論(とは言えませんが)では、
雲行きがガラッと変わったものになっていました。
話の整理としてその時のツイートを追います。



---9月の議論 ここから---


池田信夫氏のつぶやき(想田監督の五輪についてのつぶやきに対するもの)への堀江氏の反応>


池田 :放射能汚染を理由に東京オリンピックに反対って、バカを通り越して…。


堀江 :なんかヤバイすね、この人だんだんと。先鋭化が激しい



<それに対する想田監督の返答 ⇒ 堀江氏との議論>


想田 :僕に反論があるなら、正面から言えばいいのに。いつでも受け付けますよ、堀江さん。


堀江 :あ、単なる感想なんで。時間かかる割に建設的な議論にならん気がするのでやめときますわ


想田 :「なんかヤバイすね、この人だんだんと」というのは単なる感想というより批判だと思いますが。批判するなら理由を示すのが礼儀では?


堀江 :んー、この絡み方からして、粘着というか、ヤバイ気が。


想田 :堀江さん、理由を示さずに僕を批判しておいて、「理由を聞かせて下さい」と言われたら「粘着」「ヤバイ」というレッテル張りは、あまりにもフェアじゃないんじゃないですか?


堀江 :なんでわざわざ世の中を面倒臭く難しく解釈しよーとすんのかなー、そしてその考えを広めようとすんのかなー?世の中の人が皆M体質なわけじゃないんだけどな。って意味でウザいんだよね。一人で勝手に嘆く分には構わんのだけど。


想田 :僕も堀江さんが勝手に嘆く分には構いません。でも99万にもフォロワーのいるツイッターで言われたら構いますよ、そりゃ。なぜ「その考えを広めようとすんのかなー?」などと言うなら、あなたもツイッターで広めたりせずに、すべて心の中で言ったらいいんじゃないの?


堀江さん、完全に自己矛盾してるよね。僕はM体質じゃないんで、ちゃんとフェアに説明してください。理由も示されずに「粘着」だの「ヤバイ」だの「ウザイ」だの言われるのは、僕もウザイんで。


堀江 :その絡み方がウザいんですよ。


想田 :自分から難癖をつけておいて、理由を問われると「ウザい」だもんな。堀江さん、見損ないましたよ。


---ここまで---


このやり取りで堀江氏は、何かを話す前に想田監督に対し、
その理由も説明せずに「ウザイ」「ヤバイ」「粘着」というレッテルを貼っています。
そしてそれをもって議論を拒否しています。
やり取りの中でも触れられていますが、堀江氏には約99万人のフォロワーがいます。堀江氏がつぶやけば、その‘つぶやき’という言葉の字義に相応しくないのですが(笑)、約99万人の人のページに自動的に表示されます。約99万人が見る可能性があるわけです。
堀江氏が意識しようが、しまいが、その約99万人を上限とした多数と、
「想田監督は、ウザイ、ヤバイ、粘着」
という認識を共有してしまうわけです。
堀江氏をフォローしている人は当然、堀江氏に好意を持っている人が多いのでしょうから、その堀江氏の認識に多くのフォロワーが賛同することは確かなことでしょう。
そこで起こることは、想田監督が何を発言しようが、
「また、ウザイことを言っている。粘着質だよね」
という堀江氏の認識を共有したフォロワーをも巻き込んだ堀江氏の冷笑です。
まず想田監督を「ウザイ」「ヤバイ」「粘着」などと設定することから、
何を言われ様が「またウザイ奴が…」と言いながらの冷笑の繰り返し。
ここで堀江氏は、想田監督の意見を全く聞こうともしないし、
「ウザイ奴」と言っていればよい立ち位置に予め立っているわけです。
この姿勢は、石破氏同様、自分の立ち位置が侵されないように予め自分のそれと相手のそれを用意しているという卑怯そのものです。
そこから建設的な議論が生まれることはまずありません。
(この二人のやり取りに対するHSarabandeさんという方のコメントは大変興味深いです。http://documentary-campaign.blogspot.jp/



石破氏や堀江氏のような姿勢は、はなから議論をしてそこから何かを生み出そうという意思=対話の意思がありません。
それは、相手を貶め、自分を浮き上がらせることのみを意図したものです。
ここから善きものが生まれるはずもない。
脱原発派を「感情的」「ヒステリック」などの立ち位置に設定したり、
2020年東京五輪に反対する人を「非国民」という立ち位置に設定したり、
日本には石破氏や堀江氏のような姿勢が溢れています。
そんなものがまかり通らない世の中を作る方法は、
予め立ち位置を設定するような人、話を見抜くことから始まるのだと思います。
僕は卑怯がまかり通るような世の中が嫌なので、注意して人物、その話法を見て行きたいと思っています。