秘密保全法案の菅官房長官コメントについて

秘密保全法案が所々で話題になっています。
秋の臨時国会自民党は成立を目指しているそうです。
9/18(水)の記者会見で菅官房長官が秘密保全法案について語りました。
以下引用


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秘密保全法案 報道の自由への配慮を検討
9月18日 12時41分


官房長官は、午前の記者会見で、秋の臨時国会での成立を目指す「秘密保全法案」に、国民の知る権利や報道の自由に十分に配慮する規定を盛り込む方向で検討を進める考えを示しました。


政府は、外交・安全保障政策の司令塔となる国家安全保障会議の創設に向けて、秋の臨時国会で、特に秘匿が必要な安全保障に関する情報を「特定秘密」に指定し、漏えいした公務員らに、最高で10年の懲役刑を科すなどとした、「秘密保全法案」の成立を目指しています。


これについて、菅官房長官は、午前の記者会見で、「政府としては、国民の知る権利、さらに取材の自由に十分配慮しながら、さまざまな検討を今、行っている段階だ」と述べました。そのうえで、菅官房長官は、記者団が「法案に国民の知る権利などに配慮する規定を盛り込む方向か」と質問したのに対し、「検討は後ろ向きではなくて、当然、前向きだ」と述べ、国民の知る権利や報道の自由に十分に配慮する規定を盛り込む方向で検討を進める考えを示しました。

「秘密保全法案」を巡って、政府は、概要を公表し、17日までインターネットを通じて一般から意見を募集していました。



これに対して、公明党から、「報道の自由や国民の知る権利を守ることを法案に明記すべきだ」といった意見が出ているほか、日本弁護士連合会が「法案の内容が国民主権など憲法の原理に抵触する可能性がある」などとして、意見募集の期間の延長を求める意見書を政府に送っています。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130918/k10014623171000.html


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「法案に国民の知る権利などに配慮する規定を盛り込む方向か」
といった内容の質問に対しての菅官房長官の答えが主旨になっています。
その答えは、


「政府としては、国民の知る権利、さらに取材の自由に十分配慮しながら、さまざまな検討を今、行っている段階だ」
「検討は後ろ向きではなくて、当然、前向きだ」


です。
「配慮してくれる」から安心、というわけにはいきません。
例え「知る権利、報道の権利に配慮します」と法案に書かれることと、
それを実行するのとは全く違う話だからです。
何せ秘密なんだから、配慮したのかどうか分かるはずない。
僕は「配慮します」は絵空事だと思いますが、
それが絵空事かどうかも実際には国民は判定できません。
仮に「配慮します」に対して同意できることの一般的な条件を考えると、
それは「安倍自民党に対する信頼感」でしょうが、
ああ、哀しきかな、僕にはそれがない(笑)。
じゃあ、仮に安倍自民党への信頼感があれば、
官房長官の言葉を受け入れることができるかと言えば、僕には難しいです。
下記がその理由です。


官房長官の引用コメントは、特に不自然な日本語運用ではありません。
さらっと読んで意味も理解できますが、
なんでしょう、この「国民の知る権利、取材の自由を我々が与えます」感は。
僕にはとてつもなく気持ち悪いものに感じられてしょうがありません。
僕たち日本国民の権利は、自民党によって与えられているものであるはずがない。
国民の知る権利をはじめとする国民の権利について、与党自民党がすべきことは「与える」のではなく、「侵害しない」ことではないでしょうか。
現在の自民党は彼らの憲法草案をみても、
「国が保障する。国民は保障される、規制されるもの」という考えが濃密ですが、僕にはその考えが受け入れられません。
国によって権利を与えられているわけでもなく、ましてや時の政権などが与え主であるわけありません。
そんな僕の考えと相反するかのような菅官房長官の言葉を僕は受け入れることは難しいです。


さらに「国の前提」という観点からも見てみたいと思います。
「国民の知る権利を含む権利を国民は有している、国はそれを侵害してはならない」という前提から戦後日本は始まっています。当然、日本国憲法による規定によってです。
現在の日本国憲法は言うなれば、
「近代国家への仲間入り」の宣言であり、
「世界の皆様よろしくお願いします」の挨拶でもあると僕は思っていますが、
その日本国憲法に明記されている「国民に権利がある」という大前提をひっくり返すような態度、言葉=「国民の権利は国が保障するものです」は、アメリカやイギリスやフランス、ドイツなどなどの、「現在日本が価値観を共有している(とされる)」国々への挑戦、「あなたたちとは違った方向にいきますよ」という表明とは言えないでしょうか。
現在の日本国は、「国民は国が侵せない権利を有している」という前提の元で成り立っており、海外諸国ともそれを前提に関係を結んでいるわけです。
その歴史を積み上げて来たのです。
官房長官の言葉は、そんな前提を無視しているように僕には感じられてしょうがありません。


安倍自民党の特徴として、
「前提を無視する」
があると僕は考えます。
「侵略を」「河野談話村山談話を」「集団的自衛権を」などなど、
これまで歴史上で培って来た=他国とも「こういうことで」とやってきたことを、一方的に「あれは間違っています。変更します」と、
共有している前提を引っくり返すことを繰り返してきているのが、
安倍自民党ではないでしょうか。
僕はそれを「安倍氏の‘公’と‘私’の区別がつかない低思考力によるもの」と
考えていますが、それはまた別稿で。
今回の菅官房長官の言葉にもその「前提を引っくり返す」安倍自民党の特徴がでていると思います。
(歴史の上で先人たちが培って来たものをちゃぶ台返しする人たちが、
何で保守を名乗っているのかよく分かりません)


僕が菅官房長官の言葉を受け入れられないのは、
1、「国民の権利は国が与えます」といった匂い
2、「前提」を引っくり返すかのような言葉
の2点によってです。



官房長官に上記のことを言えば
「そんな意図は全くない」と言うのでしょうが、
ああ、哀しきかな、僕の安倍自民党への信頼感のなさが、
そう思わせてしまうのです(笑)。